一章 琥珀の瞳 第二話
灼竜国東部、カナレ州ホミド。かつて帝国の時代には百万都市として栄え、国が八つに分かたれてからは、東の要衝であった都市である。帝国時代の建造物は数百年の流れの中で風化していったものも多いが、それでもこの街にはかつての建造物がいくらか残っている。
十年ほど前、まだほとんど少女だった時分に、主に附いてこの街を訪れた時は人通りも多かったはずだが、街を行き交う人々は彼女が記憶していたよりも随分と少なかった。
もう収穫期だというのに――そう胸で呟いた。普通、秋になれば、収穫された作物で市が賑わい始める。まず麦だ。麦は保存の利く穀物ではあるが、それでも古くなれば匂う。新麦ならば、ただの粥でもうまい。次に野菜が増え始める。いくらかの野菜は春や夏でも採れるが、秋に取れる野菜は夏の日光と水分を吸収し、旨みを凝縮している。そして、なんといっても果物である。寒冷地にある灼竜国は、果実といっても甘味の遠い種が多いが、秋口に売りに出される果物は別である。特に梨はこの国の名産でもあり、秋に採れる梨は甘く、歯触りがいい。庶民にとって砂糖は高級品であり、菓子を食べる機会など滅多にない。甘味に飢える庶民にとって果物はご馳走なのだ。
こうした収穫物が夏の終わりから秋にかけて、市を順々に賑わせていき、佳境に入った頃に収穫祭が開かれる。この時ばかりは農奴たちですら領主に外出を許され、買い付けにくる。こうして何日かの祭りの後、買い込んだ作物で冬支度を始めるのだ。だから、秋は楽しい。
しかし、ここ数年、そんな秋の賑わいはこの国では見られなくなってしまった。竜を失って既に十七年が経つ。その間に畑は魔素に侵され、年々収穫量は減っている。一人が口にできる食糧は少なく、子供たちはみな痩せている。腹を減らすのは人だけではない。冬になれば、同様に腹を減らした獣たちがそこらをうろつき、運の悪かった者を見つけてその腹を満たす。どの家も次の冬を越せるのかと心配で、秋だからと浮かれる者は随分と少なくなってしまった。
それを知っていてなお、彼女の口からはため息が漏れた。彼女はどこかで期待していた。人通り多く、人々の顔が明るい、活気と希望に満ちた風景――だから、現実を見てため息が出た。しかし、それは自分の身勝手な期待であったし、それが裏切られたからと言って、落ち込む筋合いもない。それでも――
――金竜国はあんなにも豊かで明るかったのに……
以前、滞在していた金竜国の様子を思い出して、どうしても比べてしまう。あの国の人々は良く笑い、楽しそうに生きていた。
竜の在不在でここまで違うものか――そう思い、また溜息をつきそうになるのをぐっと堪えた。
「おい! 本当かよ!?」
突如、背後から聞こえた声を聞き咎め、彼女は思わず足を止めた。
「――声を落とせって……。ヒトレシュアに出たんだそうだ」
「先月もどこかの貴族がやられたって話だろう」
「ヒトレシュアの城門にはケシズスの首と声明文があったってよ」
「あのでぶった貴族か。あのくそったれも相当、税をぼってたらしいからなあ」
振り返ると、二人の男が道の隅で額を突き合わせて話していた。見たところ、この街の住人のようである。声を抑えているつもりらしいが、興奮しているのか、二人の話し声は彼女まで筒抜けだった。
「おい」
男たちがびくり、と驚いたように彼女の方を振り向いた。
「今の話、本当か?」
男たちは彼女の腰の辺りを見て、怯えたように後退った。慌てて腰に帯びた剣を後ろに回し、二人から見えぬようにして、再度話しかけた。
「憲兵ではない。ただの旅の者だ。お前達の話が耳に入ったのだが」
上目遣いにこちらを見ていた男の一人がようやく口を開いた。
「……本当だ」
「ヒトレシュアの領主を誰かが襲ったんだな?」
「……銀の狐って連中さ。さっきチハヌから来た奴から聞いたんだ」
「殺されたのはケシズスだけか?」
片方の男が首を振った。
「護衛についてた兵士達とケシズスの妾の死体があったらしい」
「妾?」
「ああ、若い女だったそうだ」
「若い女……」
一瞬、嫌な感じを抱いたが、まさかそんなはずはあるまい、とその懸念を打ち消した。ヒトレシュアは僻地の町である。ケシズスは政変の後、新たに叙任された新米の領主。貴族と呼べるほどのものでもない。
「ヒトレシュアの連中は運がいい。これで冬を越せるからな」
運など良いものか――と口から出かかった。そもそも、まともな王と領主がいたなら、領民たちも最初から苦労などしなくてすむのだ。
ここ一年ほどの事である。チハヌ州に「銀の狐」という集団が現れるという噂を聞くようになった。チハヌ州はこの国の北東部にあたる。他国と国境を接しているため、昔から戦争が多い。六年前に戦で前の州伯を失い、新しい州伯を迎えたものの、その州伯が民衆にもたらしたのは圧政であった。新たな州伯はまず州税を五割とした。働いた分の半分を納めよ――そう布告した。さらに各領地の徴税権を拡大した。いわく、徴税は貴族の天与の権利であり、多くの税を取る事は、国への奉仕である――らしい。領主たちは知恵を絞って、新たな税を考え出し、様々な名目で領民達から搾り取るようになった。
チハヌ州の農奴たちが納める税は収穫の六割を超えたと聞いてはいたが、それに反抗するかのように現れたのが「銀の狐兄弟団」と自称する集団であった。兄弟団というのは、普通、村や街に住む者達の寄り合いである。小規模であるがゆえに領主との交渉権や、特権などは持たない。単に相互扶助を目的とした町や村の寄合い程度のものである。しかし、銀の狐はそういった一般的な兄弟団とは違う存在である事は既に他州でも知られていた。
彼らの活動は貴族の暗殺と金品の強奪。つまりは盗賊である。狙われるのは決まって評判の悪い小領主。特に新州伯配下の者達が多い。夜襲をかけ、対象を殺し、その倉にある金品を奪って、帰り際にその領地にばらまいて帰る。標的を貴族に絞り、民衆に施しを授けるという点では義賊の一種と言える。
――悪辣な領主を処罰する……。それは王の役目なのに……
女は堪える事を忘れてため息をついた。
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