第12話 告白イベント① 瀬戸楓とラブレター


 瀬戸さんと体が入れ替わってから3週間が経った。


 この前に瀬戸さんに嘆願してから、太一の生活はずいぶん楽になったように感じる。

 勉強時間は、瀬戸さんが用意してくれたまとめノートをもとに理解して覚えるだけで良くなったのがとにかく大きい。

 瀬戸さんのまとめノートは、太一の手で描いたとは思えない丸まった可愛らしい文字で書かれていた。


 太一も瀬戸さんの体で書いた文字が、デカデカと読みやすさだけが取り柄のような文字になったから、文字の書き方は体に依存するものではないんだと気づいていたが、太一の手でも、瀬戸さんの書く可愛い字が書けるのには少し驚いた。

 朝にも余裕ができて、登校する時の気持ちにも余裕ができた。

 前までは、登校時の頭の中は、「誰にも会うなよ。朝っぱらから美少女キャラできねぇから」と「ねみぃ」ということだけだったが、今は、今日の時間割や、友達とは何の話をしようとか考える余裕が生まれていた。

 太一にとっては大きな進歩だ。



 学校について、下駄箱に向かう。

 もう3週間も経てば、下駄箱を間違えることも無くなった。

 初めは、”丸山太一”の下駄箱を開けているところをクラスメイトの陽菜に見られて、「楓ちゃん?」と気まずい雰囲気になったものだ。その時は、寝ぼけていたということで、何とかなった。瀬戸楓のこれまでの信頼貯金はすごいなとつくづく思う。


 もし、太一が”瀬戸楓”の下駄箱を開けているところを見られたら、どうなるのだろう?

 太一は、考えたくないと思考を止めて、慣れた下駄箱を開ける。

 すると、自分の室内用シューズの上に手紙が入っていた。


 太一は、ドキリという感情よりも、ついに来たかという感情の意味合いで、心臓が跳ねた。

 ずっと警戒していたことがある。それは、いつだれかから告白されるかもしれないということだ。


 太一が入れ替わっている体は、学年1の美少女、瀬戸楓だ。いつだれかから告白されてもおかしくはない。だからこそ、太一は、告白された時のシミュレーションを脳内で行っており、防災訓練のようにマニュアルが出来上がっていた。準備はバッチリだ。

 しかも今回は、手紙というこちらの準備がしやすい。太一はこの手紙の送り主に少しばかり好感を抱いた。


 こういう時、まず、瀬戸さんにチャットを送る。

「緊急事態です。1時間目が終わったら、いつものところで。」

 瀬戸さんの既読はすぐにつき、うさぎがびっくりしているスタンプと、OKというスタンプが送られてきた。

 太一は見たことのないスタンプだったので、瀬戸さんが勝手に追加したのだろう。無料だといいな。


 1時間目が終わり、2人同時にならないように、阿吽の呼吸でいつもの3階屋上出口前の踊り場に集まる。


 開口一番瀬戸さんが荒い息遣いで問いかける。

 「どうしたの緊急事態って!?」


 「ああ、これが下駄箱に入っていた。ついにこの時が来てしまったようだ。」

 太一は下駄箱に入っていた手紙を渡す。


 「ラブレター?」

 おそらく、と太一は頷く。


 「今どきラブレターくれる人いるんだね。じゃあ、開けるよ?」

 瀬戸さんは太一が頷くのを待たずに開け始める。




 瀬戸楓さんへ

 瀬戸楓さん、僕は君のことが好きです。

 この思いは、一度君に告白をして断られていたとしても収まりません。

 しかし、一度断った君は、またか、と鬱陶しく思われるかもしれません。

 だから、僕は今度の模試で君に勝つ。

 もし勝てたなら、僕と付き合うことを考えてほしい。

 

