三章 ラジテ村 第三話

南側の開け放した窓から遠くを望むと、高い山が見える。その頂きは年中白く、ふもとの方はまだ夏の緑を残しているが、これから冬へ向かうにつれて、姿を赤く染めるだろう。


彼らの住む村はこの灼竜国北東部、チハヌ州と呼ばれる州にある。灼竜国はその名の通り、灼竜を守護とし、奉竜族の降臨以来、六百年の歴史を持つ。現存する竜は八柱、それぞれを保持する国が八国。灼竜国はその内の一国である。竜を持つ国はその恵みによって、戎気の害少なく、忌人族の被害も少ない。しかし、それは生きた竜がいる時は、である。前竜を失って十七年。今この国に生きている竜はおらず、ただ次竜の卵が王宮に安置されているのみと聞く。


他国に比して北方にあるこの国の中でも、このチハヌ州は特に寒冷な地域にあり、州の中央に聳える高山の頂きは夏でも白く、これに連なる山脈が州を南北に分かつように走っている。


この山脈の間には大小の川が流れ、それに沿うように、点々と小さな村がある。山に囲まれたこの土地の夏は暑く、冬の雪は深い。しかし、その代わりに山と川がもたらす恵みは大きい。長年、竜を欠くこの国は、戎気の害に悩まされてはいるが、それでもこの辺りはまだそれなりに作物も獣も採れる。


ケヤク達の住むラジテ村もそんなチハヌ州の村落の一つであった。人口はせいぜい二百程度。領主以外の村人は全て農奴であり、この村に自由民はいない。領主から借り受けた小麦畑を耕す他、山菜や、時には鹿や野兎などを獲って暮らしている。


昨夜、ケシズスという名の小領主を襲った「銀の狐」はこの近隣の青年たちを中心に密かに構成された兄弟団である。といっても、兄弟団とは名ばかりで、実質的には盗賊に他ならない。頭目は銀髪の青年――と巷では言われているが、これも正確にはそうではない。裏で指示を出しているのはセティヌという名の老人である。







セティヌは六十を過ぎた老貴族で、今から五年前、この国が新王体制に変わった折、新領主としてこの村に来た。新領主が赴任してくるというのはよくある話ではない。まず、滅多にない事なのだが、それが起こった原因はそのさらに前年にある。

セティヌ赴任の前年、灼竜国は氷竜国との戦で大敗を喫し、続いて王都では王が病で崩御するという国難の年であった。


後継を定めていなかった前王の急死により、国は荒れた。王都では前王の実子である王女派と前王の弟である王弟派に分かれ、半年にわたる貴族達の権力争いの末、王弟クフレイが王位を継承したという。王女派は失脚、逃亡を試みた王女は捕まり、心の病を発症して話す事もできなくなった――というのがこの村に伝わってきた話である。


王都での政変など辺境に住む農民たちにとっては遠い出来事に過ぎない。王都近辺は荒れたのだろうが、それはそれ。辺境地域の農民たちにとってはなんら関わりのない出来事のはずであった。


事は新王即位のその後である。新王クフレイは旧体制を刷新すると宣し、各地で領地の移動を行った。それに際し、新たにこの近辺の領主として赴任してきたのがセティヌであった。基本的に領地というものは代々継いでいくものであり、領地替えが行われるのは異例の事。


当時、ラジテ村では、この領地替えの噂が大いに話題になった。領民達の生活にとって、領主が良い領主か、悪い領主かは重大な問題である。その意味で言えば、先の領主は実に悪い領主だったのだが、だからといって、新領主が良い領主になるという保証などない。次の領主がさらに悪くなっては困ると恐々とする村民たちのもとにさらに新たな噂が流れてきた。新しく来る後任領主はなんと伯位であるという。


公候伯子男――伯と言えば、序列三位の爵位である。普通なら広大な領地を治めるか、宮廷で高位の官職を得る。このあたりにはラジテ村の他、いくつかの村落があるが、全部合わせても領民は数百、領地は山ばかりで畑は少ない。先代の領主も当然のように末端の低位貴族。いや、貴族とも呼べぬような貧乏領主であったし、こんな僻地に伯爵が来るなど聞いた事のない話である。


村人たちはその知らせに驚いたが、そうは言っても来るものは来る。セティヌがこの土地に赴任してくる日、伯爵に対して失礼のないよう、近隣の領民達は総出でセティヌを出迎える事になった。


その日、村はそわそわと落ち着かぬ様子だった。相手はなんといっても伯である。さぞ多くの使用人を連れてくるのだろう、前の領主が使っていた屋敷で本当にいいのか、粗相をして税が重くなっては困る、などと話しながら待っていた。


領民達にとって領主というのは爵位が高いからといって有り難いわけではない。年貢さえ少なければそれだけで良い領主なのだが、かつて年貢の少なかった領主などいない。それにこの村はつい半年ほど前にも、ある貴族の人狩りに遭い、一つの家族を失っていた。未だその喪も明けぬ中、新たな領主を待つ者達に不安しかないのは当然であった。


