第9話 瀬戸楓の感心
太一くんはファミレスでアルバイトをしている。
学校がある日は、19時から22時、休日は日にもよるが、半日ほど働いていた。
楓は昔から、アルバイトは一度やってみたいと思っていた。お金が欲しい気持ちはあまりないが、社会の一員として働いて、お金を稼ぐ経験をしてみたいと思っていた。しかも、アルバイトには大学生や社会人などのいろんな人との出会いもあるだろうし。
しかし、これが楓の想像以上に大変だった。太一くんのバイト先のファミレスは、それほど大きい店舗ではなかったため、ホールスタッフと調理スタッフを分けて採用されていなかった。時間やシフトでどちらをすべきかは分けられているが、どちらかに人が足りていない状況が来れば、応援に行かないといけない。それは何をすれば良いか分かっていても、経験による臨機応変な対応が必要だ。
そして、この能力は、太一が覚えている知識ではカバーできないものだった。
楓は今までスポーツ経験があるため、体力にも根性にも自信があったし、アルバイトは勤務時間が部活の時の時間に比べると、短く、体力練習の走り込みのようなしんどさはない。しかし、スポーツとは比較できない、全く別物の精神的負担があった。
学校終わりにアルバイトがある日は、学校での風景も若干グレーになっていて、アルバイトがない日の朝はよりクリアに風景が見えるような気さえした。
完全に舐めていたのだ。アルバイトの厳しさを。
アルバイトで一人暮らしの家賃代を賄っている太一くんって相当すごいんだなぁと感心させられる。
そして、楓は他にも、太一の人間性について感心させられる出来事を経験していた。
楓が太一として2回目の出勤をする時のことだ。
カランカランと店内に来店を告げる音が鳴り、案内のためにドアへ向かう。同じ高校の制服を着た男子2人が立っていた。楓は見たことがある顔ぶれで、有名人だった、悪い意味で。
同じ高校の3年生だ。
楓は表情を作り、他のお客さんと同じように対応する。
「いらっしゃいませー」
楓が案内用のテンプレートフレーズを言おうとするのを遮られた。
「あ、お前。この前のやつだな。ちょっとつらかせよ。」
そう言って男の大きな手が、楓の肩をガッシリと掴んで、店の外に連れて行こうとする。すごい力だ。楓は何が起こったのか分からない。
「え、え? ちょっと! 困ります!」
楓は声を出して、抵抗する。きっと、太一くんの体でなければ、一瞬で外に連行されていただろう。
「あ? お前が喧嘩売ってきたんだよな?」
楓はますます意味が分からなかった。太一くんが喧嘩を売った? そんなことは楓の知っている太一くんから考えられない。
さらに楓は声を出して抵抗した。これは、外に出されたらヤバいやつだ。そう直感できた。
「ちょっと! どうしました?」
後ろから、男と楓の間に入って止めてくれた。男の手がやっと楓の肩から離れる。
楓は後に下がって、距離を取った。男との間に、店長が来てくれていた。周りを見ると、店内のお客さんが立って、こちらを心配そうに見てくれていた。きっと誰かが店長を呼んでくれたのだろう。
「また、君たちか。出て行きなさい。次来たら学校に連絡するって言ったよな?」
いつも温和な店長が、強い口調で二人組に詰め寄る。
チッ。二人組は舌打ちを残して、帰っていく。
楓は思い出した。前に職員会議で部活が休みになった。その時職員会議の議題が、3年生が駅前のファミレスで通報されたというものだったのだ。この人たちだったのか。
「丸山くん、大丈夫かね?」
店長は、さっきまでとは別人のように優しい声で聞いてくれた。
でも、と店長は続けた。
「一応、学校に連絡入れておくけど、私がいない時にまた来られると助けられるか分からないからね。喧嘩吹っかけるようなことはしなくていいから。」
喧嘩を吹っ掛けた? 太一くんが?
「すみません、喧嘩を、吹っ掛けましたかね?」
楓は、聞き返さずにはいられなかった。
「はぁ、まぁ君の言い分は分かるよ。君は、アイツらが店内でうるさくしていたのを注意してくれた。ここはファミリーレストランでガヤガヤしてるのは仕方がない。でも、アイツらは普通のうるささじゃないからな。注意するなんて、なかなか出来ることじゃない。悪いのは間違いなくアイツらだ。それでも、アイツらが喧嘩腰になるのは分かっていただろう? それに喧嘩腰で返すと、アイツらはやられたままで終われないんだ。そんなこと分かっていただろう?」
楓は店長の言っていることをひとつひとつ飲み込もうとしていたが、それよりも飲み込むのに時間がかかるものがあった。
太一くん、なんて大胆なことしたんだ。あの2人の様子を見ると、めちゃくちゃ怒ってたし、太一くん何て言ったんだろう。でも、楓の思っていた太一くんはそんなことしない。
楓の想像していた太一くんは、自分に火の粉が降ってくるのを避けるために、ダメなことにも目を瞑る人なのかと思っていた。だけど、本当はそういう人ではないのかもしれない。
もしかしたら、あれだけ人間関係を変えたくないって言ってるのにも何か理由があるのかもしれない。
何にせよ、まだまだ太一くんのことを理解できていないみたいだ。
これから、今回のようなミスをしないために、太一くんのことを理解しておかないとね。
「すみません、助けていただいて、ありがとうございました。」
楓は、深々と店長に頭を下げた。
それでも、楓は少しだけ心が晴れているような気分になっていた。
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