水の錬金術師~父親を亡くし、引き取られ先の叔母たちに虐げられた天才幼女は神獣と共に明るく元気に幸せな第二の人生を過ごす

黄舞@9/5新作発売

第1話

「おい! 居候!! これも洗っとけ!!」


 従兄弟のジャックがそう言いながら、土まみれの汚れた服を、洗ったばかりの衣類が入ったカゴに投げてきた。

 慌てて取り上げたけれど、濡れた布に土が溶け出し、泥の染みが広がっている。

 私は思わず声を漏らした。


「汚れ物を洗った物の上に置かないでっていつも言ってるのに……それに私にはマリーって名前があるのよ」


 私の非難の声に苛立ったのか、ジャックは足元のカゴを蹴り飛ばす。

 今私たちがいる場所は家の外に設置されている水汲み場。

 辺りはむき出しの土に覆われている。

 中の衣類のほとんどが地面に投げ出され、全部もう一度洗い直さないといけなくなってしまった。


「居候のくせに俺様に歯向かう気か? 親が死んでうちに世話になってるくせして、生意気だぞ!」

「痛い! やめてよ、ジャック! 髪の毛を引っ張らないで!!」


 ジャックは私の伸ばしっぱなしの銀髪を右手で無造作に掴むと、自分の方へ力強く引っ張った。

 私は抗議の声を共に、抵抗の意思を見せるけれど、私と一歳しか違わない十二歳とは思えない体格差のせいで、どうしようもない。

 必死に身体と頭を引っ張られる方向に向けても、ジャックはなおも引いてくる。

 痛みと共にプチプチと音が聞こえ始めたころ、家の中から叔母であるグレースさんが叫んだ。


「ジャック! どこにいるんだい!? そろそろおやつの時間だよ! 中にお入り!」

「はーい! 母ちゃん。今すぐ行くよ!!」


 グレースさんの声に、ジャックの力は緩み、もう私にへの興味など一切ないといった様子で返事をしながら家へと走っていった。

 ジャックがいなくなった後、私はホッと溜息をひとつ。

 痛む頭を優しく揉むと、地面に散らばっている泥だらけになってしまった衣類をまだ洗っていないカゴの中に入れ、タライに新しい水を汲みだした。

 冷たい水が手に染みるけれど、日があるうちに洗って干さないと、今度はグレースさんに怒られちゃう。

 優しかったお父さんの妹だとは思えないくらい、グレースさんは怖い人なので、怒らせないようにしなくちゃ。


「おやつかぁ……お父さんが生きてる時に一緒に食べた甘いお菓子。美味しかったなぁ」


 洗い物をする時はついつい独り言が出てしまう。

 この家に来てから、おやつなんて一度ももらったことがない。

 ジャックは十時と三時に二回も食べているのに。

 そんな不満を話しかける相手もいないから、思い出すのはいつもお父さんが生きてた頃の思い出。

 お母さんは私の記憶にないくらい小さい頃に亡くなってしまったらしい。

 

「お父さんは優しい人だったから、きっとお母さんも優しい人だったんだろうなぁ」


 優しかったお父さんと、顔すら記憶にないお母さんのことを思いながら、私はひたすらにカゴの中の衣類をタライに溜めた水で洗い、絞って別のカゴに入れていった。

 グレースさんの家はワインを作るためのブドウ農家で、採ったブドウは足で潰される。

 その時に飛び散ったブドウの果汁で、服はべとべとした赤いシミが付く。

 この赤い染みは水に溶けにくく、ひとつだけでも洗うのは一苦労。

 全部終わるころには、手のひらも腕も痛くなってしまった。

 またジャックに汚れを付けられないようにと、私は急ぎ足で裏庭へカゴを運び、干すために張られた紐に衣類をかけていく。


「ふぅ……これでよし! あーまた手が大変なことになっちゃった……」


 冷たい水の中で何度も服を擦ったりしたため、手のひらの表面に小さな傷がたくさん出来、赤くなってしまっている。

 洗濯に使う石鹸も、肌に影響があるのか、いつも使った後は振れたところがヒリヒリと痛む。

 私はいつも通りに、裏庭の一角にこっそり栽培している赤い小さな花弁を持つ薬草を数本摘み、ポケットにいつも入れてある容器をひとつ取り出して中に入れた。


「えーと……誰もいないよね?」


 私は容器に右の手のひらを向けて、念じる。

 お父さんが生前に見せてくれたの一つ。

 周囲の熱く湿った【風】を冷やすと【水】になる。

 お父さんは四元素っていう話を教えてくれたけど、まだ小さかった私には難しくて、きちんと理解できたのは、この【水】は普通の水とは全く違うもので、錬水と呼ばれるものだということ。

