三章 ラジテ村 第三話
西の山に太陽がかかろうという頃、ケヤク達は家を出た。昨日の襲撃の報告をしに行かなくてはならない。先刻まで仮眠を取っていたジナンはまだ少し眠たげにしていたが、ケヤクとシャミルで盗んできた荷を台車と馬に括りつけ、手綱を引いて歩き出した。
ケヤク達の住むラジテ村はこの国の北東部の州にある。灼竜国チハヌ州――それがこの州の名前である。中央に聳える高山の頂きは夏でも白く、これに連なる山脈が州を南北に分かつように並んでいる。
この山脈の間を大小の川が流れ、それに沿うように、点々と小さな村がある。山に囲まれたこの土地の夏は暑く、冬の雪は深い。しかし、山と川がもたらす恵みは大きい。長年、竜を欠くこの国は、魔素の害に悩まされてはいるが、それでもこのあたりはまだそれなりに小麦も獣も採れる。
ラジテ村はそんな村落の一つであった。人口はせいぜい二百程度。領主以外の村人は全て農奴であり、この村に自由民はいない。領主から借り受けた小麦畑を耕す他、山菜や、時には鹿や野兎などを獲って暮らしている。
兄弟団「銀の狐」はこの近隣の青年たちを中心に構成された集団である。兄弟団とは名ばかりで、実質的には盗賊集団に他ならない。頭目は銀髪の青年――と巷では言われているが、実際はそうではない。セティヌという名の老人である。
セティヌは既に七十近い老貴族で、六年前、先代領主の後任としてこの村に来た。この年、王都では先王が魔素の病で崩御し、その実弟クフレイが王位を継承した。その折に各地で領地の移動が行われ、新たにこの近辺の領主として赴任してきたのがセティヌである。基本的に領地というものは代々継いでいくものであり、領地替えが行われるのは異例の事。が、それは主に貴族達の問題である。それによって農民たちの生活が変わるわけではない。
しかし、ケヤク達の住むラジテ村では大いに話題になった。理由は後任の人事である。この後任領主の爵位はなんと伯爵位という。当時、ケヤクはまだ十一であったが、この報せがあった時には村がちょっとした騒ぎになったのを覚えている。公候伯子男――伯爵と言えば、序列三位の爵位である。普通なら広大な領地を治めるか、宮廷で高位の官職を得る。このあたりにはラジテ村の他、いくつかの村落があるが、全部合わせても領民は数百、領地は山ばかりで畑は少ない。先代の領主も当然のように末端の低位貴族。貴族とも呼べぬような貧乏領主であったし、こんな僻地に伯爵が来るなど聞いた事のない話である。しかし、そうは言っても来るものは来る。セティヌがこの土地に赴任してくる日、伯爵に対して失礼のないよう、近隣の領民達は総出でセティヌを出迎える事になった。
その日、村はそわそわと落ち着かぬ様子だった。なんといっても伯爵である。さぞ多くの使用人を連れてくるのだろう、前の領主が使っていた屋敷で本当にいいのか、粗相をして税が重くなっては困る、などと話しながら待っていた。領民達にとって領主というのは爵位が高いからといって有り難いわけではない。年貢さえ少なければそれだけで良い領主なのだが、かつて年貢の少なかった領主などいない。特に前の領主は税が重いだけでなく、女癖も悪かった。国の意向で前の領主がいなくなったのは有り難いが、新しい領主が前よりも良いという保証はない。
伯爵ならば、きっと何台もの馬車で来るのだろう――そう思っていたところに到着したのは、たった二台の馬車であった。降り立ったのは老年の男。片足が義足、分厚い胸板に鋭い目、百八十は下らぬであろうその背丈――足を補助するように杖をついてはいるが、腰が曲がった様子はない。やけに印象に残る老人だった。その老人は平服する領民達を見て言った。
「ここで何をしている。働け」
領民達は蜘蛛の子を散らすように、それぞれの畑に戻って行った。
結局、村人たちが話していたような事は全て外れた。この老貴族は僅かな荷物と、一人の執事のみを連れて、このラジテ村へと来たのである。
この老貴族に家族はないようで、執事がしばらく屋敷を切り盛りしていたようだが、さすがに執事一人では身の回りがままならぬ。しばらくして、ケヤクの母が家事手伝いとしてこの屋敷で雇われる事となった。
十一歳の子供といえば、普通ならば親の田畑を手伝っている年頃である。しかし、ケヤクの母は畑を持っていなかった。元々、母も、ケヤクも、この村の生まれではない。大抵、どこの村でも十八になった男には領主から、畑を貸し与えられる。この畑を耕し、毎年、税として収穫物を納めるのが農奴に与えられた義務であったが、流れ者の女にはそんな畑など与えられない。母はセティヌが来るまでは、他人の畑を手伝う事で自分とケヤクの食い扶持を稼いでいたが、母がセティヌの屋敷で雇われてからは、二人の暮らしは随分と楽になった。
しかし、ケヤクには――というよりも――村の皆にとって不可解な事が一つあった。日中、母がセティヌ邸の家事をしている間、ケヤクはセティヌ邸で読み書きを教わり、本を読まされ、剣や弓の稽古をさせられたのである。セティヌの執事、サナハンから教わる事もあれば、時にはセティヌ自身に稽古をつけられることもあった。
仕事ではない。かといって施しとも違う。貴族の施しというものは、大抵、小金か、何かの折に休みを与えるといった程度。領民達に気前よく思われたいという貴族が気まぐれに行うものであり、教育を授けるというのは、農奴の子に対しては過分な施しである。農奴にとって学問など贅沢品であり、生きる事に必要もない。母は素直に喜んだが、村人たちはこれを不思議がったし、当のケヤク自身、この老人がなぜそんな事をするのか解せなかった。
疑問に思いながらも、ケヤクはセティヌの屋敷で様々な事を学んだ。その生活はケヤクが十六になるまで続き、十六になった頃、母は魔素の病で命を落とした。そして、ケヤクはセティヌと契約をした。兄弟団「銀の狐」が発足したのはこの頃の事である。
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