灼竜国のケヤク
かっつん
一章 琥珀の瞳 第一話
「あれか」
青年が馬上から言った。角度によってはまだ少年のようにも見える。月明かりを反射する銀の髪と琥珀色の瞳。どちらもいないわけではないが、両方を備えているのは珍しい。腰に剣を帯び、簡素な胴当てをつけ、無感動な目で遠くの屋敷を見ていた。
「警護は?」
「四十だそうだ」
「ほう」
四十だ、と言ったのは大柄な青年だった。年の頃は銀髪の青年よりやや上か。肩幅広く、腕周りは太い。既に大人の男の体格をしている。その後ろにさらに十人ばかり。いずれも武装して馬に乗り、木立の作り出す夜闇に紛れていた。
「あれが四十も置くような屋敷かねえ」
男ばかりの集団の中に一人小柄な娘が紛れていた。彼女も他と同じく胴当てと剣を携えてはいるが、まだ少女にしか見えない。
娘の言葉に青年はくつくつと笑う。
「確かに。あの程度の屋敷なら平時で二十というところだろうな」
異変があった時ならば、四十の警護も不思議ではない。しかし、平時にそれだけの兵を置けば、食わせるにも金がかかる。
「ばれているのか?」
大柄な男が言った。
「いや、ケシズスは元々、警護を多く置くらしい。兵にむだ飯を食わせるためにあれだけの税を取っているということだな」
「ケシズスってのはよっぽど臆病なんだな」
「逆を言えば、賢明だとも言える。自分がどう思われているかはよく知っているんだろう。小物は小物なりに身を守る術に長けているというわけだな」
その言葉に大柄な青年は、ふん、と鼻を鳴らした。
「警護を増やさにゃ寝られんようなら、さっさと改めちまえばいいのにな」
銀髪の青年はにやりと笑った。
「ジナンよ、今さら改めたところで、民は忘れてくれんだろう。教会は喜捨すれば救われると言うが、あれもただの商売だ」
彼は皮肉げに言って月を見上げた。十三夜月の美しい輝面が彼の横顔を照らし出す。まだ少年の面影を残す彼の横顔に温い秋風が吹き、その髪を揺らした。
「まあ、下級貴族の分際で四十も警護をつけられるなら、かなり貯め込んでいるはずだ。いつも通り半分はふもとの町に撒け」
銀髪の青年の言葉に、面々が頷き、顔に布を巻きつける。
「シャミル」
「はいよ」
娘は袖をまくった。その左腕にはなにやら発光するような不思議な色の刺青が彫られている。娘が何事かぶつぶつと呟くと、左腕の刺青が不思議な色で光り、仰向けた掌から上空に向かって、ぱっと一条の光が飛び出した。
「お前ら、生きて帰れよ!」
銀髪の青年の言葉を合図に、全員が馬に乗って駆け出した。飛び出した光は放物線を描いて屋敷の上空まで飛び、花火のように弾けた。
娘は馳せる馬の背から、さらに幾筋もの光を放つ。それらの光は屋敷の壁や塀に当たり、音と共に燃え上がった。
「敵襲だ!」
見張り台の男が叫ぶ。
「北だ! 北から馬だ!」
距離五十、風は微風。銀髪の青年は馬上できりりと弓を引き絞る。ひゅるん、という音に一拍置いて、見張り台から男が落ちた。
「やるなあ! ケヤクよ!」
歓声と共に誰かの賛辞が聞こえたが、彼はあえて無視して言った。
「このまま突っ込むぞ!」
落ちた兵士を横目に、彼らは聳える塀に速度を落とさず突っ込み、馬の背から次々と塀に飛び移った。塀を乗り越え、手近にいた兵を二人斬り倒すと、屋敷の反対側からも悲鳴と火の手が上がった。
「敵か!?」
どこからか声が聞こえた。彼はその声に面布の下の口をゆがめて笑う――これが敵でなければなんなのだろう?
