第2話

 私は突如現れた人の言葉を話す狼、アゾットに驚き固まってしまった。

 青色とも銀色とも見える毛並みは、星明かりの下でもキレイに輝いていた。

 喋る度に小さく開く大きな口には、私の持っている短剣と同じくらいの大きさの鋭そうな牙がぎっしりと生えている。

 だけど、驚いただけで不思議なことに恐ろしさはなかった。


「アゾットというのね? 神獣……様?」

「む? 契約を結ぶ前に我が真名を気安く口にするとは。学がないのか、それとも師がまともなやつではないのか」


 アゾットは低く唸るような音を出した。

 その音はまるで空気を直接震わせるように、私の身体まで小さく震えた。

 

「まぁよい。それでも我をその歳で呼び出せたのだ。類稀なる才能を持っているのだろう……ぬ? まだ名前を聞いてなかったな」

「あ、そうだったね! 私の名前はマリー。よろしくね!」

「マリー。良い名だ。ところで、マリーの師は何処にいる? 我と契約を結ぶつもりなのだろう?」

「え? 師? 師って私に錬金術を教えてくれた人のこと? それならお父さんだけど……お父さんは死んじゃっちゃった……」

「なんだと? まさか正式な師を持たずに、我を一人で呼び出したというのか? ふふ……ふははははは!! なんと! パラケルスス以来か? もっとも奴の場合は老い、命の灯火が尽きかける間際だったが」

「きゃあ!」


 今度は大きな口をパックリと開けて笑った勢いで発生した突風で、私はよろけて尻もちをついちゃった。

 それを見たアゾットは笑うのをやめて、目を細めた。


「それでは特別に我が教えてやろう。その短剣で我を切りつけ、『なんじ、我が下僕しもべとなれ』と叫ぶのだ。さすれば契約はなされる」

「下僕? 下僕ってなに? それに、短剣で切ったら怪我しちゃうじゃない! そんなこと出来ないよ!」

「下僕というのはつまり、マリーがあるじとなり、我と主従の関係を作るのだ。それに怪我など――」

「ダメだよ!!」


 今度はアゾットが驚いたような顔をした。

 狼なはずなのに、アゾットは人間の私でも分かるくらいはっきりと感情が表情に現れるみたいだ。

 それがなんだかおかしくて、笑っちゃいそうになった。

 ううん。違う違う。今はそんな話じゃないもの。


「傷付けたり、主従関係なんて! ねぇ、アゾットは嫌じゃないの? 無理やり呼び出されて、いきなり切られて、言うことを聞かされるなんて」

「嫌だと……? ふむ。考えたことなどなかったな。人間の命の長さなど、まどろみの中の夢よりも儚い。そもそも我を呼び出した錬金術師など、多くない。我にあるのは興味だ」

「興味?」

「初めて我を呼び出したヘルメス……今はヘルメストリスメギストスか。やつはあまねく錬金術師の祖となり、神秘を解き明かしそして自らが神になった。逆に自らの傲慢さゆえに破滅した者もいた。人は儚いが、ことわりの外を平然とやってのける。我にはそれは面白いのだ」


 アゾットはさもおかしそうに、でもどこか寂しそうな表情をしているように感じた。

 もしかして、アゾットって私と一緒で一人ぼっちなのかな?


「とにかく。その短剣でさっさと傷を付ける気がないのであれば、話はこれで終わりだ。その短剣によって作られる血の盟約の理が生じ、我が今後もこの世界に留まることが出来るのだから」

