第21話 遠征① 遠征と兄

 体育館に外の空気が舞い込んでくるのがわかる。男子バスケ部と女子バスケ部の練習でサウナ状態の体育館には、嬉しい風だ。風が吹き込んできた方向を向くと、監督と顧問の先生が立っていた。条件反射的に掛け声を掛ける。


 「こんにちは!!!」

 キャプテンの足立先輩の声かけに合わせて、部員が合わせて挨拶する。


 練習に戻ろうとすると、監督がキャプテンに声をかけているのが見えた。

 監督の手には、紙があるのが見えて、合宿の件で集合すると分かる。

 その直後、足立先輩から集合の声かけがあった。


 皆が体育座りで監督の前に座る。監督はパイプ椅子に座っている。

 いつも集合の時は立ったままのことも多いことを考えると、今回は合宿のメンバー発表だと心の準備をつけることができた。朝練もやってきたし、練習試合でも活躍できたから、自分の中で自信のようなものは持っていた。



 「今日は、来月に行う合宿のメンバーを発表する。このメンバーに選ばれた者は、来年のインターハイのベンチメンバーに選ばれる可能性のある者だ。今年のメンバーは18人だ。では、2年から発表していく。」

 少し騒めいた。なぜなら、毎年このメンバーはAチームBチームとチームを2つ作るために20人ほど選ばれる。部員全員で約50人。その中で選ばれなければならないし、2年生だけで23人所属している。今回は例年より2人少ない原因として、まず考えられるのが、自分たち1年生が使えないからだろう。太一は瀬戸さんと積み重ねてきた努力を振り返るも、足りなかったのではないかと不安になる。


 「では、3年から順に読み上げて行く。まず足立……」

 キャプテンの足立先輩を筆頭に、次々とレギュラーメンバーの先輩たちの名前が呼び上げられて行く。序盤は、名前を呼ばれることが確定しているメンバーなだけあって、監督の呼びかけと選手の返事がワンツーをテンポよく奏でていた。


 「ここまでが、3年メンバーだ。次、1年メンバー。」

 参加が確定しているのが全員で18人。呼ばれた2年生が16人。1年生で選ばれるのが2人だけだ。1年生27人いる中で上位2人に選ばれなければならない。太一の目論見では、5人くらい1年生が参加できるならば、メンバーに選ばれる確率は高いと思っていた。しかし、2人だけ選ばれるとなれば、かなり厳しい計算だ。太一は唇を強く締めて喉を鳴らした。

 

 「まず、瀬戸。そして迫田。1年はかなり拮抗しているから、今回選ばれなかったとしてもまだチャンスはあると思って、毎日の練習に励むように。以上。」

 

 太一は監督の発表が終わり、周りの人が立ち始めたあたりで気を取り戻した。名前を呼ばれたのが未だ経験したことのない人生のかかった試験で合格した時のように嬉しかったからだ。


 名前が呼ばれるまでは、もっと努力できた部分を探していた。もっと早く起きれば良かったんじゃないか。練習中の声出しは不十分だったんじゃないか。しかし、その不安は、「瀬戸」の名前を呼ばれることによって、吹き飛び、今までの努力をしてきて良かったという感情に上塗りされる。この感情は、以前に模試で目標を達成した時の感覚に近い。


 練習に付き合ってくれた瀬戸さんへの感謝とこれまで努力を積み重ねた自分への労いの念が一気に押し寄せた。

 もはや、監督が自分の名前を読んだ時、自分はちゃんと返事ができたかどうか分からないが、そんなことは今では細事だった。


 「楓ちゃん! 一緒に頑張ろうね!」

 唯一1年生から選ばれた仲間の明里が声をかけてきてくれた。もう1人選ばれたのが、同期で一番中の良い明里というのも嬉しさを倍増させた。


 「うん、お互い頑張ろうね!」

 太一は可能な限りの笑顔で応える。瀬戸楓の満面の笑みは流石の破壊力で、男子バスケ部のコートからいくつかの視線を感じた。男子からの視線は意外と女子に届いているということが、この体になってみてよく分かる。


 「瀬戸、迫田。1年からメンバーに選ばれたからって調子に乗ってたらすぐ足元すくわれるぞ。選ばれたからには、今以上に頑張らないといけないことを肝に銘じておけよ。」

 足立先輩が釘を刺す。これはキャプテンとしての仕事なのだろうと感じた。特に選ばれなかった2年生の先輩たちからはよくない視線を送られていたから、その代弁なのだろう。誰かがどこかで発散しなければ、最悪部内でのいじめなど人間関係での問題に発展してしまうことになりかねない。そう考えると、足立先輩はよくできたキャプテンなんだと思う。


 「はい!」

 太一と明里は、真剣な眼差しで応える。そう。一旦は、目標を達成したものの、瀬戸さんの勝負はこれからなんだから。体が元に戻っても、瀬戸さんの戦いは続いて行くんだ。そう考えると、中途半端なことはできないと思った。


 ――


 合宿の場所は東京に決まった。学校に朝6時に集合して、バスで1時間半かけて合宿場所に来た。

 東京の高校は駐車場が狭いとかで、近隣の駐車場に停車し、そこから道具を持ってお世話になる学校に向かう。バスケは野球などに比べると道具が少ないため、運ぶ荷物も太一と明里2人と、マネージャーだけで事足りた。

 

 バスから降りて学校まで15分程度らしいが、先ほどから誰か知らない人が名前を読んでくる。

 初めは、反対側の歩道を歩いている男が名前を呼んできた。


 「え、あれ、楓じゃね? 楓〜!」

 大きく手を振ってくる男は、明らかに知らない人だ。しかし、グレーのジャケットにチノパン、髪は整髪料をつけてほんのり盛り上げられていて、とても不審者には見えなかった。むしろ男の太一の目から見てもイケメンの部類に入りそうだ。

 あの人を見ていると、安西流騎先輩を思い出される。やはり、瀬戸楓というアイドルは、いろんなところにファンがいるなと関心させられると同時に、少し不安にもなる。


 「楓ちゃん、知り合い?」

 隣にいた明里が聞いてきた。当然の質問だ。しかし、太一には見覚えがない。でも、どう見ても知り合いのテンションで声をかけて来ている。

 「うーん。知らない人?」

 とりあえず、太一は答えた。

 明里は、「え、やばい人じゃん」とツッコミを入れていたが、まさにやばい人だ。しかし、あれだけ手を振って自分の名前を読んでくるってことは、太一が知らない瀬戸さんの知り合いの可能性が高い。それに、先輩からもチラチラ太一を見てくるから、周りにも迷惑になっていることは明らかだ。


 「ちょっと、やめるように言ってくるわ。先行っててくれる?」

 大丈夫? と明里は心配してくれたが、辺りは開けた場所だし、通行人も至る所に人がいた。さすが東京と思いながら、明里に心配しないでと告げて、自分の名前を連呼する男の元に駆け寄って行った。


 「ちょっとすみません。どなたですか? 迷惑なのでやめてもらえますか?」

 「おいおい、実の兄貴を誰っていくらなんでも寂しいじゃないかー。あのことまだ怒ってるのか?」

 肩を落としたように、ガックリしながら、胸の前に手のひらを合わせて謝るポーズをしながら、清潔感マシマシ男は続けた。

 「久しぶりだな、楓。元気してたか? 部活? 来るなら来るって言ってくれれば応援に行くのに!」

 目をキラキラしながら、目の前のやさ男は、ごめんごめんと謝罪し続けている。

 

 兄貴? 応援?

 俺、瀬戸さんに兄貴いるなんて聞いてないんですけど?

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