第1章 入れ替わり

第3話 入れ替わり①


 太一は帰路についていた。普段なら好きな音楽を聴き、自分の世界に篭って家に帰るまでの時間も自分の楽しみ方を確立していた。しかし、今日は先ほど聞こえた佐々木たちの言葉が頭から離れなかった。音楽を聴いて気を紛らわすことも考えたが、その気にもならなかった。


 これは怒りか、諦めか。それは太一本人も分からないところだった。ただ釈然としない。ぐるぐると頭の中で渦を巻いてる時、1人の男に呼び止められた。


 「おや、君は今出口のない迷路を彷徨っているようだね」


 太一は声の主を見る。

 声の主は、いかにも宗教家という出立をした老紳士だった。黒のスーツに十字架が小さくプリントされた黒のネクタイをしており、明らかに怪しい。


 「あー、宗教とか間に合ってるんで。」

 そう言い残して、さっさとこの場を去ろうとした太一の手を老紳士に握られた。直感的にトラブルに巻き込まれると感じた太一は、握られた腕を振り払おうと腕に力を入れると、察した老紳士は腕を離した。


 「おっと、失礼。私は特に君に壺を買わせたり、多額の会費を払わせたい訳じゃない。これを君に託そうと思ってね。」

 老紳士は手のひらを開いて差し出してきた。その手のひらの上には金色の指輪があった。金色ではあるが、とても高級そうには見えなかった。金であることが逆に安く見えるような作りで、特別な物とは到底思えなかった。


 「もちろん、お金はいらないし、私に返す必要もない。これは私も貰い物でね。君が必要としている物だよ。」

 「どういう意味ですか?」

 太一は咄嗟に聞いてしまった。


 「この指輪は、君が付けて誰かとぶつかればその人と一時的に入れ替わることができるんだ。入れ替わりは、その両者にとってこの指輪が不要になった時に元に戻る。」

 そう言うと、老紳士は太一の手を取り指輪を太一の手に押し込んだ。


 老紳士の手は大きく、ゴツゴツとしていて太一は手に押し込まれた指輪を受け入れてしまった。

 「それじゃあ、幸運を祈ってるよ。」

 「えっ、ちょっと!」

 太一が呼び止める間も無く、老紳士は去っていった。


 太一はこの手の話を信じない。

 しかし、タイミングが良すぎた。

 太一にはこのリングを使う宛があった。あの老紳士の言っていることは99%信じていない。それでも、これは漫画や小説でよくある出来事じゃないか。あの後、家に帰ってこの指輪を調べても特に異常はなかったし、変な物が付着しているかもしれないと思い、念入りに洗ってもみた。特定の人と入れ替われるなんて特別な力があるとは、どう考えても想像できなかった。


 アニメならもう少し禍々しい指輪にするだろうし。

 試して自分に不利益がなく、万が一、成功すればほんの少し面白い日々になるかもしれない。



 魔が刺した。


 明日、この指輪を使って、佐々木淳と入れ替わりを試してみようと思う。

 佐々木の言葉にモヤモヤしていたのは、きっと俺と同じ状況になったことがないからだ。俺と同じ立場を経験すれば、スクールカーストのトップからだけでなく、カーストの外の人間にも気を遣えるようになるんじゃないか。そうすれば、無理に遊びに誘うことなく、そっとしておくという選択肢も生まれるはずだ。俺の立場を経験すれば、佐々木も1週間くらいで同じ気持ちが芽生えるはずだし、この入れ替わりの目的も1週間くらいで達成できる。どうせ入れ替わりなんてできないだろうけど、もしも入れ替われたとしても1週間の出来事だ。大丈夫、大丈夫。



 決行当日。

 計画はこうだ。あらかじめ佐々木の部活カバンから、道具を1つロッカーに移動しておく。誰もいなくなった教室に戻ってきた佐々木と鉢合わせて、ドーンとぶつかる予定だ。

 入れ替わりの指輪も一番目立たなさそうな右手小指にはめて準備万端だ。

 つけてみると思いのほかピッタリすぎて、意外と付けていても生活に支障はなかった。

 今は、帰りのホームルーム中。先ほどの掃除時間に周りの目を盗んで、佐々木のカバンから道具をロッカーに移動しておいた。

 準備は完璧だ。



 こんなもので何も変わらないと頭では分かっている。でも心臓がドキドキしている。計画が無事成功できるかが心配なのか、それとも本当に入れ替わることができるかを心配しているのか分からなくなっていた。ここまできたら、後は実行するだけだ。周りに聞こえないように、ふぅと息を吐き、そっと胸に手を当てる。


 いつもより長く感じた帰りのホームルームが終わり、皆がそれぞれ部活や委員会で教室を飛び出していく。当然、野球部メンバーは一番に教室を出ていった。佐々木も勢いよく出ていったことに、まず軽く胸を撫で下ろす。


 ゾロゾロと教室から出て行き、ついに教室に1人だけとなった。よしと腰を上げ、スタンバイに入る。あとは、教室の隅に隠れ、忘れ物を取りにきた佐々木とぶつかれば良いだけだ。教室の隅にあるゴミ箱のゴミ袋を換えていたという言い訳も考えた。あとは、気づかれずに身を潜めるのみ。


 教室の隅に隠れ心臓の音を隠すように体を小さくしていると、廊下から走ってくる音が聞こえてきた。間違いなく、こちらに向かってくる。足音は徐々に大きくなってくる。ついに来た。心の準備はできた。いくぞ。


 教室の扉が勢いよく開けられる。それと同時に勢いよく、扉の前に飛び出す。

 ドンという音をたて、誰かとぶつかるのが分かった。計算通りだ。ぶつかった衝撃で目を閉じていたらしい。そして、尻餅もついてしまったようだ。

 目をゆっくりと開ける。そこには、突っ立っている“自分”がいた。

 どうやら入れ替わりは成功したようだ。計画通り行きすぎて、怖いくらいだ。


 「ごめんごめ……ん……ん?」


 尻餅をついていたところから、立ちあがろうと目線を下にやると予想外の景色が見えた。



 どこからどうみても野球のユニフォームではない。

 いや、男物の服ですらない。どうやら女性物の運動着。これは、ユニフォームか?

 下を向くと真下を見下ろせない2つの緩やかな丘があり、綺麗に透き通った白い肌でカモシカのような肉付きの良い鍛えられた脚と体育館シューズが映る。



 え?


 「え、わ、私……?」

 “自分”の姿をした者は、ぶつかった衝撃でいきなり目の前に自分の姿が現れたのだから、言葉を失うのも無理はない。



 「え?」

 2人向き合い、目が合う。声に出たのは同時だった。

 どうやら、計画は失敗したらしい。

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