 山口薫より




 手紙を読み、瀬戸さんは大きめのため息を吐き出す。

 太一は、瀬戸さんのため息から、この山口という男には脈なしだということを察するが、いくつか聞きたいことがあった。


 「山口薫って聞いたことない名前だけど、知り合い?」

 「1年では結構有名人だよ。入学してからずっと学年1位だしね。」


 「へー。……え? 学年1位って瀬戸さんより頭良いじゃん。次の模試ってヤバいじゃん。」

 「それが、この前の模試で私、山口くんに勝っちゃって……。」


 「え? マジ? それって学年1位ってこと?」

 瀬戸さんはコクンと頷き、続ける。


 「それで、私のこと意識し始めたんだと思う。ちょっと迷惑なんだよね……」

 「ふーん。でも、頭も良いし、1回断られても諦めないところとかは好感持てるけどな。それとも、恐ろしくブサイクとか?」

 太一は何の気なしにポロッと言う。


 「いや、脈ありならまだしも、脈ないのに、何回も告白するのはただただ迷惑なだけだから。」

 太一は、瀬戸さんが初めて人に批判的な意見を言ったことに少し驚いた。それに、と瀬戸さんは続ける。


 「山口くんは、少し、思考が偏ってるんだよね。前回告白された時にも、『僕は、将来が確約された人間だ。高校生にもなれば、ただ顔が良いとか明るいとかいう理由じゃなくて、将来有望な人と付き合うべきだ。そして、君は将来が確約されている僕こそがふさわしい!』って言われたからね。ちょっとありえない。」

 瀬戸さんは、腕を組んで言った。太一は、瀬戸さんのこういう一面を見たことがないなと気づいた。それと同時に、瀬戸さんもこういうことを他の友達とかに相談したり愚痴を言ったりするのだろうかとも気になった。


 体が入れ替わってから友達の相談は受けてきたが、一度も瀬戸さんの愚痴を聞こうという友達は居なかったような気がする。



 「そうだ!」

 瀬戸さんは手を叩いて、こちらに向き直る。


 「逆に、山口くんに手紙を返そう! そして言ってやろうよ! 次の模試で私が勝てば、今後私のことは諦めてくださいって!」

 太一は、ポカンとしている顔をしていると自分でも分かる。対照的に瀬戸さんは、ドヤッとした顔をしている。


 「はぁ!?」

 「じゃあ、よろしくね! もちろん、私もサポートするし、模試までは、部活も最小限で勉強がんばろう!」


 「いやいや、ちょっと! 俺ちょうどこの前、前の生活きついって話したところだよね? 学年1位に勝つなんて無理じゃん!」


 「大丈夫! 前回の模試では私勝ってるし! 負けても付き合うとは言わないし。」

 太一の予想外の方向へ引き摺り込まれる。こんな事態は、当然マニュアルには折り込まれていない。


 「……で、模試はいつ?」

 瀬戸さんはニヤリとして、人差し指を立てて言った。

 「1週間後!」

 1ヶ月くらいずっと頑張るよりも、ちょっとしんどいかもしれないけど、短い間頑張るだけでいいから良心的でしょ? と瀬戸さんは言ってたけど、太一は頭を抱えてあまり聞いていなかった。


1週間後に迫った模試に向けて、毎日、部活の居残り練習を早めに抜けて勉強に時間を充てるようになった。

 勉強は、基本的に、瀬戸さんが見てくれている。

 元々の能力値的には、太一がいる瀬戸さんの体の方が高いが、瀬戸さんの方が自由に使える時間が多いことと、勉強の仕方というのが、身についているから、人に勉強を教えるに関しては、ノウハウが分かっている瀬戸さんの方が良い。

 ちなみに、ノウハウは、知識というよりも思考法にあたるようで、太一は入れ替わっても元の太一のままだった。

 授業間の休み時間も勉強に充てるようになった。

 友達との会話も必要最小限でしているが、瀬戸さんも今回ばかりは仕方ないということらしい。

 太一としても、日頃の会話で気を遣うことが減る分、勉強の方が幾分か楽だったから、今の生活が前の生活ほど苦という訳ではなかった。

 それに、太一は今回の模試で勝たねばならないと感じる出来事があった。

 あれは、昨日のことである。移動教室で移動している時、山口薫が瀬戸楓を出待ちしていたのである。

 山口薫は、怒っているような嬉しいような複雑な表情を浮かべていたが、声を聞くと、少し怒っているのかと感じる。

 「瀬戸さん。手紙ありがとう。でも、部活も頑張っている瀬戸さんがまた僕に勝てると本気で思ってるの? でも、もう言っちゃったものは仕方ないよね? 僕が勝ったら約束通り、ね?」