彼は屋敷から飛び出してきた兵を撫で斬り、続いて駆け寄ってきた兵も一太刀のうちに斬り倒した。次に現れた三人目は青年の銀髪に目を留め、怯んだ。
「狐っ――!」
青年は兵士が口を閉じぬうちに、一歩で間合いを詰めて、二歩目と同時に右腕を振るった。兵士は首筋から血を吹き出しながら次の言葉を紡ぐことなく倒れた。
「こっちだ!」
青年の合図で彼らは火のついた屋敷の中央に向かって、切り結びながら進む。
一人、二人と斬るたびに舞う血しぶきが、炎の熱で蒸発し、辺り一面に濃い鉄のような匂いを充満させていく。
彼は初めて走る事を覚えた子供のように、ただ感覚に任せて剣を振った。一つ腕を振るうたび、鮮血が舞い、敵が頽れる。
敵の剣に当たる気がしない。敵の動きは緩慢でぬるい。疲れも躊躇もなく、出てくる兵たちを斬り倒していく。湧いて出てくる兵達を切り捨てながら、奥へ奥へと進んでいくと、中央にほど近いところに目的の部屋を見つけた。
扉を蹴破ると、奴はそこにいた。豪奢な寝台の上には太った裸の中年男と、まだ若い女。
「妻か?」
銀髪の青年は後ろを軽く振り返って訊いた。
「いや、ケシズスの妻は四十を過ぎていたはずだ。あれはまだ二十歳そこそこだろう」
大柄な青年が答えると、
「ちっ、妾かよ」
と、うんざりしたように刺青の娘が言う。
「どうする?」
「……殺すしかない。後でだ」
銀髪の青年は小声で言って、中年男に向き直った。
「夜分に失礼申し上げる。ケシズス卿とお見受けするが?」
ケシズスと呼ばれた中年男はぶるぶると首を振った。
「では、家臣か? 主の寝室に女を連れ込む臣などおらんだろう?」
「み……見逃してくれ!」
中年男は寝台の上で仰向いたまま後退り、悲鳴を上げるように言った。
「まだ死にたくない! 頼む!」
「ふむ、ここでお前を見逃したら、今までお前が手に掛けてきた者達はどう思うだろうな」
青年はつかつかと寝台に近づくと、右手に持った剣の切っ先を、中年男のまるまると肥えた腹に当てた。中年男はびくり、と一瞬震え、硬直した。
「税が足らぬと民を殺し、賦役だと言って子供を攫う。皆、お前同様、死にたくはなかったろう」
「ほ、法だから仕方がなかろう!」
「法を作ったのはお前達貴族だろう。ならば、その責任もお前達にある」
「法は……州伯が……」
「お前が余分に税を取っていたのは知っている」
その冷たい声に、男はひう、とかすれた声を上げて黙った。
「その州伯もいずれお送りする事になろうが、貴公には先にあの世へ行ってもらう」
「な、何でもやる! 金でも何でもだ!」
青年は面白そうに笑った。
「ああ、勝手にもらっていくさ。お前の首を刎ねた後でな」
中年男の顔は怯え、もはや歯の根も合わぬほど震えている。
「飢えていく領民達を横目に、よくも自分だけこうも肥えたものだ」
青年は笑うのをやめ、吐き捨てるように言った。男の喉からはひうひうとかすれた音が漏れ出ている。
青年の剣がゆっくりと弧を描くように振り上げられる。中年男は目を見開き、吸い寄せられるように上昇する切っ先を見つめた。男の目にきらり、と光が反射した。直後、その首は胴を離れ、床で一跳ねし、二つ――回転して止まった。
床に転がったケシズスの首を見ながら、ケヤクは自分の鼓動がどこかから戻って来た事を感じた。同時に軽い疲れも――。赤黒い血だまりの中、既に光のない目でこちらを見ているケシズスの首に近づいた。
「ケヤク」
落ちた首を拾おうとした青年に大柄な男が声を掛けた。
「俺がやる。お前はそんな事しなくていい」
そう言って、懐から一枚の布を取り出し、さっきまで喋っていた首にかぶせた。
「ああ……」
彼は呟くように言い、一つ息をついた。
「撤収だ」
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