八話
モリウス村の使者から援護要請を受け、馬車に乗って目的地へと向かうクレア=アデリヤード。
あれからしばらく時間が経過したものの、彼女の表情はマグヌス村を発ったときと同じくぼんやりとした冴えないものであった。
(【英雄】どころか、【神】といっても差し支えないシャドウ様がこのような辺境の地におられるはずがないのは重々承知している。だが、やはりどう考えても解せないことがあるのだ……)
クレアは思い返していた。治る見込みがまったくなかった右肩の傷が唐突に完治したことや、シェイドによく似た男が新たに村人として入ってきたことを。
(治るはずのなかった古傷が治ったことといい、あの方によく似たシェイドとかいう新しい村人の存在といい、自分が知らないところで何かが起きつつあるということだろうか――)
そこまで考えたところで、クレアがはっとした面持ちになる。
(――ま、まさか、あの男がシャドウ様なのでは……?)
「クレア様、顔色が優れないようですが、お体の具合でも悪いのでしょうか?」
「…………」
御者が怪訝そうに振り返りつつ訊ねるも、クレアからの返答はなかった。
「クレア様――?」
「――あははははっ!」
「っ!?」
突如、クレアが大声で笑い出したので御者が面食らう格好になる。
(シェイドという男の正体がシャドウ様だと? 何を戯けたことを考えているのだ、自分は……。確かに彼は名前にしても容姿にしてもシャドウ様にそっくりというか瓜二つだが、姿形が似ている人間など別段珍しくもあるまい。比べるまでもなく、纏っている雰囲気が極端に違うではないか。それこそが完全な別人であることの証左だ……)
クレアはさも可笑しそうに別人だと結論付けたあと、一転して物憂げな表情で頭を抱えた。
(……あ、嗚呼ぁ……、自分は綺麗事を並べておきながら、自身の手を真っ赤に染めてきた極悪非道な女だ。相手が人間の一族ではないとはいえ、かつてその頭領を幼い娘の前で殺してしまったのだから。だが、ああしなければ自分がやられていた……)
いつしか、クレアの足元は頬から零れ落ちる液体によってじゅっくりと濡れてしまっていた。
(自分は弱すぎる……。シャドウ様、もしいるならこのクレアにお仕置きしてほしい。あの方にならどのようなことをされてもいい。むしろ笑いながら何もかもを蹂躙してほしい。不甲斐ない弟子としてありとあらゆる罰を受けたい。あの方が望むなら喜んでこの命を捧げられる。それほどまでに崇高な師匠なのだから……)
狂気ともいえる感情を心の中で吐き出し続けるクレア。その異様さは表にも滲み出ており、それを覗き込んだ御者が怯えた様子で目を逸らすほどであった。
(フフッ、小鳥たちまで笑っている。自分のどうしようもない未熟さ、捻じれた恋心を嘲っている……)
何かに反応したのか一斉に小鳥の群れが囀りとともに飛び立ち、クレアは病んだような暗い瞳で薄笑いを浮かべてみせた。
◆ ◆ ◆
「お前たち、準備はできましたの?」
「「「「「イエッサー!」」」」」
モリウス村の近辺では、グレートゴブリン族によって投石機が幾つも用意されており、腕を組みながらそれを眺めた王女リリンが恍惚とした表情を浮かべる。
「ほほほっ。これで勝つる。勝てますわ……。わたくしたちの手で、汚らわしい人間どもを一匹ずつ踏み潰してさしあげますのよ。さあ、撃ちなさい!」
「「「「「ウイッス!」」」」」
リリン=グリムハイドの指示により、配下たちの手で投石機が稼働し、乗せられた岩が次々とモリウス村に投下される。
「い、岩が落下してきたぞっ!」
「て、敵襲か!?」
「敵が来るぞおおぉっ!」
「逃げろーっ!」
「「「「「うわああぁぁっ!」」」」」
「クスクスッ……。これからわたくしたちが攻めてくるとでも思ってますのぉ? 何も知らずに逃げ惑って本当に滑稽ですわ。相変わらず人間というのは単純ですわねえ」
モリウス村の住人たちがこれでもかと混乱する様子を、リリンは目を細めて小ばかにしたように見下ろしたあと、真剣な顔つきに変わった。
「さあ、ここからがいよいよ本番ですわ。すぐに投石機の向きと角度を変えますわよ!」
「「「「「準備完了っ!」」」」」
投石機の方向が北北西、角度がおよそ40度に変えられたのを見届けたのち、リリンは勝ち誇った顔で人差し指を咥え、高々と掲げてみせた。
「――今ですわよ。いい風が吹きましたわっ!」
「「「「「オーッ!」」」」」
そのあと間髪入れず投石機に乗せられたのは、リリンを含むグレートゴブリンたち自身であった。
彼らはほとんど時間を置かずに次から次へと発射され、高く跳び上がった。
「飛んで飛んで飛んで飛んで飛んでっ、飛びますわーっ!」
「「「「「ヒャッホウ!」」」」」
リリンたちは樹々が小さく見えるくらい舞い上がったあと、持ち前の身軽さと身体能力を最大限に活かし、まさに翼を広げた大型鳥のように風に乗り、しばらくの間飛行し続けることに成功した。
「お前たち、そろそろ落下しますわよ!」
「「「「「ウオオオォォッ!」」」」」
地面が近付いてきたタイミングで、彼女たちは衝撃を和らげるべくクルクルと体を回転させながら、木々をクッションにする格好で見事着地してみせる。
「――フッ、こんなものですわ……」
葉っぱまみれになりつつもリリンはドヤ顔で両手に腰をやり、余裕のポーズを取ってみせる。
(ふう。正直不安もありましたが、なんとかなりましたわね……。一気にマグヌス村まで行けるわけじゃありませんけれど、ここまで来ればもう充分ですわ。厄介なのはマグナのみ。もし間抜けなクレアがわたくしたちから出し抜かれたことに気付いたとしても、時すでに遅しですことよ……)
「「「「「……」」」」」
「お前たち? さっきから一体どうして黙ってるんですの? そういえば、やけに下半身がスースーしますわね――はっ……」
まもなく、リリンはとんでもない事実に気付いた。自分の着ていた服のスカート部分がズタズタに破れてしまっており、お尻が丸出しになっていることに。
「きゃ……きゃああああぁっ! ……み、見たら死刑ですわよっ!?」
尻を隠しつつしゃがみ込むリリンの顔が、見る見る赤らんでいく。
(く、くうぅっ……。こ、こうなったのも全部、愚かな人間どもが悪いんですわ。必ずや、わたくしをこんな恥ずかしい目に遭わせたことを後悔させてさしあげますことよぉぉぉ……!)
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