精神科医・詩月竜司の相談治療日記

黒崎吏虎

第1話 子羊①人気子役「科瀬りほ」のカルテ(前編:負荷から生まれた本音)

「サタニウム症候群」_______別名「突発的ヒステリック症候群」。


人が突如として、常人には考えられないような自傷行為をしたり奇声を発して周囲を困惑させ恐怖させる、七つの大罪『憤怒』を司る悪魔・サタンから取って付けられた精神病である。


通常の精神安定薬ではとてもではないが効果がなく、心療内科医や精神科医が匙を投げるほどのものであった。


患者は今はまだ500人ほどだが、これが広まれば日本社会が根底から崩壊する、とまで一部界隈では言われるほど、普通の内科医ならお手上げの代物が「サタニウム症候群」なのである。


日本でこれを治療できるのはただ一人、若き天才精神科医と呼び声高い詩月竜司しづきりゅうじのみである。


彼の拠点は長野県に位置する「詩月メンタルクリニック」。


ここには彼の噂を聞きつけた、通常の精神状態に戻すことを求め、老若男女県内外問わず、患者が訪れるのである。





「先生!! ちゃんと身だしなみくらい整えてください!! 今日のお昼に患者様が来るんですよ!?」


ワイシャツのボタンがだらしなく開け、椅子に脚を組んでもたれかかる格好をしている竜司を嗜めるのは、助手で今年25歳になる新人精神科医・大澄遥佳おおすみはるか


竜司は内科医としての腕は確かなのだが、普段の生活はとことんだらしがない男だ。


竜司の年齢は32歳、普通この年齢の医者に患者が集まり、ましてや独立して開業医を生業にしているのも異例であり異端でもある。


趣味は競馬、性格は研究熱心だが我関せずで美容にも気を遣わない男だ。(ただし顔はいい)


明るく勝ち気で、しっかり者の遥佳には相性自体は最悪………のように見えるが、阿吽の呼吸でなんだかんだ息は合っている。


この光景も彼らにとってはいつも通りのことだ。


「大澄、いつも言っているだろう? 慌てていたって何も始まらねえ、ってよぉ??」


「で、ですが!! いくら注意しても直そうとすらしてませんよね!? そんなんだから彼女のひとつだって出来やしないんですよ!!」


「………別に、俺に媚を売る女は腐るほど見ているからな、お前みたいに、ピーチクパーチクとカラスみてえにやかましい女は少ない、寧ろその方がやりやすいまである。」


「誰がカラスですか!!! ………まあ、それはともかく、今日の患者様ですがね! 人気子役の『科瀬しなせりほ』ちゃんなんですよ!! 芸能人ですよ!? それなのになんですか、今日という日に限ってそんな格好って!! だらしないったらありゃしない!!」


「はいはい、分かった分かった。芸能人な? ネットニュースでもたまに出てくるしな、名前くらいは知ってるさ………それで? クソ忙しい間を縫って診療所ウチに来るとはよっぽどだな? 何か言ってたか? 予約のヌシは。」


途端、竜司の目が鋭くなる。


興味の方向がそちらに向いたようだ。


遥佳はこう述べた。


「………どうやら撮影の前後で急にテーブルの角に頭をぶつけたり………何か分からない言葉を叫んでたり、その前後にからマネージャーさんも困っている、とのことです………」


「………なるほどな、マネージャーからのタレコミか。こりゃあ、相当ヤベエな。、そんなところか。」


竜司は眉間に皺を寄せるどころか、「実に面白い」というような顔をしていた。


だが本人の口から聞いていないので、なんとも言えないところなのが常識人の遥佳としてはそこが気掛かりだった。


「何故“重症の一歩手前”」と見ても聞いてもすらいないのにそう断定できるのか。


理解が出来る道理が彼女には到底なかった。


「………なんで、先生は………分かるんですか………?? ちゃんと診察もしていないのに………??」


「………典型的な『サタニウム』だ。それに今回は拗れたら面倒臭えケースになりかねねえ。お前が話した文脈から見りゃぁ、俺が直接見なくてもなのさ。」


「??? だから診察しなくても分かる理由が____」


「御託は要らねえぞ、大澄。“アレ”の手配をしとけ。すぐだ。」


「わ、分かりました…………」


疑問の解消にもならないまま、遥佳は昼の診察の準備に取りかかったのであった。




 さて、昼12時。


患者である科瀬りほとマネージャーの女性が診察室へと訪れていた。


科瀬りほは現在10歳、小学4年生の人気子役である。


今年大河ドラマで重要な役割の少女時代で人気を博し、そこからトントン拍子で月曜9時ドラマ主人公の娘役まで掴み取ったのだから、演技力が相当高いのだが………


りほの症状はマネージャーが予約の際の電話で言った通り、なんの前兆もなくテーブルの角に頭を打ち付けたり、楽屋内で奇声を発したりしているようである。


普段は無口で学校でも目立たないような大人しい子であるのだが………何故か撮影の前後になると其れが出るとのことらしく、このままだと撮影に支障が出る、と危機感を覚えたマネージャーが連れてきたようだ。


「なるほどな………事情は分かった。期待されて今役者として軌道に乗り始めた矢先に、という感じか。」


「え、ええ………私としても………どうしたらいいか、って思ってて………本人も直したいと思っているんですけど………他の診療所どうにもならないようで、あなたを紹介されて訪れた、という感じです………」


