三章 ラジテ村 第六話

 「へえ? メイルローブ?」


シャミルはその大きな目をまん丸にして驚いた。暖炉に火を入れ、昼飯の残りをつまみに酒を飲みながら、ケヤクは二人にセティヌから訊いた事を話していたところだった。


「ああ。襲うのは屋敷じゃなくて城だ。鷲に乗って空から襲えとさ」

「鷲!? 伯爵がそう言ったの!?」

「十頭ばかり手に入れる目処が立ったんだと。でも、空から行って盗むだけとはいえ、さすがに俺たちの規模で城を攻めるのは無理だろう」

「へぇ~、鷲獅子に乗るのは興味あるけど、確かに城を襲うのはなあ……」


「メイルローブの城主はターバリスという若い貴族だな。特に悪い噂を聞いた事はないが……」

ジナンが思い出すように言う。


「若いのか。爵位は?」

「爵位はない」

「ない?」


ケヤクの問いにジナンは頷いた。


「こいつは代理領主なんだ。ターバリス・レイ・シュロ―……シュロ―家の騎士だ」

「ああ、シュロ―家か」

「ケヤク、知ってるの?」

「この州じゃ有名だろう。お前聞いた事ないか?」


シャミルがぶんぶんと首を振り、それを見てジナンは溜息をついた。


「シュロ―家は随分な名門貴族だぞ。代々、この州を統治してきた辺境伯の家系だ」

「え? 辺境伯は違うだろ? だって……」

「ホスロのはず、か?」


ケヤクが言葉を継いだ。


「元々、この州はシュロ―家が統治していたが、もう何年も前に氷竜国との戦で跡取りのナフシスが死んだんだ。それで現当主のサバスト・シュロ―が六年前の政変の折に辺境伯の地位を今のホスロに譲った。今、シュロ―家は一伯爵家に戻り、サバストは国王の相談役をしてるらしい」


そういうことだ、とジナンが言いながら、手酌で酒をつぐ。


「ホスロなんて元は小さい領地で男爵やってたんだぜ? あんな奴、本来なら辺境伯になるような家柄でもねえんだよ」


シュロ―家が辺境伯位を退いたのは、まだケヤク達が十か十一くらいの事である。

セティヌもこの村に来る前だったし、新王即位が契機となって他州でも様々な異動があった事も後に知った。三人の中でも年上で、年長の者との付き合いも多かったジナンはともかく、政治になど興味のないシャミルが覚えていないのも無理からぬことではある。


もっとも――シャミルに言わせれば、政治の話など農民には関係のない事だと言うだろう。自分や周りの者達が笑って暮らせればそれでいい。ケヤクは、シャミルの物事をごく簡単に考える性格を美徳だと考えていたし、好ましいものだとも思っていた。


――俺がこんな事を始めなければ、魔術の才にだって気づかなかったかもしれない


 シャミルの袖口から見える左腕の刺青を見ながらそんな事を考えていると、シャミルが気づいて「なんだ?」と聞いてきた。


「いや、なんでも」

とケヤクは答えて、酒をあおった。


「うちのばあちゃんに言わせれば、シュロ―家は中々良い州伯だったらしいがな。シュロ―家が治めてた頃は良かったってよく言ってる」

空になったケヤクの杯に酒を注ぎながら、ジナンが言う。


「今のホスロに比べれば、誰が辺境伯だって天国だろう」

「まあな」

「奴を殺さない事には何も終わらない。俺たちはあいつの首を落とすためにセティヌのじじいと契約したんだ」

「……そうだな」


「ねえ」

シャミルが口を開いた。


「なんでシュロ―家は辺境伯をホスロに譲ったの?」

「さっき言っただろう。シュロ―家の跡取りが死んだんだよ」

「でも、メイルローブには若い城主がいるんだろ? 普通、長男が死んだからって爵位を手放すことまでしないだろ?」


ケヤクとジナンは顔を見合わせた。


 確かに普通は跡取りを失ったからといって、位を譲ったり返上する事はしない。しなくて良いという事になっている。もっとも、辺境伯を譲ったとはいえ、シュロ―家は未だ伯爵位ではある。州の統治権を譲っただけであって、爵位そのものを手放したわけではない。


「ターバリスは元々、シュロー家の人間じゃないそうだぜ。分家の一つが遠縁の子を貰い受けたって話だ。まあ、それにしたって位を譲るってのは聞いた事ないが……」

お前は? という目でジナンはケヤクを見た。


辺境伯は伯爵位の一種ではあるが、ただの伯ではない。国防のため、自前の軍を所持する事が許され、その維持のために徴税権も与えられている。政治上も独立性が強く、爵位の上では公爵、侯爵よりも下ではあるが、実際の権力という意味ではそれらを上回るほどに強い。