 それと、私ができるのも錬水を作り出すことだけだ。

 初めてお父さんの前でほんの小さな水滴を作れた時は、すっごい喜んでくれたっけ。

『お前は天才だ!』

 なんてはしゃいでいたけど、今思うとかなりの親ばかだったのかな。

 そんなことを考えているうちに、容器の中には十分な量の錬水が満たされた。

 徐々に花の色が錬水へと溶け込んでいき、花弁は灰色に色あせ、代わりに錬水は鮮やかなすみれ色へと変わった。


「うん! キレイな色! これをこうやって……」


 すみれ色に染まった錬水を傷だらけの両方の手のひらに擦り付ける。

 すると、みるみるうちに傷や痛み、赤みが消えた。

 どうやら錬水には薬草などの成分を溶かし、薬になる効果があるみたい。

 小さい頃に私が熱を出した時に、お父さんが飲ませてくれたらすぐに良くなった薬は、もしかしたらあれも錬金術で作られたものだったのかな。

 私が作れる薬はこのすみれ色の薬だけだけど。

 お父さんに色々聞いてみたいけれど、もう聞くことは出来ないし、グレースさんに一度錬金術の話をしたら、ひどく叱られたから、それ以降は話すのをやめた。

 見られるのも良くないんじゃないかと思って、こうやって使うときに辺りを確認する癖も自然についてしまった。

 

「さーて。最初に干したものは……うーん。まだ乾いてないや。晩御飯までに乾くかなぁ……あれ?」


 ふと庭の端に目を向けると、そこにはうずくまっている子犬がいた。

 私は思わず子犬の元へ駆け寄った。

 ただ休んでいるにしては様子がおかしい様な気がしたから。

 近付いて見ると、まるで殴られたり蹴られたりしたような傷がいくつも出来ていた。

 子犬は近付いた私にずっと威嚇の唸り声をあげている。

 ひどい……いったい誰がやったんだろう。

 ふと、ジャックの顔が思い浮かんだけれど、すぐに頭を振った。

 証拠がないのに人を疑ってはいけないと言っていたお父さんの言葉を思い出す。


「とにかく、怪我をどうにかしないと……この薬でも付けないよりマシかな?」


 私はもう一度赤い花弁の薬草を摘み、先ほどと同じ自分の手のひらを治したすみれ色の薬を作る。

 その薬を子犬の怪我に振りかけた。

 本当は私がいつもやっているように直接塗ってあげたかったけれど、ここまで警戒されてちゃ無理に障らない方がいいと思って。

 実際どのくらい効果があるか分からなかったけれど、どうやら効果はあったらしい。

 苦しそうな吐息は出なくなり、代わりに嬉しそうに尻尾をしきりに振っている。


「良かった。少しは良くなったみたいね。でもごめんね。これ以外の薬は作れないんだ。お医者さんじゃないからちゃんと治ったか私には分からないし……あ! 大変! そろそろ日が暮れちゃう!!」

 

 大慌てで干していた衣類を紐から取り外しカゴに入れていく。

 キレイになった衣類でいっぱいになったカゴを掴むと、家の中へ急ぐ。

 中に入るとすでにグレースさんたちは夕食を始めていた。


「おや。今頃終わったのかい? まったく……。まぁいい。あんたの飯ならいつも通りそこに置いてあるから、勝手に食べな」

「はい……ありがとうございます」


 私はグレースさんの食卓に載っている、美味しそうな焼き色をしたお肉や、青々とした葉や真っ赤な実などが入った色鮮やかなサラダをついつい見つめてしまう。

 湯気が立ち昇っている温かいスープも。

 そしてガタついた古い台に置かれている自分用の夕食に目を向けた。

 見るからに堅そうなパンといつのだったか分からない残り物。

 肉なんてずっと食べたことがないし、お皿に乗っている野菜や実は萎れて色褪せているし、冷めたスープも、今日はあるだけましな方だ。

 いつものことなのに、今日は美味しいものが食べられたお父さんとの楽しかった食事を思い出し、涙が出そうになってしまった。

 すると、グレースさんが嫌そうな顔つきで私に向かって手を振った。


「なんだい。そんなところにじっとされちゃ飯が不味くなっちまうだろ? さっさと自分の場所へおいき」

「あ……すいません!」


 私は自分の夕食が乗ったトレイを持って慌ててその場から離れようとした。

 食事はグレースさんとは別の場所、自室で一人で、というのが決めごとだったから……と、思いがけず声をかけられ、振り向きかけた身体を元の位置に戻す。


「ああ、そうだ。マリー。あんたも明日でやっと十二歳だろう。ようやく、に入れる歳だ。早速明日には紹介しに行くからね。これまであんたを育ててやったんだ。きっちり稼いで恩返ししな」