ある者が不安を口にすれば、他の者も自分の不安をまくしたてる。つられた誰かがまた自分の不安を口にする。一見、会話をしているようで会話になっていない。そんな中、予定の時刻が近づいてきた。


伯爵ならば、きっと何台もの馬車で来るのだろう――村人たちがそう思っていたところに到着したのは、たった二台の質素な馬車であった。降り立ったのは老年の男。片足が義足、分厚い胸板に鋭い目、百八十は下らぬであろうその背丈――足を補助するように杖をついてはいるが、腰が曲がった様子はない。やけに印象に残る老人だった。


その老人はとりあえず馬車から降りたものの、集まった村人たちを見て、わずかに困惑したような表情を浮かべている。

呆気に取られていた村長が慌てて平服し、歓迎の口上を述べようとしたその時、老人は平服する村人達を見て言った。


「ここで何をしている。働け」


 領民達は蜘蛛の子を散らすように、それぞれの畑に戻って行った。

結局、村人たちが話していたような事は外れていた。この老貴族は僅かな荷物と、一人の執事のみを連れて、このラジテ村へと来たのである。





 この片足の新領主が来てしばらくは何事もなかった。この新領主は到着した日に姿を見せて以来、屋敷から出る様子もなく、何かをせよと命じてくる事もない。あの日、挨拶をしそびれた村長がもう一度、伺ってはみたものの、通り一遍の口上を述べただけで追い立てられるように帰されたという。


結局、この新領主就任が吉か凶か分からぬまま、ラジテ村の住人たちは以前の通り、ただ畑を耕す生活を続けるしかなかった。


セティヌ就任からしばらくして、州から新たな布告が届いた。ラジテ村のあるチハヌ州では、戦で死んだ前辺境伯に代わって新たな辺境伯が就任していたのだが、その辺境伯から新たな税についての布告が出されたのだ。それは、従来の三割税に加え、追加で二割の税を徴収するというものだった。氷竜国との戦は膠着状態にはあるものの未だ継続しており、戦費調達のため、というのがその理由であった。


これには村中が恐慌した。税で五割も取られたら、必ず立ち行かぬ家が出る。特に夫婦二人で働いている家ならまだしも、労働力にできない幼子を抱えた家はそれだけで厳しい。子が多い家は売るなどして、口減らしをしなくてはならなくなる。


しかも、払えぬ場合は肉刑だという。肉刑とは身体の一部を切断する類の刑である。鼻や耳、重ければ手首や足を切り落とす。もし、手足を失えば、当然、翌年の税も払えるはずがない。


村人たちは話し合いの末、就任以来、一向に姿を見せない新領主に謁見を求めることにした。相手は遥か高位の貴族であり、しかも、この村には来たばかり。自分達の事情をどれほど汲んでくれるかは定かではない。


そもそもこれほど姿を見せず、自分達を無視するようにしている相手が、謁見の申し入れに応じてくれるとも思えなかった。しかし、なんとか税を考えてもらわなければ、首を吊る者も出るかもしれない。


こうして、意を決した村人たちが恐る恐る屋敷に向かったのだが、彼らの予想に反して、セティヌが返したのは、前年と同じ量を納めよ――ただそれだけであった。


この一言で、新たな布告に慌てふためいていた村人たちも、ひとまずは落ち着いたものの、安堵した彼らには新たな疑問が湧いてきた。


――もしかしたら、良い領主なのかもしれないぞ。

――しかし、それなら、なぜ、こんな村に来たんだ?

――あの片足は戦で失くしたのか?

――もしや中央の権力争いに負けて追いやられたのでは?

――だとしたら、布告を無視などできないだろう


しばらくはひそひそとそのような噂が飛び交っていたのだが、やがて彼らもそれどころではなくなった。チハヌ州全体に布告された新税制で物価が高騰し、その影響で幸運にも増税を免れたラジテ村の村人たちも食糧を得るのに難儀するようになってきたのだ。


そんな中、ある事件が起き、その後に少々理解に苦しむ事態が起こった。


ラハタと呼ばれる魔獣が出現し、その駆除の後、この村に住むある母子が屋敷で雇われる事になったのである。彼らは何年も前によそから来て、村の外れに住んでいた母子である。母の方は屋敷の家事手伝いとして雇われ、そちらは別段、何でもない事であったが、その子に与えられたという仕事に村人たちは首をかしげた。


 母が屋敷の家事をしている間、子は読み書きを教わり、本を読まされ、剣や弓の稽古をさせられているというのである。村人たちはなぜ、新領主がそんな事をさせているのかと疑問に思ったが、それも最初のうちだけであった。税に追われる彼らはそれどころではなく、どうせ偏屈な老貴族の気まぐれだろうと考えた。


それはその子供が十六になるまで続き、十六になった頃、母の方は戎気の病で命を落とした。

兄弟団「銀の狐」が発足したのはこの頃の事である。




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