その辺境伯の地位を捨て、ただの伯爵家に戻るということは、確実にその家は弱体化する。養子とはいえ、跡取り候補がいるのであれば、自ら放棄する事など確かにあり得ない事ではある。


「貴族が爵位や統治権を失った例はある。ただ、殆どは叛乱罪などで家ごと断絶か、よっぽど王の不興を買っての格下げだな。基本的に、爵位ってのは国への貢献によって得た権利だから王の一存で取り上げる事自体難しいし、貴族側が手放すこともまずしない」

「じゃあ何でシュロ―家は辺境伯やめちゃったの?」


ふむ――とケヤクは腕を組んだ。貴族といえど、病で死ぬこともあれば、怪我で命を落とす事もある。今の灼竜国には竜がおらず、他国との戦争も続いている。農奴や貧民のように餓死する事はなくとも、病死、戦死はごく身近にあるのが現状だ。


貴族がなにより恐れるのは家系の断絶である。先祖代々、営々と築いてきた地位と権力を失う事を恐れ、跡取りがいなければ、血縁者から養子を貰い受ける事も良く聞く話である。ケヤクが以前、セティヌ邸で読まされた書物の中には灼竜国の貴族の系譜についてのものもあった。それにはどの家の当主が誰で、系図がどうで……という事が書いてあり、サナハンにそれを一通り頭に入れておくように、とも言われた。それほど貴族達にとって家系というものは重要なのである。


その書物によれば、シュロ―家現当主サバスト・シュロ―には一人息子のナフシスがいた。ナフシスについてはいつかセティヌが語っていたのを覚えている。いわく、武門の家柄たるシュロ―家が生んだ天才にして、若くして辺境伯を継いだ最も竜候に近い男だった――そうだ。そのナフシスはセティヌがこの村に来る前年、氷竜国との戦で命を落としている。ナフシスの死後、サバストは新王即位と前後して辺境伯の地位をホスロに譲った。他の跡継ぎを見つけようともせず――


 「おい、ケヤク! なんだよ、もう酔っぱらっちゃったのかぁ~?」

シャミルの声でケヤクは我に返った。


「考え事してたんだよ」

「お前、そういうとこダメだぞ! これは昨日の襲撃が成功した祝いの酒なんだから、ぱーっとやるんだ、ぱーっと! 考え事なんてしなくていーの!」

そう言ってシャミルはケヤクの杯に酒を注ぐ。


「分かった分かった。ところでだな」

ケヤクは二人の目を見た。


「メイルローブを襲う」

「おい! 正気か!?」


ジナンが叫んだ。


「さっき無理だって言ってたのはお前だろう!」

「言った。が、気が変わった」

「はあ?」

「今まで気にした事はなかったが、ホスロがいきなり辺境伯になったのはおかしい。何かあったと見るべきだ」

「何かって?」

「考えられるのは密約だ。シュロ―家とホスロの間で何かしらの密約がなされた。次に、妥当ではないが、可能性としてあるのが脅迫だな。ホスロがシュロ―家を強請り、辺境伯の座を手に入れた」

「つっても、その頃のホスロはただの一男爵で、シュロ―家は国に名だたる辺境伯だぜ? 脅迫で動かせるような相手じゃないだろう」

「だから、妥当ではない――って言っただろ? 密約だって可能性はそこまで高くない。辺境伯の地位を失ってでも欲しいものなどそうはないだろう。しかし、実際、サバスト・シュロ―は辺境伯の地位を手放し、その後任には男爵家のホスロが選ばれた。何かがあった可能性が高い」

「……でもよう……相手は城だぜ……?」


ジナンは酒をちびりと飲んで目を伏せる。


「分かってるさ。でも、ホスロと繋がっている可能性があるなら俺はやる。サーシェにも繋がっている可能性があるからだ。お前が嫌なら、お前は今回休みでもいい」


それを聞いて、ジナンはばっと顔を上げた。


「いや、やるって! お前が行くなら、俺だって行くさ!」

「シャミルは?」

ケヤクはシャミルを見た。


「おれもやるよ! なーに、いざとなったら、おれの魔法でぱーっとやってやるからよ!」

シャミルは、がははと笑って酒をあおり、ジナンはそれを見ながら、ため息をついた。


「まったくよう……俺は高いところダメなんだぜ……?」




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る