第22話 遠征② 兄と夢

 「もしもし、太一くん? どうかした?」

 電話口から聞こえてくるのは野太い声だが、柔らかな口調で自分の声だとは思いたくないし、思えなかった。


 合宿の休憩時間を使って、瀬戸さんに電話をかけたのだ。先ほど会った瀬戸さんの兄を自称する男の存在を確認しなければならない。本当に瀬戸さんの兄ならば、他人のような態度をとってしまったことを誤魔化さないといけないし、兄ではなく瀬戸さんのファンなのだとしたら、近づかないようにしなければならない。


 過保護かもしれないが、瀬戸さんの容姿を考えればストーカーの1人や2人いてもおかしくないと思えた。

 「今朝、合宿で移動する途中に、瀬戸さんの兄を自称する男に会ったよ。瀬戸さんってお兄さんいたの?」



 それから、今朝会った男の特徴を伝えた。イケメンで、少し茶髪。整髪剤で綺麗に整えられた髪型。服装と年齢から大学生くらい? ホストほどチャラくはないが、そのポテンシャルは十分にあること。


 「あーそれお兄ちゃんだわ。ごめんねぇ。まさか会うことになるとは思わなかったから、伝えてなかったや。」


 瀬戸さんは電話越しから軽い口調で謝っている。こっちの心配も知らずに呑気だなという怒りもあるが、とりあえずストーカーではなくて良かったという安心の方が強い。


 「了解。他人の感じで話した時に、まだあのこと怒ってるのかって言ってて、それのお陰で変に思われなかったぞ。兄弟喧嘩でもしたの?」

 「あー、あのバカ兄貴が、私の写真集を勝手に作って、学校で配ってたんだよ。マジ最低だから。」

 何やってんだよ、あの兄貴……。めちゃくちゃシスコンじゃん……。

 「それもあってしばらく話してないから、太一くんも話する必要ないからね。」

 「おっけー。まぁ、合宿も明日までだから、次話する時には、体が元に戻ってる時だろうね。」

 そう、模試対決の勝利と、合宿メンバーに選ばれる。2人の共同作業によって十分な成果を得られたんだ。

 指輪が抜けて体が元に戻るのも時間の問題だという手応えが太一にはあった。

 

 「でも、念の為に、基本的な情報だけ教えておいてくれる?」

 「そうね。名前は瀬戸颯(ハヤト)。今は大学2年生で、私たちと同じ高校出身よ。間抜けなところがあるのに、勉強だけは出来るのよね。慶応の薬学部に今通ってるから。私と同じでずっとバスケやってる。これくらいかな?」

 「なるほど、了解。」

 兄弟揃って優秀だということは分かった。瀬戸さんが医学部に行きたいのは、兄が薬学部に行ったのとも何か関係があるのかとも考えていたが、体が入れ替わるときに決めたルールでお互いの詮索をしないと決めたから、深く聞くことはやめた。

 それより、太一は指輪がどうなったのかが気になってしかたなかった。


 「それで、あれから指輪はどう? 抜けた?」

 「それが、公開告白が終わった時からあまり変化はないみたいなんだよね……。」


 太一は少し立ちくらみがした気がした。成功が約束された計画が頓挫したようなものだ。

 何が足りなかった? 考えられるとしたら模試対決や公開告白の時に比べて、目標が簡単だった?


 確かに、勉強は太一にとって苦手だったし、自分でも人生で一番頑張った自信があった。それに比べて、太一はもともとスポーツが苦手ではない。バスケの朝練も勉強に比べれば楽しさすらあった。それが原因なのか?


 「また合宿から帰ったら作戦会議しよう。そろそろ休憩時間終わるから切るね。」

 「うん、そうしよう。練習頑張ってね。」

 じゃあと言って、通話を切った。この合宿で体が戻るリーチがかかるかと思っていたが、少し手詰まり感が否めない。

 どうすれば元に戻れるのか、指輪が不要になった時とはどんな時なのか。全くもって考える材料不足だ。

 とりあえず、今考えても仕方がない、そう切り替えて練習に戻ろうとすると、手元に持ったスマホが震える感覚がある。

 瀬戸さんが何か気づいたのかもしれないと思い、急いでロックを解除して画面を見る。


 ――瀬戸ハヤト

 瀬戸さんと同じ苗字。

 「朝はすまなかった。せっかく東京に来てるんだから、久しぶりに話せないか? 休憩時間とかあれば合わせられるから、返信待ってます。」

 瀬戸さんの兄だ。


 ――――

 

 合宿の練習は朝9時から18時まで行われた。

 その後、2時間ほど自主練習をして、ご飯を食べて、お風呂に入って自由時間を過ごすスケジュールだ。

 今は21時。

 ご飯を食べた後、ホテルから近くにあるタリーズに来ていた。

 瀬戸さんの兄に会うためだ。

 本当は、先輩との関係もあるから、お風呂と自由時間はチームメイトで過ごすべきなのだが、瀬戸さんの兄に会うべきだと思ったからだ。


 タリーズに入ると、大きく手を振ってくる男が見えた。瀬戸颯だ。

 少し会釈して、瀬戸颯の座る席に向かう。


 目の前の男は、俺が席に着くなり、机に頭を打ちつけた。

 「本当に前の件はごめん。今朝の楓の態度で本気で謝らないといけないと思って時間作ってもらったんだ。」

 こいつ、見た目はいいのにだいぶズレてるなと思ったが、今はそんなことはどうでもいい。

 そう、瀬戸兄に瀬戸さんの昔の話を聞ければ、元に戻る手段が見つかるのではないかと思ったのだ。

 指輪を貰う時に、【両者にとって、この指輪が不要になれば】と言っていた。ということは、俺以外に瀬戸さんにも、この指輪が必要な理由があるのではないかと思ったのだ。

 瀬戸さん自身に、その理由は思いつかないらしいけど、瀬戸さんの昔を知っている実の兄ならば何か知っているかもしれないと思ったのだ。


 「今日は、1時間しか話せないと思うから、謝るのは次会った時にしてもらえる?」

 俺は少し突っぱねるつもりで言った。瀬戸さんの中身は太一なんだから、次瀬戸さん自身に戻った時に謝らないと意味がない。


 「あ、あぁ、そうだな。いやぁ、楓もバスケ頑張ってるんだな。うちの高校の女バス強豪校なのに、1年から合宿メンバーに選ばれるのすごいじゃないか。」

 そうか、瀬戸さんと高校は一緒と言っていたな。


 「ありがとう。私なりにすごい頑張ったからね。それにこの前の模試で学年1位にもなったんだよ。」

 フフンと胸を張るように太一は言った。

 瀬戸さん以外の人に自慢出来るタイミングがなかったためか、流れるように最後まで言い切った。


 「あぁ、母さんから聞いたよ。部活もやってすごいじゃないか。」

 太一は、カフェに入ってから初めて唇が少し緩んだ。瀬戸さん以外の人から褒められるのが久し打ちで、なんだかむず痒い気持ちになる。この照れくさい気持ちを抑えようと、注文しておいたココアに手を伸ばし、口元へ持ってくる。

 

 「でも、部活に集中しすぎだから、もっと勉強に専念すべきだろ。」

 口元へ持ってきていた手が止まった。

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