二章 ターバリス・レイ・シュロ― 第二話

――氷竜候がいれば、懲罰ものだろうな


ターバリスは捕虜を野営地に拵えられた牢に入れ、自らの天幕に足を向けた。ドアン卿は勇敢ではあったが、愚かだった。もし、敵方を指揮するのが、あの氷竜候だったならば、独断での出撃など許されぬだろう。


――もっとも、氷竜候がいたならば、とっくに負けていたか


 ターバリスは心の内で自嘲した。現在、灼竜国には竜がいない。大抵は前竜の死後、数年で次竜が孵るものらしいが、既に十七年も不在の状況が続いている。敵方に竜がいるなら、こちらも竜を使わなくては勝つことは到底かなわないだろう。氷竜国は北方での亜人族との戦に精兵を集中させているらしく、氷竜候もここにはいないが、もし、いれば、とっくにこちらが敗戦していたはずだ。


ふと食事の匂いが鼻をくすぐった。もう日は沈み、野営地のあちこちで飯炊きの煙が上がっている。余計な出撃のせいで遅くなったが、自分も腹が減っていたのを思い出した。天幕に戻る前に食事を持ってこさせよう――


「おや、シュロ―卿」

背後から掛けられた声に、ターバリスは足を止めた。


「食事をお探しか?」

振り返ると、穏和な表情を向けた男と、それとは対照的に無機質な瞳を持つ少年がいた。サシアン・ホスロ――この軍の指揮官にして、灼竜国チハヌ州の現辺境伯を務める男とその従者である。相手を見てとり、ターバリスはゆっくりと片膝をついた。


「貴公がドアン卿を落としてくれたそうだな。ご苦労であった」

「いえ――ホスロ殿は“狩り”に出られていると聞いたため、勝手に出撃いたしました」


ふふ――と、男は綺麗に刈り整えられた髭を蓄えたその口元を歪めた。


「貴公は分家とはいえ、シュロ―の騎士。その武は信用している。どうだ? これから一緒に酒でも」

「結構。それよりもこの戦をどうなさるおつもりなのです?」

「どう――とは?」

「もう何年も膠着した状態が続いております。なのに貴台は戦場をほったらかしにしたまま、“狩り”と称してこのあたりの村民を殺して回っておられる。それがどういうおつもりなのかと訊いております」


ターバリスは跪礼したまま顔を上げて問うた。意図した挑発的な物言いに少年従者は緊張を走らせたが、ホスロは逆に笑った。


「ははは――これは手厳しい! 確かに私は趣味に興じすぎかもしれぬな」

「……趣味?」

「人にはやめたくてもやめられぬものがあるだろう? 酒や女、芸術や音楽――そのようなものだ」

「殺しがしたいのなら戦場でなさればよい。貴台の腕ならば、氷竜国の兵たちなど相手にもならぬはず。武器を持たぬ者どもを狩って何が楽しいのか」


男はなおも笑っていたが、少年は僅かに眉を顰めた。


「それは感性の違いだ、シュロ―卿。芸術や音楽に好みがあるように、人の感性はそれぞれに違う。私は殺しがしたいのではない。ただ美しいものを見たいだけなのだ」


そう言って、男はターバリスの腕を取って立たせ、背中をぽん、と叩いた。ターバリスも背の高い方ではあるが、並ぶとこの男の方が自分よりも僅かに高い。


「しかし、貴公は殺しの方が好きと見える。私も若い頃は戦場で剣を振るいたくてうずうずとしていたものだ。気持ちは分からんではないが、美を愛でる心も大切にするべきだ。ん? 違うかね?」


男はターバリスの顔を覗き込むようにして言った。


「閣下」

少年が何かを促すような目で男を呼んだ。


「ああ、そうそう。シュロ―伯が貴公を領地に返すように手紙をよこしてきていたな」

「当主が?」

「ああ、どうも野狐が騒いでいるらしい。なに、小物を狩っているだけのようだが、万が一、貴公の城を荒らされるわけにもいくまい。どうせ既に秋でもあるし、貴公は一足先に領地に戻られよ」

「しかし、戦は……」

「どうせ今年も終わるまい。貴公が活躍する機会もそのうち来よう。その時が来たら、存分に剣を振るうが良い」



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