十話


「な、何事です!?」


「ここは神聖な場所ですよ!」


「中には怪我人もいるのに!」


 マグヌス村の修道院にシスターたちの怒声が響き渡るが、それも長続きしなかった。


「「「「「ひっ……」」」」」


 彼女たちの首元には、侵入者――グレートゴブリン族の精鋭――たちによって冷たい刃があてがわれていたからだ。


「いくらバカな人間どもとはいえ、今の状況は理解できますわよね? 少しでも騒げば命を落とすことになると」


 その長である王女リリン=グレムハイドの右の口角が吊り上がる。


(初めから、これが狙いなのですことよ。ここさえ制圧すれば、クレアが帰ってきたとしても大丈夫ですから。人質がいる状況では、人間という生き物は無力なのですわ……)


「その子たちを放しなさい。この私が代わりに人質となりますから」


「あら、随分と勇気がおありなのですわねえ」


 奥から現れたのは修道服の女性は、この状況に一切怯む様子を見せずリリンと対峙してみせた。


「確か、修道院長のメアルでしたわね」


「よくご存知ですね。そうだとわかったのなら、即刻シスターたちを解放して私を人質にすることです」


「フンッ。どこまでその威勢を保てるのか、楽しみですわ。お前たち、お望み通りにしてあげますわよ!」


「「「「「イエッサー!」」」」」


 リリンの命により、シスターが解放された代わりに、メアルの首元に幾つもの刃が光る。


「嗚呼、メアル様……」


「メアル様、どうか、ご無事で……」


「ひっく、メアル様、申し訳ありません。まさかこんなことになるなんて……」


「あなたたち、泣くのはおやめなさい。こういうときこそ心を強く持たなければなりません」


「言いますわね。クレアが戻ってきて、あなたの前で八つ裂きにされたとしても、そんなことが言えるのかしら?」


「……そのようなことをしても、あなたは救われません」


「はあぁ!? ざけんじゃねえですことよ!」


 リリンが怒りの形相で短剣を喉元にやると、シスターたちの悲鳴とともにメアルの足元に血が滴る。


「「「「「メアル様ぁー!」」」」」


「掠り傷です。なんともありません。落ち着きなさい」


 微笑んでみせるメアルの姿に、シスターたちが泣き崩れる。


「いつまでそんな生意気な口が叩けると思ってるんですの? クレアとともにわたくしたちの土地を奪い、お父様を殺しておいて、よくもぬけぬけと聖人面ができたものですわねえぇ……」


「…………」


「あのとき、わたくしはまだ幼い子供でした。グレートゴブリン族で最も勇敢な戦士だったお父様は、最後までわたくしたちやこの土地を守ろうと人間どもと戦い、立ったまま果てるという壮絶な最期を遂げたのですわ。とどめを刺したのがあの憎きクレアであり、その相棒として戦地を駆けまわっていたお前だったのですわよぉ……」


「そうでしたか、あのときの……」


「クレアを目の前で殺したら、次はお前の番ですわ。あとは抵抗しなければ見逃してあげますから、心配せずにあの世へと旅立ってくださいましね――」


「――そこまでだ」


「だ、誰ですのっ……!?」


 はっとした顔で振り返るリリン。


 まもなく入り口から姿を現したのは、誰が見てもわかるほどに異様な殺気を纏った一人の青年だった。


(な、なんですの、この恐ろしい気を放つ人間は……。聞いてませんわ。こんなやつがどこに隠れていたというのですの!?)


「驚いたかな? 少しだけ殺気を解放してやったんだ」


 その男は、不敵な笑みを浮かべながらゆっくりと歩いてきた。


「お、お前たち、何をしてるんですの!? 早くあの男を始末しなさいっ……って、そ、そんな……」


 リリンの部下たちは、シスターらとともに挙って泡を吹いて倒れてしまっていた。


「へえ、君はまだ喋れるのか。根性だけはあるみたいだね」


「お、お……おふざけはそこまでですわっ!」


 謎の男から得体のしれない空気を感じ、リリンは強い吐き気とともに逃避したい衝動に駆られるも、歯を食いしばり敢然と立ち向かっていった。このマグヌス村の土地は、元々グレートゴブリン族の根城があったところだ。それがクレア一味によって滅ぼされ、父は討たれた。だから、何が何でも仇を取るのだと。


(わたくし、絶対にこんなところで終わるわけにはいきませんの。お父様、どうか見ていてくださいましね……!)


