第2話

「突然で悪いね。」


悪びれる様子もなく男は言う。彼の曇りガラスのように濁った目は、彼が務める部署が過酷な労働現場であるということを如実に伝えている。


こうしたやり取りは最早こなれた様子で、おそらく新人に会うたびに似たような会話をしているのだろう。


苦労人と決めつけるにはまだ早いが、その肩にはどこか哀愁を誘うような雰囲気があった。


「そう言うなら、部署変えてもらえませんか。聞いてませんよ、こんなの。」


ただ、いくら彼がそうであっても、言うべきことは言わねばならないだろう。死とは無縁の仮想世界で死ぬ危険があるとなれば、なおさらそうだった。


「と言ってもね。社の方針として新人はこの部署に配属されるということになっているんだ。拒否をするなら辞めて貰わなければならなくなる。」


ため息をついてから彼は淡々と説明したが、ため息を付きたいのはこちらの方である。


2年間も歴史の勉強やその他諸々に日々を費やしてきたのだ。今更それを無駄であったとするには少し抵抗感があった。


「ガイダンスを聞いた限り、一年も生きていられるとは思えないんですけど。」


「もっともらしい疑問だな。君の直感は間違っていない。ただ、一つだけ否定しなければならないことがある。」


彼はそこまで言うと一拍間をおいて、鋭くこちらを見据え、再び口を開く。


「仮想世界で死なずに生きていられるのは、我が社の社員が命懸けで働いているからに他ならない。この部署が他に比べて危険なのは確かだが、どこであろうと命の危険は避けられないリスクだ。」


そう語った彼の視線はまるで俺に対してお前はどうだと訴えるようにも見えた。


命懸けというところに思うところがないわけではない。無駄死にをしたくないと思うのは人間としては自然だろう。


死ぬのであればやめるべきではないかという理性は当然に働いていた。


しかし、ここでそうすれば臆病風に吹かれたと思われるのは必然だった。あまりにも合理的ではなく、感情的な判断であるが、それは甚だ心外で、そう思われるのだけは御免だった。


「ふぅ…。」


葛藤は一瞬のことだった。ため息の次の瞬間には俺は答えを決めていた。


「一年後、俺が生きていたら希望の部署に配属できるように掛け合ってください。」


一瞬だけ彼は意外そうに目を丸くし、そこから苦笑を浮かべた。


「分かった。その時は上に掛け合ってみよう。ただ、期待はするな。」


俺は頷き、ニヤリと笑ってみせた。


「決まりですね。それと、やるなら早い方がいい。早速現場に連れてってもらえませんか?」


「なんとも要望の多い新人だ。」


すっかり冷めてしまった珈琲を飲み干すと彼は立ち上がった。


「では、行きましょうか。」





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仮想世界の追放者 べっ紅飴 @nyaru_hotepu

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