三章 ラジテ村 第八話
暗闇の中、ケヤクは寝返りを打った。
ケヤクがこの村に来たのは四つの頃である。この国の最北、氷竜国との国境近くの村でケヤクは生まれた。父の顔は知らない。自分の最も古い記憶は夜、母に手を引かれて走った記憶である。
深夜と思しき頃、眠っていたケヤクは母に叩き起こされ、家を連れ出された。狼狽した様子の母を見て、子供ながらにただごとではないと察した。
家を出ると夜闇の中、ちらちらと舞うものが見える。一瞬、雪かと思ったが、すぐに違うと気がついた。辺りが熱く、見回したケヤクの目には燃える家々が映った。宙を舞っていたのは火の粉だった。誰かの叫び声が聞こえ、そちらを見ると火の雨が降り注ぐ。火の雨を降らせていたのは、
その夜から何週間か、それとも何か月か――母子二人で国を彷徨い、暖かくなった頃にこの村に流れ着いた。難しい事は幼いケヤクには分からなかったが、母は古くなった空き家と仕事を手に入れ、ようやくにして落ち着いた生活を始めることができたのである。
この村はケヤクが生まれた村よりも大きな村ではあったが、子供の数は少なかった。竜のいない国に生まれた子供は大抵が大人になる前に命を落とす。何人も産んで、ようやく一人が大人になる。それはどこの村でも変わらない。しかし、それでも友達が出来た。
ケヤクの初めての友達は女の子だった。名はサーシェ。ただのサーシェ。彼女はケヤクより三つ年上の、近所に住む女の子だった。優しく、よく笑う女の子。彼女の傍にいると、安心でき、ケヤクもやがて笑う事を覚えた。
他にも友達ができた。乱暴なジナン、小さくて引っ込み思案なシャミル、ジナンの妹のカナ――ケヤク達はサーシェを取り合うように遊んだり、時にはけんかをして過ごした。みんな友達だったが、それでもケヤクにとってサーシェは特別で、それは他のみんなにとってもそうだった。サーシェが笑うとみんなは笑顔になったし、サーシェに褒められるととても誇らしく、自分が特別な存在になったような気持ちがした。
サーシェがいる生活は楽しかった。サーシェは父母と三人で暮らしており、サーシェの両親は他の村人たちと同様に領主の畑を耕す農民だった。この村の誰もがそうであったのと同様に決して豊かではなかった。それでもケヤク達母子を気に掛けてくれる優しい隣人だった。
あれが来たのはケヤクが九つの夏だった。その日、二人は村の外れのひまわり畑で遊んでいた。真夏の日差しが強い日で、彼女はひまわりで作った花かんむりをケヤクにかぶせ、太陽みたいだと笑った。ケヤクはみんなと違う色の髪があまり好きではなかったが、サーシェはその髪を褒めてくれた。サーシェに褒められるのなら、この髪の色も悪くない。
遊んでいた時、ふと彼女が何かに気づいた。いつもと空気が違う、村の様子が気になると言った彼女はケヤクを連れて、村に戻った。
やつはそこにいた。黒い鎧を纏い、黒鷲に跨った騎士。やつは彼女を一目見て、指を差した。見つけた――と。やつの手勢はケヤクを蹴飛ばし、彼女の両親と何人かの村人たちを造作もなく斬り捨て、抵抗するサーシェを馬に括り付け、去っていった。
無力だった。連れ去られようとするサーシェを見て、思わず飛びかかった自分はやつの手勢の一人に、ただの一発、蹴飛ばされただけで起き上がれなかった。斬られた村人たちとは違う。子供ごとき斬る必要もないと見下され、笑われ、彼女が連れ去られていくのを這いつくばって、見ているしかなかった。
黒鷲の騎士。あれがサシアン・ホスロだった事は後で聞いた。あれは貴族だと、諦めるしかないのだ、と村人たちは項垂れて言った。自分達とは身分が違う。国を守る貴族達のやる事に自分達が口を出してはならない、黙って従う事が正しいのだと彼らは言った。
ケヤクは生まれて初めて、本物の怒りを知った。自分からサーシェを奪う権利など、貴族にも王にもあるはずがない――理不尽に項垂れ、ただやり過ごす事が正しいわけもない――身分など誰が決めたのだ――自分が生まれる前に誰かが勝手に決めた事に従う理由がどこにあるのだ――どうして! どうして! どうして!
サーシェを奪われた悲しみは憎しみに変わった。初めて人を殺したいと思った。だから、セティヌの誘いに乗ったのだ。いつかホスロを殺す事を条件に、ケヤクはセティヌと契約した。
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