七話


 この国に存在する五人の【英雄】の一人、バフ使いのシャドウがシェイドと改名して辺境のマグヌス村を訪れてから二日目の早朝。


 まだ肌寒さと薄暗さが名残惜しそうに居座る中、シェイドを含む、村の人間たちが村長のマグナによって広場中央に集められていた。


「ふわあ……」


「こら、シェイド、ダメですよ? こんなときに欠伸しちゃ」


「う、うん」


「そこははいでしょっ」


「は、はい」


 シルルにたしなめられて気まずそうにうなずくシェイド。お姉さん感をより強くしたいという彼女の一方的な理由で今日からいきなり呼び捨てになった上、一人前の男になるまで毎日のように世話をしますと宣言されてしまったのだ。ちなみにその際、名前にちゃん付けすることも提案されたのだが、シェイドはそれだけは勘弁してほしいと頑なに拒否した。


(まるで子供扱いじゃないか。なんか納得いかないけど、僕はここに来てまだ二日目だし、放ってはおけないんだろうね。ま、怖がられるよりはマシなのかな……)


「「「「「……」」」」」


 そんなシェイドとは対照的に、ほかの村人たちは物々しいほどの緊張感に包まれていた。


(それにしても、こんな朝っぱらから人を集めて、一体何があったっていうんだろう? 僕の世話役のシルルはともかく、修道院にいる怪我人や治療中のシスター以外みんないるっぽい。村長のマグナって人がこれから何か話すみたいだけど……)


「コホン……。えー、これからだな、おめーらにすこぶる大事な話があるからよく聞け! 少し前に山腹にあるモリウス村から使者が来て、モンスターに囲まれているから至急援護してほしいという要請が入った。とてもじゃねえが、俺たちじゃ太刀打ちできねえ数なんだそうだ。だから、クレアが遠征のために今からここを離れなきゃならねえ!」


「「「「「ザワッ……!」」」」」


 苦々しい顔をした村長の説明によって、集結した村人たちから悲鳴に近いどよめきが上がり、シェイドはクレアの存在がこの村でいかに重要視されているかを理解することができた。


 村人たちから不安そうな面持ちで注目されているその当人はというと、マグナの隣でシェイドのほうを向いて何やら考え事をしている様子だった。


(そういえば、あのクレアって人、僕が昨日、自然回復力を限界まで引き上げて古傷を治した女性だけど、それ以前にもどっかで見たことあるような……?)


 首を傾げるシェイドだったが、気怠さも手伝ってまもなく考えてもわかりそうにないという結論に至った。


「まあ、あとのことは全部俺に任せてくれ、クレア。絶対に、この俺が何が何でもこの村を守ってみせるからよ……」


「…………」


 キリッとした顔で宣言してみせるマグナだったが、クレアがまったく反応しなかったことで、子供たから『村長様がクレアに振られちゃった!』『可哀想……』『あたちが恋人になってあげるー』等、同情するような声が次々と上がる。


「お、おい、勝手に俺が振られたことにすんな、そこのクソガキどもっ! っていうかだな、クレア、昨日からおかしいぞ。こんなときに何ぼーっとしてんだ!?」


「……え、あ、悪い、ちと考え事をしていた。シャドウ様がこんなところにおられるはずはないのだ。マグナ。自分がいない間のことは、頼んだぞ……」


 マグナの剣幕に対し、クレアが夢を見ているかのような表情でそう返した。


「ったく。シャドウシャドウって、来るわけないんだからいい加減目を覚ませっての。ま、心ここにあらず状態でもお前なら楽に殲滅できるだろうけどよ。さあ、みんな、クレアを送り出すぞ!」


 そのあと、クレアは馬車に乗り込んで大勢の村人たちに見送られながら村を発つのだった。


「――さて……おめーら。そういうわけだから、クレアがいない間、このマグヌス村は俺たちが守らなきゃならねえ。いいか、そのためにこれから猛特訓するから覚悟しやがれっ!」


「…………」


「おいそこ、新人のシェイドだったか、聞いてるか!? ぼーっとするな!」


「…………」


「おい、聞いてるか――」


「――聞いてますけど?」


「あ……そ、そ、それならいいんだ。わりいな……」


 つい、村長に対してほんの少し殺気を浴びせてしまい、正体がバレないように気をつけなきゃいけないと反省するシェイド。彼は別のことに気を取られていたのだ。


(今、誰かに見られていたような? それも、ここからじゃ普通は目視できないくらい遠くからで、しかも殺気を帯びた視線だった。これは、何かが起きる前触れのような気がする……)




 ◆ ◆ ◆




「「「「「……」」」」」


 マグヌス村で繰り広げられている光景を、遥か遠方の山の中からじっと見つめている者たちがいた。


 薄らとした緑色の肌色と鋭い歯牙を持つこの種族のことを、人はグレートゴブリンと呼ぶ。尋常ではない身体能力、身軽さ、視力を誇り、人間とほとんど変わらない見た目や知能を持っているのが特徴だ。


 とはいえ、ここからは距離があまりにも離れすぎているため、ほとんどのゴブリンたちにとっては村の様子がぼやけて見えるのだった。


「あなたたちは、どう? 見えるかしら?」


「「「「「……よく見えません……」」」」」


「ほほっ、まあそうでしょうね。わたくしとは出来が違いますもの」


「「「「「……」」」」」


 その中でただ一人、彼らが凝視している村で何が起きているのか、村人たちの細部の動きまで鮮明に見ることができる人物がいた。


「フフッ……見える……わたくしには見えますわ。くっきりはっきり、おぞましい人間どもの姿だけでなく、滑稽すぎる仕草や表情まで、憎たらしいくらい手に取るように……」


 口に手を当てて微笑むこの少女こそ、グレートゴブリン一族の中でも並外れた能力を持つ、王女リリン=グリムハイドである。彼女の視界では現在、一人の女性が馬車に乗ってマグヌス村を発ったところであった。


「計画通りですわ。やつらは、わたくしたちが近くのモリウス村を襲撃すると見て、頼みの綱であるクレアを遠征に行かせました」


「「「「「おおっ!」」」」」


 リリンの話を聞き、取り巻きたちから歓声が上がる。


「あの厄介な女剣士クレアがいなくなり、さらに村長のマグナが村人たちに訓練をさせているので、やつらがヘトヘトになった頃を狙いますわよ」


「「「「「はっ、リリン様!」」」」」


(ほほほっ……。この日が来るのをどれだけ待ち望んでいたことか。今に見ていなさい。必ずやマグヌス村を滅ぼし、父上の仇を討ってみせますわ。人間たちがわたくしたちから故郷を奪ったように、大事なものを何もかも奪い尽くしてやりますの……)

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