「え!? じゃあ、切らないとどうなるの?」

「どうもならん。我は消える。元の世界に戻るだけだが……」

「ねぇ? もしかして、アゾットって向こうだと一人ぼっちなの?」

「なっ……!?」


 私の言葉にアゾットは驚きの表情を見せる。

 狼の驚いた顔なんて、初めて見るから私はとうとう笑っちゃった。


「馬鹿なことを! 神界に戻れば、我はあまねく聖獣たちの王だぞ? この世界に生きとし生けるものよりも多くの臣下を持つ我が、一人ぼっちだと!?」

「でも慌ててる。そっか! 従ってくれる人……獣? がいても、友達とか家族とか、そういう人がいないんだ!」

「…………」


 アゾットは無言で嫌な顔を見せた。

 ついつい失礼なことを言っちゃったかな。


「我のことなどよい。マリーは我と契約を結ぶ気がないということは分かった。このまま時を待っていてもせんなきこと。元の世界に戻るとし――」

「えい!!」


 私は短剣の先でアゾットの脚を少しだけ切った。

 水色の金属光沢を持つ液体が傷から滴り落ちる。

 それを見たアゾットは、明らかに嬉しそうな顔をした。


「なんだ? 気が変わったのか? 良いことだ。それでは契約の言葉を言え。そうすれば我はマリーの下僕となろう」


 私は短剣の柄をしっかり握りしめ、はっきりとした声で宣言する。


「アゾット、私のになって!!」


 叫んだ途端、アゾットから練水のような液体が大量に噴出し、柄にはめられた宝石に吸い込まれた。

 それが終わると、無色透明だった宝石はアゾットの毛並みと同じように、見る角度によって青色にも銀色にも輝く。


「家族? 家族だと? マリー。我を下僕ではなく家族になれと言ったのか?」

「ごめんね。アゾット痛かったでしょう? 待って! 傷によく効く薬なら、私作れるんだ!!」


 急いでポケットから容器を取り出し、練水を溜めようとした。

 だけど、さっきめいっぱい出せる限りの練水を短剣に注いだことをうっかり忘れていたんだよね。

 一度に出せる練水の量には限りがあるみたい。

 だから出そうとしたものの、出せないやって思ったんだけど。


「あれ……? 私練水出せてる? それにこのすみれ色って……」

「ほう! 簡易治癒水ポーションをすでに錬成出来るとはな。本来ならば精霊などと契約してから行うものだが」


 アゾットの声に 顔を上げてみると、鼻先をヒクヒクしながら嬉しそうに大きな口を横に引いてる。

 口からはたくさんの鋭い牙が見えてるけれど。

 

「この液、簡易治癒水ポーションって名前があるの? それより!! 今まで花を浸さないと作れなかったのに、なんでそのまま出せるようになったんだろう」

「それは我とマリーは血の盟約によりえにしが結ばれた。本来とは違う形だが……マリーが作り出した錬成物の内、一定の熟練度をもった物は、我を触媒としていつでも作り出すことが出来る」

「なにそれ!? なんか凄いね!! それじゃあ、アゾットの傷もそれで治せるね!」

「傷など、問題ないと言っただろう」


 そういえば、話とか練水に夢中になってたけど、さっき私が傷付けたはずの脚の傷は、どこだったかも分からないくらい、キレイさっぱり消えていた。


「あれ? この辺りを切ったはずだよね? ……!!」

「人間に付けられた傷など……おい? いつまでやってる気だ?」

「え? だって、アゾットの毛、すっごい気持ちいいんだもん!! むふー!!」


 アゾットの脚に付けた傷を探すために、手で撫でてみると、青銀色の毛がびっくりするくらいに気持ちがいい。

 ひんやりと冷たく、そして滑らかでずっと触っていたくなっちゃう。

 試しに毛の根元まで手を入れてみると、毛は冷たいのに、アゾットの皮膚はとても温かかった。

 ついつい、今度は頬を擦り寄せたくなってしまう。

 これは……気持ちいい!!


「むふー!!」

「何をやっているのだ……怪我など何処を探してもないぞ……おい? いいかげん離れたらどうだ?」

「アゾット! アゾットってとっても気持ちいいんだね!」

「気持ち……いい? なっ! 何をバカなことを言っているのだ! ひとまず離れろ」

「えー! もっとなでなでしたいのにー」


 私は名残惜しくも、アゾットの脚から離れた。

 心なしか、アゾットのお腹の動きが強くなった気がする。

 そうだ。今度はあのお腹辺りに身体ごと埋まってみよう。

 きっと気持ちいに違いないから。


「それよりも! いいか? さっきのはなんだ。家族になって、とは。そんな契りの言葉を発した例は一度もなかったぞ」

「何って家族だよ! 私のお母さんもお父さんも死んじゃったし、グレースさんたちは私を家族とは思ってくれてないみたいだし……ね! いいでしょ? アゾットが私の家族になってよ!」

「そもそも家族とは何をするものなのだ? 昔パラケルススが作り出したフラスコの小人ホムンクルスに自らを父と呼ばせておったが、マリーのことを父と呼べばいいのか?」

「え!? 違うよ! 私は女の子だから、父じゃなくて母……じゃなくて! 絶対アゾットの方が私より年上でしょ! 自分より年上にお母さんなんて呼ばれたくない!!」


 私は地団駄を踏む。

 それを見たアゾットは困り顔だ。


「ならば、マリーの言う家族とはなんなのだ? 下僕とは違うのであろう?」

「えーっと……アゾットって多分性別はオスよね? お父さんは私にとって一人だけだし。お爺ちゃん……っていうのにはなんか違うし……あ! お兄ちゃん!! 私のお兄ちゃんになって!!」

「お兄ちゃん? して。お兄ちゃんというのはどのような存在なのだ?」


 アゾットにそう聞かれて、私はお兄ちゃんという存在に思いを巡らした。

 実際にはお兄ちゃんがいたことはないし、年上という意味ではジャックがいるけれど……


「ううん! なんなのお兄ちゃんなんて絶対いや!! お兄ちゃんは妹の私にうーんと甘くて、優しくて、守ってくれて……」


 頭の中でお兄ちゃんを想像する。

 誰にでも自慢したくなっちゃうような、そんなお兄ちゃん像がどんどん出来上がっていく。


「お兄ちゃんは背が高くて、顔はカッコよくて、力も強いのよね。あ! 頭も良いから、なんでも教えてくれちゃうの!! 私が困った時なんか、どんな時でもすぐに飛んできて助けてくれるのよ!」

「ふむ……中々の傑物のようだな。そのというのは」

「え? あ……あはは! ちょっと盛りすぎちゃったかな?」

「理解したぞ! 下僕としてただ主の命令に従うのではなく、主のために自ら動けというのだな! ふはははは! 中々面白いではないか!」


 なんだか、アゾットは大きな口を開けて大笑いしているけれど、絶対なんか勘違いしちゃってるよね?

