五章 銀翼の記憶 第二話

ナフシスに師事して三年が経った秋の事だった。氷竜国との間に戦争が起きた。灼竜国と氷竜国は大陸北方に位置する。両国とも山が多く、寒冷な土地柄であり、互いに食糧事情は厳しい。その両国の国境をまたぐように広がる平原がある。ラミドア平原と呼ばれるこの地帯は一大穀倉地帯となっており、その所有権を巡ってたびたび争いが起きていた。


特に灼竜国は前の守護竜を失って長い。竜がいない国の土地は次第に魔素に蝕まれていく。魔素に田畑を侵され、収穫が減り続けるのに焦った地場の領主が国境を越えてちょっかいを出したのがきっかけである。


とはいえ、最初は小領主同士の小競り合い――当初、州軍を司るナフシスは楽観視していた。それはおそらく氷竜国の側も同じであっただろう。小領主の諍いなど珍しい事ではない。領主などというものは、所詮、力か縁故によって成り上がった人間に過ぎない。行動の原理は我欲であり、我欲を通せば、軋轢も生まれる。そんな事は互いに百も承知である。


さらに季節も関係していた。両国の冬は寒く、それはラミドア平原付近も例外ではない。冬になれば、すぐに強い寒風が吹き、雪が積もる。風が強ければ鷲が使えず、雪が深ければ馬が使えぬ。冬になれば戦場は膠着して、結局、休戦――という運びになる。この平原の所有権がいまだにはっきりしないのもここに原因がある。雪が降れば休戦――それはもはや両国の間では暗黙の了解となっていたのだ。


国境線からの報せが届いた時、ナフシスはターバリスに言った。秋終わりに争いが始まったところで、本格化する前に冬が来て痛み分けとなるだろう。どうせ雪が降れば休戦になる。無駄に軍を動かして金を減らす必要はあるまい――それは、ナフシスだけでなく、氷竜国でも似たような事を考えていたはずである。


しかし、その年は何十年ぶりかの暖冬だった。例年なら十一月も暮れにかかれば、雪がちらつき始めるというのに、この年は十二月に入ってもいっかな降る気配がない。その間に、地場の小領主たちが始めた小競り合いは徐々に付近の領主達まで巻き込んで拡大し、やがて大きな火となった。


両軍ともに初動が遅れた事もあり、互いに統制が取れぬまま戦場が拡大していく。いつしか平原から遠く離れた土地の小貴族達までが領土欲しさに参加しだし、兵站線の確保など考えずに戦地に寄ってきた者達が自国の領民達から食料をまき上げ始めた。こうなっては、多数の野盗が国境付近をうろついているのと変わらない。

いつまでも降らぬ雪に業を煮やし、ナフシスは州軍の出撃を決めた。まだ騎士として叙任されていなかったターバリスも小姓として帯同する事となり、ラミドアに着いたのは年を越した頃だった。


戦場に着いたナフシスがまず行ったのは命令系統の整備と兵站の分配である。ナフシスは辺境伯としての権限を用いて、独断で動いていた領主たちを指揮系統に組み入れ、兵站と手柄に応じた報酬を約束した。次に平原近くの領民達に戦後の補償を約束し、戦地から退避させた。この時ナフシス二十五歳、有能で鳴らすシュロ―家家臣団の力添えもあったとはいえ、この若き辺境伯の手際は鮮やかで、到着して数日後には灼竜国側は軍として機能し始めた。


はじめは互いに統一された意思がなく、ばらばらに動いていた両国だったが、ナフシスの州軍がラミドア平原に到着したのを境に戦況は大きく変わった。年を越しても雪は降らず、風もない。未だ統制の取れぬ氷竜国軍に対し、ナフシス率いる州軍は天の利を活かして攻めた。敵の拠点を次々に落とし、前線を上げ、平原一帯をも奪えるかもしれぬ――そう思った矢先だった。

 


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