「へえ、僕とやろうっていうのか。面白い。じゃあ、存分に力を出せるように殺気は抑えてあげるよ」


「そっ……その余裕が命取りですわああぁぁっ!」


 叫び声を上げることによって心身を奮い立たせるリリン。グレートゴブリンが人間と決定的に違うのは、身体能力、身軽さと思われがちだが、実は視力だと彼女は思う。


 視力は何も、遠くを見るためだけにあるものではない。霧がかかった不明瞭な場所や、真後ろに近い場所でも即座に見ることができる力だ。だから、そもそも人間などに負けるはずがないのだと。


 この人間が言う殺気というものが唯一の気懸りだったが、人に対する恨みなら負けてはいないと気持ちを強く持つ。


「はああぁぁっ!」


 リリンは身軽かつ俊敏な動きで男を翻弄し、死角から次々と連続攻撃を浴びせかける。男はかわすだけで一切反撃してくることもなく防戦一方だ。やはり、この男の言動は虚勢だった。クレアならともかく、こんな弱そうな人間が自分に勝てるはずはない。そう確信したそのとき、信じられないものを見た。男が眠そうに欠伸してみせたのだ。


「ふわあぁ……。これじゃあまりにも退屈だな。お互いにスピードアップのバフをかけようか」


「ちょ、ちょっと……あんた、頭おかしいんですの!?」


「ん? 僕はバフ使いだからね。試してみたくなったんだよ。というかもう使ってある」


「は、はあぁ!? いくらなんでも舐め過ぎですわ」


「そうかな?」


「身軽なわたくしたちと鈍い人間にスピードのバフをかけたらどうなるかもわかりませんの? 数倍恩恵を受けられるのはどう考えても敏捷なほうですわよ。回避と虚勢は得意なのかもしれませんが、必ず後悔させてあげますことよおおおぉっ!」


「くっ……」


 バフを受けたリリンのスピードは、最早普通では目視不可なスピードにまで達しており、人間の男はかわしつつも険しい顔つきに変わっていた。


「それご覧なさい! とっても苦しそうですし、避けられるのも今の内だけですわねえ。もうすぐ、この短剣でズタズタに引き裂いて、わたくし専用のぬいぐるみにしてさしあげますわっ!」


「……いや、その程度かと思ってね」


「え……?」


「ちょっとでも期待した僕が馬鹿だった。そろそろ終わらせよう」


「うっ!?」


 リリンは人間に何をされたのかもわからなかった。気が付けば激痛とともに横たわり、男を見上げていたのだから。


「……ご、ごほぉっ……ど、どうして、ですの……?」


「確かに君の言う通り、身軽な人外にかけるバフと人間にかけるバフでは、明らかに前者が恩恵を受ける。だが、バフは殺気の量と質に最も影響を受ける。それが圧倒的に僕のほうが上回っていた。それだけさ」


「……そ、そうだったんですのね。でも……人間を殺したいっていう気持ちなら、わたくしだって……絶対に負けてませんのに……」


「つまり、恨みってわけか。でも、それは純粋な意味での殺気じゃない。生き物を死へと誘う死神は人を恨んでる? そういうイメージは持たれないよね」


「…………」


「むしろ君は優しすぎるんじゃないかな。人間の世界でも、繊細で優しい心の持ち主ほど人を恨む。引き摺ってしまうんだ。夢を見るほどにね。だから、僕は君に楽になってほしい。憎しみという重い荷を下ろしてほしいんだ」


「……で、でも、このままじゃお父様が、あまりにも可哀想で……。どうか、いっそわたくしを殺してください。そうすれば、また一緒になれます……」


 リリンの目元から涙がとめどなく流れ落ちる。


「君の優しさはその言葉と涙が証明してる。もう充分苦しんだじゃないか。無念の死を遂げた父親ももういいって言うはずだよ」


(……お父様、ごめんなさい……。もうしばらく、あの世でお母様と一緒に待っていてください……)

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