「………ま、誰だって心配なんざかけたくねえだろうよ、特にガキが大人に対してするのはな。そうだろ? 嬢ちゃん。」


りほは少し青ざめた顔でゆっくりと頷いた。


(………単に人見知りでそんな顔してるんじゃ、ねえだろうな………原因は………話を聞いてる限りでは、だろうな………ま、察しは付いてるがな。)


「………マネージャーのネエちゃん、ハッキリ言うが………コイツぁ“サタニウム”だ。それも、適応障害タイプの、クソ面倒臭えタイプだ。」


「て………適応障害………!? そんな………!! りほちゃんは役者としてこれからなのに………!!」


マネージャーが動揺した様子で竜司に泣きそうな目で訴えた。


「………別に、役者を辞めろとは言ってねえだろ、落ち着け。コイツの場合は撮影に行く事自体が。別の何かだ。そこで、だ。何か心当たりがあるか? まず家族構成を聞きてえんだ、嬢ちゃんの、な。」


竜司がりほに視線を向ける。


りほは震えた声で母だけだ、と喋った。


そして竜司はマネージャーに視線を向け、診察で深掘りしていく。


「ネエちゃん………お母さんの職業は分かるか?」


「いえ………専業主婦、ということくらいしか………」


「………チッ、地雷を踏んだな、こりゃあ………そんで? 普段の格好はどうだよ、お母さんの。」


「なんというか………とにかく派手、でして………ブランド物ばかり買っていて、ですね………」


遥佳はなぜ、こんな質問をしたのか、腑に落ちていなかった。


りほのプライバシーに関わることを易々と聞き、そして母のことまで踏み込むとは、到底診察のようには考えられなかった。


「………ま、これで原因は分かった。”俺は“確信したが、ちゃんとした原因は本人が感じたことにしか分からねえものだ。とりあえずよ………サタニウムに対しての薬は出しとく。詳しいことは処方箋を通して薬剤師に聞きな。」


「あ……ありがとうございます………ところで原因って_____」


「ネエちゃん、それは本人にしか分からねえ、つったろ? とにかく今日はアンタが家に付いてやれ、嬢ちゃんによ。今回の件は………アンタが重要なんだ。ガキひとり家に居させるのは、になりかねねえからな。」


「わ、わかりました………先生、今日はありがとうございました!」


マネージャーが感謝の言葉を述べ、りほもペコっと軽く頭を下げた。




こうして2人は帰ったのだが………遥佳が竜司に今回のカルテを見て問い詰めていた。


「先生………なんで、本当の原因を話さないんですか………?? いつも、思うんですけど………」


「サタニウムを治すのはよぉ………ちゃんとした原因を伝えちゃあ、いけねえんだよ。」


「??? それに家庭の事まで根掘り葉掘りしたりまでして………一体何が_____」


「ストレスだ。」


遮るように、遥佳を制するように竜司は断定するかのごとくそう発した。


「す、ストレスって………!! それだったら精神安定剤でも十分じゃ………!!」


「ストレスってのは日に日に溜まっていくものなのさ。自分でも知らねえ間にな。それが脳神経にな、んだよ。」


「き、寄生って………!! あ、アニサキスとかそんな感じにですか………!?!?」


「そうだ。実際にもカマキリに寄生するハリガネムシだったりカタツムリに寄生するロイコクロリディウムだったり………自らが子孫を残すために他の生物に寄生する寄生虫みてえにストレスが感情を司る脳神経系を覆い込んで、且つストレスが羅罹者を洗脳するんだ。」


「え…………」


「まあ今頃………りほは”あの薬“を飲んでいるところだろうさ。俺が発見して治療薬の開発に共同で着手して、今に至るのさ。ま………お前以外の同業者には絶対に教えねえが。」


遥佳は絶句して声が出なかった。


サタニウムの根本的原因がまさか、”ストレスにある“だなど思いもしていなかったからだ。


それを尻目に竜司は続けた。


「あの薬………『エデン・アップル』はな、覆っているストレスを取り除き、原因となっているんだよ。ガキひとりじゃどうにもならねえ、って言ったろ? ………ま、明日には答えが出てるだろうさ。」


竜司は治療法までも遥佳にサラッと口にし、冷徹ながらも奥に熱のある目で遥佳を見やったのである。





 その頃、りほの方では。


自宅のマンションにて、母であるまきが無言で高級ブランドのチラシを眺めていた。


りほは無言で弁当を食べ、マネージャーは日記帳に仕事内容を記入していた。


(このバッグ高いわね………250万、か………この子にはもっと稼いでもらわないとね………仕事、バンバン入れてもらおうかしらね………)


どうやら金蔓としか娘を捉えていないような思考回路で、まきは邪な事を考えていた。


だがそう思った直後、りほがポツッと、まきとマネージャーにとって、そしてそれを発した本人も思わず顔色を曇らせる、を言ったのである。


「お仕事辞めたいな…………」


「「!?!?」」


(えっ…………!?!?)


りほが咄嗟に、何でもないと言わんばかりに両手で口を抑えた。


が時既に遅し。


静寂の中で聞こえたその独り言を聞いた2人は対照的な表情をしていた。


マネージャーは動揺と焦りでオロオロし、まきは信じられない、といった険しい顔で。


「なん………ですって…………!?!?」


まきが怒りを滲ませて発したその言葉が、事態を急変させることになるのであった。


まさに竜司が「最悪の事態になる」と予期していたように。

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