五章 銀翼の記憶 第三話
地場の領主たち、それに領土欲にかられた小貴族達といった厄介な友軍を即座にまとめ上げ、ナフシスのラミドア平原攻略戦は始まった。
元々は小領主たちの小競り合いから始まった無計画な戦とはいえ、彼は武勇で名高いシュロ―の血統が生んだ正真正銘の天才である。個としての強さは申し分がなく、軍を率いればその用兵は的確である。対する氷竜国は誰が指揮を執っているのかも定かではない。本来、国軍の最高指揮官は竜候である。新しい竜が生まれていない灼竜国はともかくとして、氷竜国には氷竜候がいるはずだが、氷竜国は同時に亜人族との戦も抱えており、氷竜候とその配下の軍はそちらに出払っているという噂があった。それならばそれで、灼竜国のナフシス同様、辺境伯が対応にあたるべきではあるが、敵方はそのような様子を見せていない。まだ辺境伯が出てきていないのか、それともナフシスのようには軍をまとめ上げられなかったのかは定かではないが、灼竜国側はナフシス到着後、わずか数週間で平原付近の敵方の城と砦の多くを落とした。
ターバリスはまだ戦場に出る事は許されていなかったが、野営地での雑事をこなしながら、ナフシスの一挙手一投足から学ぼうとしていた。雪はまだ降らなかったが、時期は既に冬。戦場の寒さは厳しかった。与えられた仕事は多かったが、ターバリスは嫌ではなかった。朝に味方を送り出しては、夜に凱歌と共に彼らを迎える。彼らの浴びた血の匂いと、高らかに歌う凱歌は彼を高揚させた。
敵の要所はあらかた落とし、もはや平原の攻略は目前となったある日、ナフシスがターバリスに「明日の戦にはついてこい」と言った。
まもなくこの戦は終わる。ただ雑用だけしていたのでは学びも薄い。自分の目で戦場を見て学べ――ナフシスはターバリスにそう言い、ターバリスは嬉しさのあまり小躍りしそうになった。わが師にして、兄とも慕うナフシスが指揮を執る姿が見られる。今は小姓の身だが、いずれは自分も騎士として戦場に立つ。そのために学ぶ機会を与えられたのだ。
翌日、彼は日の出よりも早く起きた。後方で見るよう言われているとはいえ、何が起きても良いように全ての支度を万端に整え、出陣を待った。
出陣のぎりぎりまで各所に指示を出すナフシス、彼の命令に従い、先発隊の将たちが鷲獅子で飛び立っていく。そして、ようやくにして彼の番が来た。ナフシスの隊が残りの軍勢を率いて飛び立ち、まだ鷲を与えられていないターバリスは歩兵や騎兵たちと肩を並べて、馬で出陣した。
やがて戦場が見えた。既に味方の先発隊は平原の各所に布陣を終え、あとはナフシスの号令を待つばかりとなっている。かたや敵方の氷竜国も既に布陣を殆ど完了しているように見える。
ターバリスは両軍の布陣を見ながら後方の丘に置かれた本陣に入った。ターバリスが今日命じられている事は、この丘上から戦場を見て学ぶ事である。平原近くの敵の城は既に残り一城となっている。今日の攻防に勝利すれば、残り数日の内にその城も落とせる。敵も丘を背に布陣し、そうはさせまいと守ってくるだろう。普段は後方の陣から指揮を執るナフシスも今日ばかりは自ら兵を率いて前線に出るらしい。
この数週間の攻防で、灼竜国軍は大きく優位をとっている。両軍ともに損害を出してはいるが、灼竜国の側は主力であるシュロ―家の空騎兵たちを殆ど失っていない。その反面、氷竜国側は主力部隊の損害が大きかった。拙い連携の中、経験のある将への負担が集中したためである。平地での戦いは制空権を取った方が勝つ。空の戦いを有利に運び、陸戦を支援し、敵の陣形が崩れたら、そのまま空騎兵たちが上空から突撃をかける。空での戦いはこちらに分がある。それにナフシスが特に優れているのは、敵軍の乱れを察知する能力である。軍は生き物であり、呼吸がある。呼吸が合っている軍は強く、合わぬ軍は力を出せない。ナフシスは敵軍のほんのわずかな呼吸の乱れを見逃さず、勝利をものにする能力に長けていた。敵に優秀な指揮官がいないこの戦場ではその能力が遺憾なく発揮され、ここまで連勝を続けていた。
やがてどちらかの太鼓が響いた。弓兵が矢を放ち、空騎兵たちが上空で交戦を始める。陸で、空でせめぎ合う。陸上の歩兵、騎兵たちは陣形を崩さぬよう、まずは耐えるのが役目である。弓で交戦し、馬で撹乱しながらも、自陣がやられぬよう注意して動く。そして、空の決着を待つ。もし、空で負ければ、即座に退却しなければ戦線が崩れる。逆に空で勝てば、陸と空から同時に攻めたて、相手の陣形を一気に崩す。そのどちらでも対応できるよう陸は慎重に、空は果敢に、両者攻め合う展開が続く。
ターバリスはそれをどきどきしながら見ていた。初めて見る戦場、そこは高揚、不安、緊張、好奇、様々な感情がないまぜとなった混沌の空間であり、そのどれもが彼の鼓動を早めた。剣を学び、槍を学んだ。しかし、本物の戦場は初めてである。彼は周囲の物音も聞こえぬほどに集中し、食い入るように戦場を見ていた。
事前に敵は連携に難があると聞いていたが、実際見てみると敵も中々にやる。ナフシスが直接率いる空騎兵部隊は押してはいたが、敵は要所で援護しあい、崩れぬようによく耐えている。右が崩れかければ、左は援護に回り、左が崩れかければ、右が援護に回る。崩れそうで崩れない。
兵の質では優っている。ナフシスの直轄部隊はシュロ―家の家臣を中心とした精兵たちである。個の質でも集団の質でも優っている。しかし、優勢を取りながらも、攻め込む糸口が見つけられぬ。空中でのじりじりとした戦いは小一時間にも及んだ。
そんな時だった。一陣の風が吹いた。煽られた氷竜国の空騎兵が一瞬、地上兵の射程に入った。それを見て灼竜国の弓兵部隊が陸から矢を射かける。彼は躱そうとして平衡を崩し、隊列が僅かに乱れた。
空中に生まれたほんの小さな綻びをナフシスは見逃さなかった。手勢と共に、崩しにかかる。一度乱れた隊形を空中で組み直すのは容易ではない。戦闘しながらでは尚更である。敵方はこらえきれずに前線を下げようとするが、ようやくできた相手の綻びを逃すわけにはいかない。空騎兵たちはここぞとばかりに全力で追った。陸上部隊も空の優位を知り、勝負所とばかりに仕掛ける。戦場は平地である。敵は背後の丘まで下がらなければ、軍を立て直す事はできない――
「天王山である!」
ナフシスの号令が響いた。呼応して灼竜国軍が鬨を上げてなだれ込む。ナフシスは自ら先頭に立って敵軍の綻びを亀裂へと変えていった。膠着していた戦場は一気に決戦の場に変わった。次々に落ちて行く氷竜国の兵達。氷竜国軍の陣形は崩壊し、なんとか本陣まで退却しようとするも、それを許すまいと、灼竜国軍は一気呵成に攻め立てた。
勝った!――ターバリスは確信した。
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