第12話


「私の好きに生きる……」


 馬車に揺られながらぽつりと呟き、サンドラは自身の手に抱えられたカサブランカのブーケを見下ろした。先ほど終わった結婚式のブーケトスの際、偶然サンドラの手元に落ちてきたものだ。

 ……いや、偶然でもなかったのかもしれない。最後にマチルダと話せたとき、『あんたに届くよう、力いっぱい放り投げたわ』とどこか誇らしげに彼女は言っていた。


 サンドラはくすりと微笑み、ブーケを胸に抱く。

 そうして屋敷の前で馬車を降りたサンドラは、軽やかな足取りでルーン伯爵家に帰ってきた。


「サンドラっ! ……っ!」


 玄関ホールにあるソファに腰掛けていたらしいユーリスが、満面の笑みでサンドラを出迎えた。そのままこちらに駆け寄ってくるかと思いきや、ユーリスは息を呑んでその場に立ち尽くす。


「ユーリスお義兄様?」

「っ、す、すまない……めかしこんだお前が美しくて、思わず心奪われた。ああ、本当に水色のドレスが世界一よく似合ってる。お姫様みたいに綺麗だ」

「あ、ありがとうございます……」


 うっとりとした表情で告げられる賛辞に、サンドラは苦笑に近い照れ笑いをした。

 ユーリスがサンドラを過剰に褒めるのはいつものことだ。もしかすると、ユーリスの目には本当にサンドラがお姫様のように映っているのかもしれない。


 サンドラはユーリスを見上げ、少しためらいながら口を開く。


「……少しお時間よろしいですか? ユーリスお義兄様にお話したいことがあるのです」

「ああ、もちろん!」


 うれしそうなユーリスに背中を押され、ふたりはユーリスの自室に移動した。

 お茶の準備を終えた侍女はそそくさと部屋を出ていき、室内にはサンドラとユーリスだけが残される。

 昔は過度な接触をしないよう執事が目を光らせていたが、今はそれもない。それどころか、最近では早くくっ付いてしまえばいいのにと屋敷中の人間が思っているらしかった。


(他人事だからって、みんな簡単に言ってくれるわよね)


 紅茶を飲みながら、思わず苦笑がこぼれる。けれど、自分たちの仲を応援してくれる皆がさほど憎らしくはなかった。


「マチルダの結婚式はどうだった?」

「それはもう素晴らしかったです。マチルダ様の花嫁姿は本当にお美しくて……!」

「お前の花嫁姿の方がきっと綺麗だよ。そして、俺は世界一幸せな花婿になれる」


 ユーリスは揚々とそう言った。

 そんなユーリスに対し、いつものサンドラなら苦笑したり、照れ笑いをしたりして、話題を逸らす。

 けれど、今日のサンドラは穏やかな表情でユーリスを見つめるだけだった。それに気付いたユーリスが、意外そうに目を丸くする。


「サンドラ?」

「──今日から、ユーリスと呼んでもよろしいですか?」


 緊張しすぎて、語尾が少し震えた。

 サンドラが息を呑んで返事を待っている間、ユーリスは呆気に取られたように口を半開きにしていた。そんな顔ですら愛嬌があるように見えてしまうのだから、美男子はずるい。


「…………え、あっ、も、もちろんいいとも! お前と俺は従兄弟だが、兄弟ではないし、歳も二歳しか違わないし、むしろその方が自然かもな!」


 ユーリスもなにかしらの予感を覚えているのか、捲し立てるような早口だった。

 強張った表情で互いにしばし見つめ合った後、サンドラは徐に口を開いた。


「……ここ最近、というか……もうずっと前から、自分がどうしたいのか、どうすべきなのか、考えていました」

「……ああ」

「長い間返事を待たせてごめんなさい」


 ユーリスの喉がごくりと動いたのがわかった。

 ふたりはじっと見つめ合う。

 サンドラは軽く息を吸ってから、真剣な声で言葉を紡いだ。


「ユーリス、私と結婚を前提にお付き合いしていただけますか?」

「…………」

「あなたにはいずれ、私の花婿になってほしいのです。私のことを大切にしてくれた、私の大切なユーリスに、私の花婿になってほしい」


 そう言って、サンドラはずっと胸に抱いていたカサブランカのブーケをユーリスへと差し出した。

 ……しかし、なかなかユーリスは動きださない。呆然としたように固まって、サンドラの差し出したブーケを見下ろしている。

 そうして、長い沈黙にサンドラが不安を覚え始めたあたりで、ようやくユーリスはそのブーケをおずおずと受け取った。


「……これは、今日の結婚式で?」

「はい。マチルダ様のブーケを、幸運にも私が受け取りました」

「そうか……つまり次の花嫁はお前で、次の花婿は俺なわけだ……」


 その瞬間、ユーリスの顔がくしゃりと歪む。

 今にも泣いてしまいそうなそのユーリスの顔にサンドラは驚いたが、彼が涙を流すことはなかった。代わりに破顔して、ユーリスはサンドラを強く抱きしめてくる。


「っ!? ゆ、ユーリスおに……ユーリス……?」

「ありがとう、サンドラ。本当にありがとう……」


 ユーリスの声は少し涙ぐんでいるように思えた。

 自身を抱きしめるその腕の力強さに驚きつつ、サンドラもおずおずとユーリスの背中に手を回す。


 恋だの愛だのはサンドラには難しい。

 初めての恋に傷付けられた思い出は今もサンドラの胸に残ってるし、この傷痕が消えることもないのだろう。


 けれど、ユーリスなら信じられる。

 ユーリスとだったら、サンドラはどんな人生だって幸せになれると──否、自分がユーリスを幸せにしてあげたいと、そう思った。


「ユーリス、待っててくれて……ずっと私を好きでいてくれて、ありがとう」


 ユーリスからの返事はなかった。代わりに、ユーリスの抱擁が強くなる。

 その熱い抱擁と、カサブランカの甘い香りに包まれて、サンドラはゆっくりと目を伏せた。

 自分とユーリスはきっと幸せな夫婦になれる──そんな予感がした。





 ユーリス・アズライトがユーリス・ルーンを名乗るようになるのは、それから約一年後の春のこと。ふたりの間に可愛い双子の赤ちゃんが生まれたのは、それからさらに二年後の秋のことだった。



 【完】

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【完結】真面目だけが取り柄の地味で従順な女はもうやめますね 祈璃 @minamiiori

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