三章 ラジテ村 第七話


 その日、三人は深夜まで話して解散した。すっかり眠そうなジナンを送り出し、ついでにシャミルも送り出そうとした時、シャミルはなぜか入り口の扉を閉めた。


「ん? どうした?」

不思議に思ったケヤクが問うと、シャミルは俯いてもじもじしながら言った。


「……あのさ、おれ泊まってってやろうか?」

「は?」

「ほら、お前仕事の後はよくあの夢見るじゃん? よく寝れないの可哀想だし、添い寝……してやるよ」


はあ?――と思わず口に出し、ケヤクは呆れた目でシャミルを見た。


「いらん。帰れ」

「――なっ! おい、ばか!――」


まだ何か言いたげなシャミルを追い出し、ケヤクは乱暴に扉を閉めた。蝋燭の灯りを消し、寝台で仰向いて天井を眺める。うっすらと酔いはあるが、天井のシミははっきりと見える。自分の中で脳の巡りを確認し、先ほどの新たな疑問をさらに考えてみることにした。


 サバスト・シュローとサシアン・ホスロ――シュロー家は有名だ。遡れば帝国時代まで行き着くという古い貴族家であり、このチハヌ州を代々統治してきた。セティヌに読まされた歴史書でもその名が度々出てきたのを覚えている。かつては竜候を輩出した事もあるという名家である。現当主サバスト・シュローは先王の時代では辺境伯としてこの州の統治と国防を担い、やがて一人息子のナフシスに代を譲ってからは王都で大臣職を務めている。


――ナフシスが死んだのは六年前


 セティヌ邸の歴史書にもごく近年の事まではさすがに載ってはいなかったが、ナフシスが先王治世の末期、氷竜国との戦で死んだのは知っている。あの年、突然起こった氷竜国との戦で灼竜国は大敗したと聞く。この大敗に続いて、前王が崩御し、王都での内乱が起こり、新王が即位した。


ホスロが辺境伯に就任したのはこの新王即位の直後だったはずである。時を同じくして、各所で配置換えが起こった。セティヌがこの村に来たのと同様、他の土地でも新たな領主が就任したところもあった。氷竜国との戦、前王の死が六年前――その後、ホスロが辺境伯となり、セティヌがこの村の領主となった。


 さすがに子供だった自分達には、その頃の国内の事情など分からなかったが、この体制刷新でラジテ村が混乱していたのと同様に、他の土地も混乱していただろう。


問題は――なぜホスロだったのかということだ。貴族の相続は直系長男が継ぐのが基本である。複数の子がいた場合でも領土の分割はしてはならない。必ず一子相続となる。シュロー家の場合はサバストの一人息子ナフシスが一旦は当主を継いだが、そのナフシスは戦場で死に、またサバストが当主に戻った。


跡継ぎが死んだ場合、他の者に相続権を移す事はできる。サバストには他に子はいなかったはずだが、その場合でもサバストの兄弟や甥など、近親者に相続権を移す。あるいは適当な者がいなかった場合でも養子に相続させる事は可能と法で定められている。


重大な倫理違反や義務の不履行などがなければ、相続権の移行は認められる事になっており、それは辺境伯においても例外ではない、辺境伯ほどの地位ならば、金も権力も恣である。しかも、シュロ―家においてはそれだけではない。この国の成立以来、チハヌ州の統治を代々担ってきたのがシュロ―家である。辺境伯位の返上は何としても避けがたいと思うのは、人の情であろう。


――しかし、サバスト・シュローは辺境伯をホスロに譲った


 しかも、ホスロ家は当時、男爵位である。男爵もれっきとした貴族ではあるが、伯爵などの上位貴族とはさすがに格が違う。普通、男爵位からいきなり辺境伯に抜擢される事など有り得ない。貴族の爵位は、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵と続く。特に伯爵以上の位は血筋や、歴史に裏付けられており、功績によって新たに叙爵される事がある子爵、男爵とは歴然とした違いがある。


辺境伯はその字の通り、伯爵位の一種である。辺境、つまり王都から離れた国境州を守る伯であり、王から許された特権がある。州軍の保持と、徴税の権利――通常、国は国王の軍が守り、国法によって統治される。税率なども国法によって定められ、それに従って州候、州伯が各州を治める。


しかし、辺境州は違う。王が直接、采配を振るえぬ辺境においては、辺境伯は他国から国境を守るために独立した軍を保持する事を許され、その維持のために徴税権が与えられる。つまりは力と金を確保する事ができるのである。だからこそ、普通は辺境伯位を返上する事などまず有りえない。辺境州の統治によって得られる金と力を手放せば、必ず家が弱体化するからである。


 また、王にとっても辺境伯を任せられる人材などそういるわけではない。大軍を率いて国防の任を果たせるだけの力を持つ事は職務上の必要条件であるが、同時に裏切りの可能性も考慮しなくてはならない。独立した軍の保持を許すという事は、内乱の種になりうるという事である。そのため、長年に渡って王家への忠誠を示してきた旧貴族家ならまだしも、ホスロのような新参の低位貴族がいきなり辺境伯に任じられるなど異例の事である。


 実際、新王はホスロの専横を抑えられていない。ホスロは就任してすぐ、重税を課し、違反した者には過大な罰を与えている。辺境州の運営は辺境伯に一任されているとはいえ、度を越せば、制裁を科す権利も、伯位を剥奪する権利も王にはある。しかし、このチハヌ州において王の統制は機能していない。


 竜がいなければ、国が貧しくなるのは道理である。竜の恵みがなければ、収穫が減り、病が増えるからだ。しかし、現状はそれだけではない。この国の窮乏の直接の原因は竜がいない事ではなく、貴族達の専横によるものだ。貴族達が新しい税を次々に増やし、民衆の負担が年々重くなっている。


竜は国を護る盾であると同時に、王が貴族達を抑えるための剣でもある。魔法によって結ばれた古い大綱のため、王が直接、竜の主に選ばれる事はないが、王に忠誠を誓う竜候がいなければ、王も諸侯の一人にすぎず、増長した貴族を武力で抑える事ができない。


玉座についたばかりの王が貴族達を御するのは難しいだろう事はケヤクにだって想像がつく。だが、力がないのならば、なぜ、ホスロのような新参の貴族を辺境伯に任じたのか。何らかの事情があったと考えるのが自然ではないか。


 ――ちっ


ケヤクは自らの不明に舌打ちした。なぜ、今まで気づかなかったのか。改めて経緯を考えれば、この異例さには違和感を覚える。しかし、シャミルに言われるまで見落としていた。ケヤク達のような、田舎の農民にとって州伯が誰かなどどうでもよく、シュローの名もたまに大人たちが口にする程度。ホスロが就任した時も、大人たちの間では話題になっただろうが、ケヤク達の耳には入ってこなかった。


いや――とケヤクは思った。大人はケヤク達にはホスロの名を聞かせないようにしていたのかもしれない。


 暗闇の中、ケヤクは寝返りを打った。酒のせいか、昨夜の襲撃の疲れがまだ残っているのか――身体がだるい。


右手にはケシズスの首を落とした感触がまだ残っている。襲撃の後はいつもこうだ。気色の悪さが残る。なのに、襲撃の最中はそんな事を思いもしない。自分がどう動けばよいのか、予め知っているかのように、身体が勝手に動く。


ケヤクは再び寝返りを打ち、やがて吸い込まれるように眠りに落ちていった。

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