「母ちゃん! 俺知ってるよ! 店って金持ちのおっさんたちが来るところだろ? こんなちんちくりんでも売れるのかな? あははは」

「あんたはそんなこと知らなくたっていいんだよ! まったく……いったいどこでそんなろくでもない話を聞いてくるんだろうね?」


 私はこれ以上話を聞きたくなくて、返事もしないで早足で自分の部屋へと向かった。

 部屋に入ると、小さなテーブルの上に夕食を置く。

 こんなものでも食べられるだけましだと思っていたけれど、さっきのグレースさんの話を聞いた私は、とても食べる気になんてなれなかった。

 店の話は、お父さんが死んで、初めてグレースさんに会った時に聞いた。

 十歳だった私はいまいちよく分かってなかったし、その後ははっきりと話に出たことがなかったから、心のどこかで希望を持っていた。

 今は私に興味を持ってもらえなくても、良い子にしてれば、きっとグレースさんたちも私のことを好きになってくれるって。

 だけど違った。


「あはは……私、なに夢見ちゃってたのかな……グレースさんが私のことどう思っているかなんて、今まで嫌っていうほど見てきたのに……」


 お父さんが死んで悲しそうなはずなのに、笑顔でいるなんてひどい子だって言われて、笑うのをやめた。

 声がうるさいと言われて、はしゃいだり、大声をあげるのをやめた。

 忙しい、邪魔だと言われて、私から話しかけることをやめた。

 他にも色んなことをやめたし、ほとんど文句も言わずに言われたことを守ろうとした。

 でも、意味が無いって今気が付いた。


「うん! やめよう! 誰かのために自分に嘘つくなんて」


 笑いたい時は笑えばいいし、大声だって出していい。

 話したいことがあるなら、聞いてくれる人を探さなくちゃ。


「でも、問題はこれからどうするかよね……今の私じゃ、一人で生きていくのが難しいのは確かだし……あ! お父さんの短剣!!」


 私は部屋の中に隠してある箱を取り出した。

 お父さんからもらった大切な短剣が入っている箱だ。

 グレースさんには絶対見つかってはいけないと思って、ずっと隠してたままの短剣。

 短剣といっても、その刃を私は見たことがない。

『マリーがもう少し大きくなったら。きちんとそれを扱える時が来たら、鞘から抜けるようなおまじないがかかってるんだよ』

 お父さんはこの短剣を私にくれる時、笑いながらそう言ったっけ。

 試しに短剣を鞘から抜こうとしてみる。

 抜けない。

 まるで鞘と柄がくっついちゃってるみたいだ。


「うん!……ダメか……これが抜けたら、何か変わるかと思ったんだけどな……お父さんが抜けるって言ってたんだから、絶対に抜けないってことはないはずなんだけど……あ!!」


 私は今になって、お父さんの言葉の続きを思い出した。

『それは錬金術師にとって、一人前の証なんだよ。そして、精霊との契約の証でもある。マリーは【水】の素質があるみたいだから、きっと【水】が好きな精霊が来てくれるよ。ご覧? ここにキレイな石がはめてあるだろう? ここに精霊が大好きな【水】を沢山あげるんだよ』

 そうだ! 石だ!!

 私は柄にはめ込んである無色透明な石に意識を集中した。

 なんでこのことを忘れていたんだろう。


「錬水のことだわ!! えっと……ここよりも外がいいわ。でも……グレースさんに見つかったら? そうだ! 窓から出ればいいんだわ!」


 私は音をなるべく立てないように、部屋の窓を開けた。

 湿ったひんやりとした空気が頬をくすぐる。

 短剣を両手に抱えると、窓から外へと飛び出し、裏庭へと駆けだした。


「ここがなんとなく一番うまくいく気がする」


 私は作れる限りの錬水を石に注ぐイメージで作っていく。

 どのくらいの量の錬水を注いだか分からないけれど、これ以上出せないと思うまでとにかく出し続けた。

 気が付くと、さっきまで湿っていた夜の空気は、真夏の昼のように乾いていた。


「これで、抜けるかな……?」


 私は恐る恐る短剣の柄と鞘をそれぞれの手で掴み、ゆっくりと左右に広げた。

 さっきはどれだけ力を入れてもビクともしなかった短剣が、何の抵抗もなくするりと抜けた。


「わぁ……キレイ……」


 初めて見る刀身に、私は思わずうっとりとしてしまう。

 青い輝きを放つ刀身は、触れるとひんやりと冷たかった。


「ほぅ……これほどの錬気。どれほどの者かと思えば、幼子おさなごではないか」

「え? 誰!?」


 突然の言葉に私は驚き、声をあげ辺りを見渡す。

 だけどどこにも人は見当たらなかった。

 その代わり、見たこともないような大きな狼が目の前に佇んでいた。


「きゃあ!!」

「落ち着け。人の子よ。我を呼び出しし幼き錬金術師よ。我の名は【アゾット】。水と銀を司りし神獣なり」


 アゾットとの出会いが、この後の私の人生を全く別のものしてくれるなんて。

 この時を境に、灰色だった私の生活は、虹色へと色を変えていった。

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