 ま、いいか。

 アゾットがいてくれるだけで、話し相手ができたわけだし。

 あ、そうだ。


「ねぇ。アゾット。そんな大きさだと目立っちゃわない? 今は夜で周りに人目がないから良いけど、昼間とかどうしよう?」

「うん? 我が意識的に姿を現さない限り、我の姿を見れるのはマリーだけだぞ? しかし……確かにこれではマリーと常に共にいるには不便だな」

「わ! ちっちゃくなった!? か、可愛い!! きゃー!! ちっちゃくなっても毛はすべすべー!!」


 アゾットはどうやったのか知らないけれど、さっきまでの見上げるほど大きかった背丈から、私の腰の高さくらいまで小さくなった。

 大きさが変わっただけなんだろうけど、目の前に可愛らしい姿の狼がちょこんっていたら、頭撫でたくなるよね!

 撫でたよ!

 すっごくすべすべ!!


「だから、先ほどからなんなのだ! いくら主でも気安すぎるぞ!」

「主じゃないよ。妹だもん。それに、そんなこと言ってるけど、アゾットの尻尾、さっきから振ってるよ?」


 昔お父さんが教えてくれた気がするけど、犬は嬉しいことがあると尻尾を振るんだって。

 ということは、アゾットは狼だけど、きっと頭を撫でられると嬉しいんだね。うん。

 ということで、気にせずアゾットの頭を撫でて毛並みの肌触りを楽しんでいると、私のお腹が盛大に鳴った。


「あ……」

「なんだ? マリーは腹が減っているのか? 我には必要ないが、人間は食べぬとすぐに命の灯が消えるのであろう? 何か食べるがよい」

「そうだね……うん。食べないよりはましだよね」


 私は部屋に置きっぱなしにしている、食事を思い浮かべた。

 パサつき、萎び、硬くなったそれぞれの食事は、正直食欲が湧かないけれど、食べないよりはいいと思う。

 それに、思いがげず短剣が抜けて、アゾットと出会えたけど、私の生活が変わるわけじゃないしね。


「私の部屋に食べ忘れた食事があるの。部屋に戻ろうか。アゾットは私以外の誰にも見えないんだよね?」

「うむ。必要があればこちらから見せることも可能だがな。では、マリーの部屋へ向かうとしよう」


 部屋に戻ると、さっきと変わらぬ風景が広がってた。

 机の上の食事は、心なしかさっきよりもさらに萎びた気がする。

 ひとまず食べようと近づいた途端、アゾットが不思議そうな顔をしたので、私は食事に向けて伸ばした手を止めた。


「どうしたの? アゾット。なんか変なものでも見つけた?」

「変も何も。これがマリーの食事か?」

「え……と、うん。そう。これが私の今日の食事」

「何故、わざわざ【土】に近付いた食品など口にするのだ? 我もその必要があるわけではないが、人間の食事の味は知っている。これは不味いものだ」

「あはは……アゾットもそう思う? 私も美味しくないと思うけど。でも、これしか食べる物がないから」


 私がアゾットにそういうと、アゾットは少し驚いた顔をした。

 そして、私にとって、とても良いことを教えてくれたの。


「マリーは【水】の使いであろう? ならば、この食材に練水を注いでやるといい。多少、細かい調整が必要ではあるが……そこは我がなんとかしよう」

「え!? この萎びた食事に練水を?」

「そうだ。詳しい説明は後でしてやるとして。まずは腹ごしらえが先であろう。良いか? 練水を食材に吸わせるイメージで注ぐのだ。いくぞ!」

「えい!」


 私は半信半疑で、アゾットの言う通り練水を食事に向けて注いだ。

 正直、水浸しになって終わりに思えたし、もしかしたら花を浸した時みたいに、練水の中に食事の何かが溶けてしまって、もっと美味しくなっちゃうかもしれない。

 その時はそうなったらそれで、良いと思ったんだよね。

 でも、結果は私の想像したものとは全然違った。


「え……? わぁ! 凄い!! サラダがこんなに瑞々しい! うそ!? パンがふわふわ! 柔らかい!! 美味しい!!」

「ふむ。そちらの方が何倍も美味であろう? そんなに慌てて口に入れるな……喉に詰まらせてるぞ!? 水だ! 水を飲め! ……水がないだと!? 自分で作れば良かろう!!」


 私は目の前に現れたまるで作りたての食事を、夢中で食べた。

 途中喉を詰まらせて、お父さんとお母さんが見えたり、久しぶりに食べる美味しい食事に涙を流したりと大変だった。

 その度にアゾットは慌てた様子で私に声をかけてくれて、まるで本当に家族ができたみたいで、私は再び涙を流した。

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水の錬金術師~父親を亡くし、引き取られ先の叔母たちに虐げられた天才幼女は神獣と共に明るく元気に幸せな第二の人生を過ごす 黄舞@9/5新作発売 @koubu

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