三章 ラジテ村 第二話
「大丈夫?」
目の前にシャミルの顔があった。頬に濡れた感触を感じ、ケヤクは慌てて目を拭った。見られまいと顔を背ける。
「またあの夢?」
その問いを無視して、寝台から体を起こして答える。
「何でもない」
ふーん、とシャミルは口を尖らした。
「ならいいけどぉ~」
シャミルはおんぼろの部屋に不釣り合いな分厚い布地で誂えられたカーテンを引いた。ぱっと明るい光が差し込み、ケヤクは思わず目を細める。
「……もう朝か」
「とっくに
シャミルはいやみったらしく言った。話題を変えようと、ケヤクは適当に思いついた事を聞いた。
「イリエンの班は無事だったか?」
イリエンは別動隊の隊長である。二手に分かれる時は、大抵、一方をケヤクが、もう一方をイリエンが指揮する。ケヤク達より少し年長で、寡黙だが腕が立つ。
「んー、ほぼ無傷」
「ほぼ?」
「シラズとチョイが少し斬られたけど、かすり傷みたいなもんだってさ」
「他は?」
「みーんな無事。矢を受けたのもなし。ケシズスの兵は弱かったなあ」
「ケシズス自身、戦の経験はほとんどない新米領主だからな。部下も推して知るべし、ってとこだろ」
「まーた難しい言い回ししやがって」
シャミルは呆れたように言った。
「本の読みすぎ! 農民に学なんかいらねーの!」
シャミルはそう言って笑った。
「な、後で伯爵んとこ行くんだろ?」
「ああ。夕方に行くと言ってある」
「ジナンも医者が帰ったら来るってさ」
ケヤクは首をかしげた。
「あいつは怪我なんかしていないだろう。足でも挫いたか?」
「ゆうべ妹の具合が悪くなったから、町の医者を呼んだんだってさ。さっき寄ったら、ジナンのばあちゃんが教えてくれた」
「カナが?」
「うん」
シャミルは少し心配げな顔をしていたが、すぐにまた明るい顔に戻った。
「なーに、カナは若いから大丈夫だって! とりあえずメシ食えよ。作ってきてやったぜ?」
シャミルは持参してきたとみえる籠を卓に載せた。蓋を開けると、パンと焼いた卵、それに干し肉が入っていた。
「喜べ! なんとデナリア産の豚肉だ! 今回の仕事が終わったら、祝いに食おうと思って買っといたんだ!」
「おぉ」
「ジナンが来る前に食べちまおうぜ! あいつはみーんな食っちまうからな!」
シャミルの冗談にケヤクもつい笑った。
「そうだな。今度は俺が奢ってやるから、あいつにはそん時食わせてやろう」
「お、いいね~。俺は肉より酒がいいけどな!」
ケヤクは豪快に肉を頬張るシャミルを呆れたように見た。
「お前は本当に酒が好きだな」
「あそこ行こうぜ! ティルクの街の酒場!」
「あそこは女が飲む店じゃないだろうが」
「お前らに付き合ってやるってことだよ! ジナンもあの店の娘にぞっこんだしなあ」
その時、おうい、と声がした。
「ジナンだろ? 入ってこいよ!」
家の主を差し置いて、シャミルが勝手に中に招く。
木製の分厚い扉がごとり、と音を立てて開く。そこには昨日の大柄な青年が立っていた。
「お? いいもん食ってんじゃん」
そう言って、ジナンは干し肉を一切れつまみ上げると、口の中に放り込んだ。
「うまいだろ? 祝いに食おうと思って買っといたんだ」
「うん、うまい」
「カナは大丈夫か?」
ケヤクは訊いた。
「多分、発作が出ただけだろうってさ。でも、しばらくは外に出ない方がいいな。香は絶やすなって言われた」
香とは、月香の事を言う。月見草を乾燥させてすりつぶし、水と呪をかけた粉と一緒に練り上げる。これに火を付けて香を焚く。室内であれば、わずかではあるが、魔素の影響を和らげる効果があるとされている。ケヤクはあくびをしながら、干し肉を食うジナンを見ながら言った。
「帰ったばかりなのにご苦労だったな。寝たか?」
「うんにゃ。これ食ったらちょっと寝るわ」
ジナンは干し肉をもう一切れ口の中に入れた。
「夕方にじじいのとこに行くから、それまで寝てろよ」
ケヤクがパンをかじりながら言うと、ジナンは頷いた。
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