五章 銀翼の記憶 第一話

 当主との謁見を終えたターバリスは城内にある自室に入り、旅装を解いた。この自室だけは世界で唯一、落ち着ける場所だと、ターバリスは考えていた。この城は自身の居城とはいえ、自分のものではない。シュロ―家の持ち物を当主に代わって管理しているだけであり、召使たちも皆、シュロ―本家に雇われた者達である。戦場では家臣が、街では民衆が、城内では召使たちが自分の行動に耳目をそばだてている。しかし、この一室だけは殻を脱ぎ捨てられる場所なのだ。


 彼――ターバリス・レイ・シュロ―は、その姓の通り、シュロ―家の人間である。しかし、“レイ”には“傍系の”という意味がある。つまり、彼はシュロ―本家の者ではない。どころか、彼はそもそも別の性を持って生まれてきた。元の名をターバリス・ペトラと言う。ペトラ家はシュロ―家の遠縁にあたる子爵家であり、彼はぺトラ家次男ターバリス・ペトラとして他州で生まれ、育った。その姓がシュロ―に変わったのは彼が十歳の時である。


ターバリスの生まれたペトラ家は文官を多く輩出してきた家柄だったが、幼いターバリスが興味を持ったのは騎士たちの英雄譚であった。華々しく戦で戦う騎士たちの物語に、少年は心を躍らせた。この国の、または他国の、または数百年も昔の帝国時代の戦士達の戦いの歴史。少年は夢想した。剣を握り、国の存亡を懸け戦う姿を。


戦場の華々しさを夢見た彼が勉学よりも、武術の稽古に明け暮れたのはごく自然な事であった。あくる日もあくる日も剣を、または槍を握って過ごした彼に、十歳のある日、シュロ―の分家から養子となる話が舞い込んできた。


「分家筋ではあるが、お前を欲しいと言っている」

父はそう言って、ターバリスに聞いた。


「将来、文官となって兄を助けるか、軍人としてシュロ―家の者になるか、望む方を選べ」


彼は迷わず後者と答えた。


シュロ―家は灼竜国チハヌ州に多くの所領を持つ辺境伯の家系である。チハヌ州はその境を氷竜国に接し、国境線での争いは絶えない。そのため、州を治める州伯は、同時に辺境伯としての権限を与えられ、国防の責も負っている。他国の脅威を退ける任を帯びている以上、辺境伯に叙される者には武の素養が不可欠である。そして、それは辺境伯を継承する本家の者に限らない。シュロ―を名乗る者は武に秀でていなければならない。シュロ―家は帝国時代から続く武の名門であった。


父から養子の話を聞かされた時、ターバリスは喜んだ。彼が読んだ数々の戦史、それらの中で何度も見たシュロ―の名を自分も名乗る事が出来る。分家であれば辺境伯を継ぐことなどあるまいが、凱歌を夢見る彼にとって、宮廷ではなく戦場で生きられる事は大きな喜びであった。


さらに嬉しい事がもう一つあった。武門の子弟は騎士になる前に小姓として、戦を学ぶ。先達の騎士について、日常の世話をしながら武芸や戦術を学ぶのである。彼は小姓としてなんとナフシス・シュロ―につくことになると聞かされたのだ。ナフシスは武の名門であるシュロ―家でも天才の呼び声高い武人で、弱冠二十二歳にして辺境伯を継いだばかりであった。


前辺境伯であったその父、サバスト・シュロ―より若くして領土と責務を継承したナフシスは、決してただの名家の跡取りではなかった。長身としなやかな体躯に似合わぬ膂力、剣は優雅にして力強く、戦では敵軍の急所を的確に突く。また、内政においては、元々の聡明さに加え、経験豊富な父と団結した家臣団の補佐を受け、盤石の体制を作りつつあった。竜を失って十年以上が過ぎ、そこここに荒廃が見えていた国で、ナフシスは辺境伯として国防と州政の維持に尽力しており、次の竜候はナフシスだろう――そういう声が他州でも上がるほどであった。


当時、十歳のターバリスは父より聞かされたこの話に大いに喜び、この地へとやってきた。北東部にあるチハヌ州は彼が生まれた土地よりも寒かったが、彼には全く気にならなかった。この地を新たな故郷と定め、幼き日に憧れた物語の武人たちのような存在に自分もなるのだと、ナフシスの元で学び始めた。


ナフシスは正に天才だった。自分も故郷では天才だと持て囃されたが、あれは単なる世辞だったとすぐに思い知った。ナフシスの剣はその速さ、力強さ、正確さ、どれをとっても卓越しており、武で知られるシュロー家の他の者達を誰も寄せ付けぬほどに突出していた。


自分はこの人の足元にも近づけぬだろうと思い知った時、不思議と絶望はなかった。それどころか、目の前のもやが晴れたような、清々しい気分であった。自分が憧れた武が今、目の前にある。この人にわずかでも近づきたい。この偉大なる師が立つ武の頂きに少しでも近づく事こそ、自ら求めた道なのだと、彼は十歳にして悟ったのだ。




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