 太一は初めて、山口薫という人物を見たが、思ったよりも大柄で、何かスポーツをやっていてもおかしくないと思った。

 そして、そのメガネの奥に見える瞳には、一切の笑いがなく、もし約束を破ろうものなら殺されてしまうのではないかという恐怖も感じた。

 実際に会ってみると、確かに瀬戸さんが嫌がる気持ちも分かる。

 それに、もし、太一が今回の模試で負けてしまうと、この男に今後付き纏われると考えると、寒気がする。

 告白されても断れば良いだけだが、もし、万が一、付き合うようなことがあれば、あんなことやこんなことをこの男としなければならないと考えると、顔を歪めたくなる。

 やはり、負けられない。太一は、山口薫を想像することで、勉強に対するモチベーションを維持していた。


 高校1年生の模試は、対策がとりやすい。

 習った範囲が少ないというのもあるが、応用して問われる分野が少ないというのも、その理由だ。

 「この問題間違えるということは教科書の内容がまだ理解できてないってこと。教科書もう一度見直しておいてね。」

 「はい。」

 太一は、瀬戸さんから徹底的に基礎を叩き込まれていた。

 教科書の内容を理解しているか、その理解を問題演習で発揮できるか、間違えた問題は何が原因か、その繰り返しだった。

 太一は、ここまで本気で勉強したのは初めてだった。

 どう勉強したらいいかも全て瀬戸さんの言われる通りにしてきたが、授業中の理解度や自分で進める問題演習の手応えから、この方法が正しいのだと実感していた。


 しかし太一には、1つ疑問があった。

 なぜ、瀬戸さんはここまで勉強に打ち込んでいるのか? 太一は瀬戸さんと入れ替わって実感している。その知識量の凄さを。知らないことは無いんじゃないかと錯覚するほど、全能感に浸ることができた。ただ単に勉強が好きなだけなのか、それとも勉強をやらなければならない理由があるのか。前に瀬戸さんが言ってた目標も気になる。

 もう太一と瀬戸さんは、歪な関係だけど、親密度は親友以上だろう。これくらい聞いてもいいよな? ルールでお互いのことは詮索しないというルールがあるが、これは雑談だ。


 「ねぇ、今質問してもいいすか?」

 「いいよ? どこ?」

 「なんで瀬戸さんって、ここまで勉強頑張ってるの? 将来の夢とかのため?」

 「……なんだ、勉強の質問じゃないのか。」

 瀬戸さんのハァというため息が聞こえたような気がした。

 「私ね、医学部に行きたいの。だから、勉強しないといけないの。だから、太一くんも頑張ってね?」

 瀬戸さんは少し間をおいて答えてくれた。

 「医学部? それはすごい。でも、瀬戸さんなら医学部に行きたいって言っても何もおかしく聞こえないな。」

 「何それ? 目指すのは誰だってできるでしょ?」

 電話越しに瀬戸さんのクスクスという笑い声が聞こえてくる。

 でも、太一にはとても医学部を目指すというのは公言できる自信はなかった。それは、太一が勉強できるか出来ないかに関係ないと思う。何か、医学部を目指しても良い人間といけない人間がいる気がして、太一は後者に属すると思っているからだ。瀬戸さんは、きっと偏差値がどんなに低くても医学部を志望すると公言して、そして実現するんだと思う。そういう未来が容易に想像できる。

 でも、太一は自分の人生の一部で、少しでも瀬戸さんのような人の助けになるのなら、頑張る価値はあると感じられた。


 「あぁ、それなら、俺も頑張らないといけないな」

 「ふふ、頑張ってね、太一くんならきっと山口くんにも勝てるよ。」

 このセリフは、瀬戸さんの透き通った少し高めで体に沁みるような声で聞きたかったと太一は少し残念に思った。

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