四章 メイルローブ 第二話

 砂と埃にまみれた戦場とは大きな違いであった。大理石で造られた廊下にはちり一つなく、その壁には歴代の城主たちの肖像画が掛けられている。何枚もの肖像画に見つめられながら、ターバリスは目的の部屋まで歩みを進めた。何も起こらない戦場だったとはいえ、敵を前にしてそこから離れたのは、この部屋で待つ相手に呼び出されたからである。


 シュロ―家現当主サバスト・シュロー――先々代のチハヌ辺境伯にして、現王宮の相談役である。武で知られるシュロ―家の当主として、若い頃は数々の戦場で名を馳せ、老いてなお州内外に影響力を持つ。


 サバストの待つ部屋を前にして、ターバリスは大きく息をついた。ターバリスが叙任されてから、既に三年。この三年の間、春にあの戦場に出向いては冬に帰ってきて、毎度同じ報告をしている。今年はそれが少しばかり早いとはいえ、同じ報告をするのは気が進まぬというものである。


 ターバリスはもう一つ息をついて、大きな二枚扉を見る。白い大理石で造られた重い両扉とそれに施された二頭の金の獅子――金は高貴を、獅子は武勇を表す。何代も前の王から賜ったシュロ―家の象徴である。


「失礼いたします」


 ターバリスはそう声を掛けてから、象牙で出来た扉の把手に手を掛けた。一礼して部屋に足を踏み入れる。広間に置かれた、縦に長い卓の先に自らを呼びつけた相手が座っている事を認め、ターバリスはその場に跪礼した。



「ターバリス・レイ・シュロ―、只今、帰還いたしました」


 ややの間があって、下げたターバリスの頭にややしわがれた声が降ってきた。


「面を上げよ」

顔を上げたターバリスの目に映る老人は、出陣前よりも心なしか痩せたように見える。


「怪我はないか?」

「無事であります。家臣達も大事なく」

「戦の具合は?」

「今年も緩慢なままでありました。戦闘は少なく、前線も大きく移動はしておりません」

「ふん……いつも通りか」


言ってサバストは大きなため息をついた。このため息も何度聞いた事か。


「ホスロさえ動く気になれば、あのような戦などすぐに終わらせてご覧に入れます。奴は戦に興味を示さず、手近な村を襲っては村人を刻んで遊んでいるだけです」


ターバリスは続けた。


「敵方は北方で亜人族との争いも抱えております。氷竜国の兵達などものの数ではありません。氷竜候が出てこぬ今ならば、ホスロさえその気になれば……」 


「黙らぬか」

静かな声にターバリスは口を止めた。


「戦場に出て、たかだか数年で早くも戦を知ったか? あの女が出てこぬ理由は、少々領土を取られたとて取り返せるからに他ならぬ。六年前の戦はお前も見ておっただろう。ナフシスの死から何も学んでおらぬということか?」


「しかし……」


「お前達がいつも戦っている南方軍の兵など、所詮、出滓らしに過ぎぬ。氷竜国の精兵は皆、北部に集められ、亜人共と戦っているのだ。その裏で滓どもが多少、領土を取られたとしても、竜の力があれば取り戻すのは容易い。奴はそうふんでいるからこそ、お前達を好きに遊ばせておるのだ」


「……しかし!」

ターバリスは何とか反論しようと思わず声を強めた。


「このまま気の抜けたような戦をしていても何も得る物はありませぬ! 徒に戦費を浪費するくらいならいっそ攻め切ってしまう方が……!」

「黙らぬか!」


サバストの怒声にターバリスは一瞬、圧された。


「何を思い上がっておるか! ナフシスが死んだのは竜を侮ったからだ! それを見ていたお前がなぜ分からぬ!」


ターバリスの脳裏にナフシスの鷲獅子が落ちて行く様子がよぎる。


「目の前の雑兵をいくら屠ったとて敵の竜を殺さねば勝利などない!」


ターバリスは唇を噛んで頭を垂れた。

サバストが正しい事を、自分もまた知っていた。敵方に竜がいる以上、こちらがいくら領土を取ってもいずれ取り返されるだろう。


「師と同じ過ちは犯すな。戦場を知った気になれば、それがお前の死神となるぞ」


感情では納得できたわけではない。が、サバストに理がある。ターバリスは言うべき言葉を絞り出した。


「……申し訳ありませんでした」


小さく、ふぅ、と息を吐く音が聞こえた。


「……もう良い。それよりも話があってお前を呼び戻した」

サバストは話題を変えた。


「狐――と呼ばれる盗賊団がいるのは知っているな?」


ターバリスは無理やりに意識をそちらへと持っていくよう努めた。銀の狐と名乗る盗賊の存在はターバリスも耳にはしていた。今年の戦に出る前にもどこかの貴族がやられたと聞く。


