第13話 告白イベント② 瀬戸楓 VS 山口薫

 唐突に学年一位の山口薫と勝負をすることになってしまった。


 あれから、瀬戸さんが返事を山口の筆箱に入れることになっている。瀬戸さんが書く可愛い字を太一は書けないので、瀬戸さんに頼むしかない。

 そして、1週間後に迫った模試に向けて、毎日、部活の居残り練習を早めに抜けて勉強に時間を充てるようになった。


 勉強は、基本的に、瀬戸さんが見てくれている。


 授業間の休み時間も勉強に充てるようになった。

 友達との会話も必要最小限でしているが、瀬戸さんも今回ばかりは仕方ないということらしい。


 太一としても、日頃の会話で気を遣うことが減る分、勉強の方が幾分か楽だったから、今の生活が前の生活ほど苦という訳ではなかった。


 それに、太一は今回の模試で勝たねばならないと感じる出来事があった。


 あれは、昨日のことである。移動教室で移動している時、山口薫が瀬戸楓を出待ちしていたのである。

 山口薫は、怒っているような嬉しいような複雑な表情を浮かべていたが、声を聞くと、少し怒っているのかと感じる。


 「瀬戸さん。手紙ありがとう。でも、部活も頑張っている瀬戸さんがまた僕に勝てると本気で思ってるの? でも、もう言っちゃったものは仕方ないよね? 僕が勝ったら約束通り、ね?」

 

 太一は初めて、山口薫という人物を見たが、思ったよりも大柄で、何かスポーツをやっていてもおかしくないと思った。

 そして、そのメガネの奥に見える瞳には、一切の笑いがなく、もし約束を破ろうものなら殺されてしまうのではないかという恐怖も感じた。

 実際に会ってみると、確かに瀬戸さんが嫌がる気持ちも分かる。

 それに、もし、太一が今回の模試で負けてしまうと、この男に今後付き纏われると考えると、寒気がする。

 告白されても断れば良いだけだが、もし、万が一、付き合うようなことがあれば、あんなことやこんなことをこの男としなければならないと考えると、顔を歪めたくなる。


 やはり、負けられない。太一は、山口薫を想像することで、勉強に対するモチベーションを維持していた。



 ――――――



 俺は、負けられない。負けるはずがない。

 そう山口薫は自分に言い聞かせ、今日も机に向かっていた。

 彼の人生は、勉強と受験そのものだった。


 父親は東大を卒業後、全国に支店のある赤色の銀行に新卒入社。母親は、東大に落ち、浪人をしたが、東大合格はできず慶應に進学し、総合商社の一般職として就職。そんな両親からは、幼少期からありとあらゆる英才教育を受けてきた。英語、水泳、ピアノなどなど。


 だが、薫の不器用な性格も相まって、どれもイマイチ続かなかった。

 しかし、そんな薫でも唯一自分に可能性を感じることができたのが勉強だった。薫がどれだけ不器用でも、他人よりもより時間をかけて努力すれば、良い成績を残すことが出来たからだ。


 薫は、自分には勉強しかない、勉強こそ自分の人生を開いてくれると信じ、さらに勉強にのめり込むようになった。

 そんな中、高校入学後初めての模試で、学年で2番になった。

 これは、薫にとって屈辱的な成績だった。気になった。どんな奴が1番になったのか。自分より高い存在が。


 1番になったという女子を見に行くと、その子は薫も知っている有名人だった。

 

「瀬戸楓」


 彼女は、学年1の美少女と噂の人物だ。しかも、部活でも1年生のうちから主力級の扱いを受けていて、それに勉強しか取り柄のない自分より頭がいい。

 薫は、認めたくなかった。スポーツも容姿も優れなかった自分に与えられた唯一の武器である勉強でも、彼女に負けることが、許せなかった。

 それから毎日、瀬戸楓のことを考えて生活していた。

 

 初めは、好きという感情よりも嫌いの感情の方が強かったと思う。

 でも、毎日毎日考えていると、自分でもわからなくなる。


 自分は瀬戸楓のことが好きなのか、嫌いなのか。

 その気持ちを確かめるために、一度告白してみた。


 いや、自分としてはこっぴどく振られて、瀬戸楓のことを嫌いになる材料が欲しかっただけなのかもしれない。

 嫌いになれば、また勉強を頑張れるから。


 しかし、こんな薄い気持ちで告白したにも関わらず、瀬戸楓は優しかった。こんな何の取り柄のない自分にも微笑んでくれた。


 それから、薫は瀬戸楓のことが好きなのだと分かった。

 これが最後のチャンスだと思って、下駄箱に手紙を入れた。


 まさか、返事が返ってくるなんて。

 でも、これは、自分の得意分野である勉強で勝負ができる。唯一瀬戸楓に対抗できることだ。


 これなら、自分にも勝機はある。

 俺は負けられない。薫は、今日も机に向かうのだ。

  


