プラダを脱いだ悪魔③

 自宅に帰って、あれだけウキウキ着て行ったタイトスカートを脱ぐ。目の前に翳して始めて、悔しくて涙が出た。ジワッと視界が滲み、レースの繊細な模様が曖昧になる。


 このブランドは、私がモデルになれなかったブランドの商品であった。今はもう無いブランドで、つまり二度と買えない。私はモデルにはなれずともそのブランドのアンバサダーをやっていたことがあり、ぽっちゃりした女の子たちとあれこれお喋りをしたり、デザイナーさんとお話をしたり、楽しい時間を共にした証でもあるスカートだった。

 だから捨てられなかったんだろうな、とその表面を撫でる。

 美しい服である。着る人間が最も綺麗に見えるように、そして最も楽しくなれるように設計された服。私はその服がどれだけの労力で作られたものか、概要を掴んでいた。


 広げたゴミ袋を置き去りに、一旦煙草を吸う。久し振りに気を遣って、部屋の外、ベランダに出て吸った。秋の風が髪を撫で、黒い空に白い煙が溶けていく。

 三本吸って私は漸く泣き止んで、部屋に戻った。


 ゴミ袋を広げる。


 捨てたのは、スウェットパンツの方だった。


 私には確かに隙があったのだ。好きだったお洒落をやめて卑屈に背中を丸め、足を引きずって歩く。喫煙所の床に座り込み、眉間に縦ジワを刻んでボソボソ話す。それが突然浮かれたように見えたのだから、それは隙以外の何ものでもない。

 好きな格好をすれば良い。好きな靴を履いて、好きに振る舞えば良い。不必要に自らを捻じ曲げることはきっと良くないことである。


 私はスウェットパンツや襟ぐりの伸びたセーターをバサバサ捨てて、音楽をかける。有名な映画の主題歌である。あの映画の中で主人公は、無意識に自らを捻じ曲げながらお洒落を始めて、最後に自分を取り戻した。私とは逆だけれど、私も自分を取り戻した。

 あのブランドはもう無い。でも可愛い服はいっぱい売っている。世の中にはスウェットパンツ以外の服も多い。

 花柄のマーメイドスカート、デザイン違いのものを二枚と、ボウタイブラウスをネットで買い足す。歌いながら仕舞い込んでいた他のヒールを並べて、私はちょっと笑った。爽快だった。


 その日のアイシャドウはくすんだピンクである。下瞼にアクセントに紫を僅かに入れる。リップはローズベージュ、リップラインを取ってブラシで塗った。チークもローズ系を淡く入れる。丁寧に作り込んだ肌、柳のような柔らかな眉に仕上げ、髪もウェーブを綺麗に出す。

 その日履いたのは新しいスカートだ。モノトーンの花柄の、フリルの華やかなマーメイドスカート。手持ちの黒いニットを合わせて、華美になりすぎないようなアクセサリーを選んでつける。時計はかつて父が私にプレゼントしてくれたお気に入り。香水は好きなブランドのものをレイヤードした。


「おはようございます」

 職場に顔を出せば、久々にシフトが被った友人がいた。彼女は眉を上げてパッと目を大きくし、ややあって笑う。

「可愛いじゃん。どうした?」

 さて私は僅かに目元を緩めた。自意識過剰にも予め用意していた答えを口にする。

「私はいつだって可愛いよ。お前がいつも可愛いのと同じだよ」

 いい歳でも、太ってても、拗ねて背中を丸めなければ女は可愛いものである。


 さてここからは余談である。

 例えば従業員トイレに行く時、例えば退勤時、エトセトラエトセトラ。

 「お疲れ様です」に対し、他所の店の人間からも返事があるようになったのだ。きっと周囲から感じていた敵意は私が発していたものがこだましたものであったのだろうと認識している。

 どんなに疲れていても喫煙所では背筋を伸ばして立っているし、何なら肌を気にして軽い煙草に乗り換えた。


 きっと私は今、ハタチの頃より可愛い。

 ハタチの頃は彼氏に好かれたくて可愛くしていたけれど、今、私は自分を好きでいたくて可愛くしている。

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音を置き去りに走って生きるし一箇所にジッとしてない 藤田夢弐 @fujita_yumeji

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