「ここのところ、動きが活発になってきている。今年殺された領主は十を超えた。お前が戻る直前にもヒトレシュアがやられている」


サバストが何を言わんとしているかは、明らかだった。


「……この城を守れ、と」

「そうだ。みだりに兵を増やせば、秘密が漏れる事にも繋がる。しかし、盗賊ごときに出し抜かれてはシュロ―の威厳に関わる。お前にしかやれぬ仕事だ」


あれを守れ――ホスロから伝言を受け取った時、そういう事なのだろうとは思っていた。しかし、ターバリスは腑に落ちなかった。この街は高い城郭が周りを囲み、自分がいなくとも、常に衛兵を置いている。ヒトレシュアのような田舎ならいざ知らず、盗賊風情が攻め込めるような城ではない。


「しかし、盗賊ごときがこの城に攻め込めるとも思えませんが……。数もせいぜい数十と聞きます。その数でこの城を相手取るなどあまりに無謀というものです」

「ただの盗賊ではない」

「は?」

「これまでにやられた者どもはみな小領主とはいえ、どれも兵が守っている屋敷で殺されておる。仮にも戦闘を生業とする者を相手にただの盗賊がこうも何度も上手くやりおおせるわけがなかろう。生き延びた兵達は、奴らの中には魔法を扱う者もおり、複数の隊で連携し、陽動も行うと言っている。何らかの訓練を受けているとしか考えられん」


ターバリスは少し考えて、言った。

「どこかの兵卒崩れが混じっているのでは?」


兵卒上がりの者が野盗の群れに加わる、または自ら野盗を結成する、という事はこの時代に限らずよくある。曲がりなりにも戦闘の専門家である。そういった者が指揮する集団は、農民崩れの素人連中とは違い、鎮圧に苦労する。


「噂では、頭目は成人しているかどうかという若造だと聞く。そういった者が戦場経験のあるような者を従えられるとは思えん。それに、そやつはこの間のヒトレシュアで、数十メルテ先から騎射で見張りの目を射抜いたらしい」

「騎射で……?」


あり得ない!――と言いかかって抑えた。弓は人類が古くから持つ武器である。遣うのは兵に限らない。狩人などの中には兵よりも遥かに上手く弓を遣う者もいる。しかし、騎射で、というのはあり得ない。なぜなら、兵ではない者が馬上で戦闘を行う事などないからだ。弓を遣うというのは、馬上で剣を振るのとはわけが違う。馬を足のみで操り、両手で弓を操作する技術を体得するには、かなりの長期間を訓練に費やさなければならぬ。


本当にその頭目とやらがまだ成人したばかりくらいの者ならば、専門的な戦闘訓練を受けて育ったということになる。幼少から、騎馬での戦闘訓練を積むような者は平民でも、農奴でもない。それこそシュロ―家のような武門の生まれでないと話が合わない。


「先の粛清を逃れた者かもしれん」


ターバリスはサバストの言葉にはっとした。六年前、前王が崩御した際、王位を継ぐのは王弟ではなく、前王の遺児である王女であるべきだという声があった。むしろ、そういった声の方が多かったと記憶している。結局、「王女」は父王の死で心を病み、抜け殻のようになってしまった事で、殆どの王女派は沈黙したが、それでも王弟に恭順を示さなかった者達が粛清されたと聞く。しかし、もし、その子弟が粛清を逃れていたならば――


「もし、そうであったならば、これはただの盗賊ではない。小領主どもを殺して満足する連中ではないということだ」

ターバリスにも当主が言わんとしている事が分かった。


「仮に――」

ターバリスはサバストの目を見て言った。


「仮に、賊を討ち取ったならば、私もシュロ―としてお認めくださりますか?」


ターバリスの視線を受けたサバストの瞳は僅かも揺らがなかった。

「考えておこう」





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