 ――――――――



 高校1年生の模試は、対策がとりやすい。


 習った範囲が少ないというのもあるが、応用して問われる分野が少ないというのも、その理由だ。


 「この問題間違えるということは教科書の内容がまだ理解できてないってこと。教科書もう一度見直しておいてね。」


 「はい。」


 太一は、瀬戸さんから徹底的に基礎を叩き込まれていた。

 教科書の内容を理解しているか、その理解を問題演習で発揮できるか、間違えた問題は何が原因か、その繰り返しだった。


 太一は、ここまで本気で勉強したのは初めてだった。

 どう勉強したらいいかも全て瀬戸さんの言われる通りにしてきたが、授業中の理解度や自分で進める問題演習の手応えから、この方法が正しいのだと実感していた。


 しかし太一には、1つ疑問があった。

 なぜ、瀬戸さんはここまで勉強に打ち込んでいるのか? 太一は瀬戸さんと入れ替わって実感している。その知識量の凄さを。知らないことは無いんじゃないかと錯覚するほど、全能感に浸ることができた。ただ単に勉強が好きなだけなのか、それとも勉強をやらなければならない理由があるのか。前に瀬戸さんが言ってた目標も気になる。


 もう太一と瀬戸さんは、歪な関係だけど、親密度は親友以上だろう。これくらい聞いてもいいよな? ルールでお互いのことは詮索しないというルールがあるが、これは雑談だ。


 「ねぇ、今質問してもいいすか?」

 「いいよ? どこ?」


 「なんで瀬戸さんって、ここまで勉強頑張ってるの? 将来の夢とかのため?」

 「……なんだ、勉強の質問じゃないのか。」


 瀬戸さんのハァというため息が聞こえたような気がした。

 「私ね、医学部に行きたいの。だから、勉強しないといけないの。だから、太一くんも頑張ってね?」


 瀬戸さんは少し間をおいて答えてくれた。

 「医学部? それはすごい。でも、瀬戸さんなら医学部に行きたいって言っても何もおかしく聞こえないな。」


 「何それ? 目指すのは誰だってできるでしょ?」

 電話越しに瀬戸さんのクスクスという笑い声が聞こえてくる。

 でも、太一にはとても医学部を目指すというのは公言できる自信はなかった。それは、太一が勉強できるか出来ないかに関係ないと思う。何か、医学部を目指しても良い人間といけない人間がいる気がして、太一は後者に属すると思っているからだ。瀬戸さんは、きっと偏差値がどんなに低くても医学部を志望すると公言して、そして実現するんだと思う。そういう未来が容易に想像できる。

 でも、太一は自分の人生の一部で、少しでも瀬戸さんのような人の助けになるのなら、頑張る価値はあると感じられた。


 「あぁ、それなら、俺も頑張らないといけないな」

 「ふふ、頑張ってね、太一くんならきっと山口くんにも勝てるよ。」

 このセリフは、瀬戸さんの透き通った少し高めで体に沁みるような声で聞きたかったと太一は少し残念に思った。



 ――――――――



 模試当日。

 希望者だけが受けることができる模試なので、土曜日にある。1年生からこの模試を受けるのは、いくら進学校とは言え、圧倒的少数派なので、全員同じ教室に集められていた。


 模試の成績が出るには2、3ヶ月かかる。これは待っていられないし、今回の模試はマークシートなので、自己採点で山口薫との決着をつけることになった。


 太一は、自然と緊張していなかった。


 それは、あくまで他人事だからというわけでは無い。太一の人生の中で一番勉強したという自負があるからだ。


 自分の中で最大の努力をしてきたならば、周りのことは意外と気にならないものだと思う。


 太一も、チラチラこちらを気にしてくる山口を気にもしない。

 あとはやってきたことを出すだけだ。結果は後からついてくる。

 そう太一は自分に言い聞かせ、ペンを持つ手に力が入る。


 模試は3教科だけなので、午前中に終了し、昼から自己採点した。

 太一の手応えは良いように感じた。だが、太一は、勉強も高校受験のために頑張ったことがあるだけだ。本格的な模試は受けた経験が乏しく、手応えがどの程度あれば良い成績なのかという感覚が分からなかったから、気を抜くことはできない。

 赤ペンを持つ手が震える。

 隣で自己採点をしている山口の反応を見る限り、かなり凡ミスをしていたらしい。

 採点中に「ウソだろ!?」とか、「おい! クソッ!」という声が聞こえてきたから、本来の実力が出ていなかったのかもしれない。

 しかし、ケアレスミスも実力の内だからな。勝負だから仕方ない。


 結果を見せ合い、山口は泣きそうな顔をして、「ごめん」と呟いて帰る支度を始めた。

 太一は山口に勝利した。

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