決着の瞬間

 スタッフに呼ばれ、戦いの舞台へと入場する。昨今のクイズブームの影響か地上波で生中継されるらしい。最初で最後の律との決勝戦は前代未聞の大舞台だ。場慣れしている律もさすがにテレビ中継となると緊張しているのか、いつもよりそわそわしているように見えた。


 俺はいつも早々と敗退して、勝ち残って当然とばかりに涼しい顔をした律を観客席から眺めているだけだった。初めて同じ舞台、同じ立場でライバルの顔をじっと見る。顔を上げた律と一瞬目が合った。じろじろと見ておいてこんなことを思うのは何だが、自分の心の内を見透かされるのが怖くて目を逸らした。


 司会者がルール説明をしている。一対一の対決で、先に七問正解で勝利、三問誤答で失格というとてもシンプルなルールだ。シンプルなルールほど、実力の差が出やすい。律は説明中何度も自分に気合を入れていた。俺たちの最初で最後の決勝戦が始まる。


 開幕早々、律が三問連続で正解した。いざ問題が読まれ始めると、緊張した表情はブラフだったのかと思うくらいに律の指が軽やかにはねる。俺も早押しボタンを押しているのに、律のスピードには敵わない。


 律の超人的な早さについていくために、無茶な押しをする。焦って誤答が嵩んでしまい、あと一回誤答をすれば失格というところまで追い詰められた。


 なんとか一問正解して、流れを持ってくる。しかし、律は意に介していないとばかりに笑みを浮かべた。律が公式試合中に笑うのを見たのは、サッカーをしていた時以来だ。


 その後も二問正解したが、律はその間にさらに得点を重ねていた。俺が必死になればなるほど、律が加速していくように感じる。どうしても追いつけない。


「問題。小人物には」


 俺の指が動く前に、律の早押しボタンのランプが光った。正解されてしまえば得点は三対六。しかし、律は落ち着いて答えた。


「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」


「正解!柏木選手、優勝に王手をかけました」


 追い詰められた。もはや絶体絶命。どうして律の得意分野の問題ばかり出るのだろう。やはり俺は運が悪い。


 小人物に大人物の志は理解できないという意味のことわざ。まさにその通りだ。俺には律がなぜあの高みにいられるのか分からない。いや、分かっているのに現実を直視しようとしなかった。


 クイズという競技は、森羅万象を問う。つまり、積み重ねの競技である。律は六年間努力を積み重ねてきた。俺はたったの三年間、遠くの律の背中を追いかけただけだ。俺の努力が足りなかっただけだ。


 思えば、インフルエンザを言い訳にした風月学院の入試の自己採点は過去問の点数より高かった。実力以上の力を出し切って、それでもなお律と同じ中学に進学できなかった。律との勝負はいつだって完全燃焼して、それでも届かなかった。それが悔しくて本番に弱いのだと、運が悪いのだと自分に言い訳していた。


 律に勝てないと悟り、執着を断ち切るためにクイズそのものをこの試合を最後に引退する。未練はもうないはずだった。それなのに、律がクイズをやめると聞いて、これが最後のチャンスになることにたまらなく焦燥を感じる。


 俺はたった一度でもいいから胸を張って律のライバルだと名乗りたかった。だから、泥臭くても、みっともなくても最後まであがく。顔を上げて、耳を澄ませて問題を聴いた。


「問題。サッカーで」


 ここで俺は賭けに出た。間違えれば即失格という状況で、問題がほんの少ししか読まれていない状況で早押しボタンを押した。六年間サッカーをやっていた身だ。サッカーに関する問題であれば、知らない単語が答えだということはないと思ったからだ。だが、それは律も同じだ。確実に律より速く押すために無茶な早さで押した。ボタンを押すと同時に、問い読みの「ひと」という声が聞こえた。問題の続きは二音聞ければ十分だ。


 脳をフルスロットル状態にして問題の続きを推測する。「ひと」のイントネーションは「人」ではなく「一人」と続くようなものだった。おそらく「一人の選手」と続くのだろう。伝統ある大会では問題文はミスリードを誘わないように自然な問題文になっていることが多い。そして、特に断りがない場合答えは一単語だ。その前提のもと、問題文を推測する。おそらく「一人の選手が、一試合に三得点以上することを何というでしょう?」となる可能性が最も高い。もちろん、絶対とは言い切れないが期待値は最も高い。俺は息を整えて、覚悟を決めて答えを口にした。


「ハットトリック」


 正誤判定までの一秒にも満たない時間が永遠にも感じられた。


「正解!野村選手、失格リーチをものともせずに果敢に攻めました」


「おいおい、正気かよ」


 律が呟いた。律が怯んでいる。やっと、律の目に映れた。攻めの手は緩めない。あと三点、死んでももぎ取る。


「問題。先月七日に俳優の田中」


 押したのは俺だ。田中郁人と結婚した女優の名前を問う問題だ。三年間の経験の差を埋めるのは困難だ。だが、最新のニュースを問う問題に限ってはこの限りではない。全力で対策すれば、格上の相手を出し抜けるのが時事問題である。


「佐川美里さん」


「正解!」


 間違えるわけがない。ここ数ヶ月の、出題されそうなニュースはすべてチェックして頭に叩き込んできた。律が早押しボタンを握り直すのが目に映った。俺もボタンを持つ手に力をこめる。あと二問で逆転だ。


「問題。アルファ星をフォーマルハウト」


 フォーマルハウト、天文部の先輩が教えてくれた秋の一つ星の名前。あの星がある星座の名前を堂々と答えた。


「みなみのうお座!」


「正解!両者九点で並びました」


 ついに同点だ。次に正解した方が優勝。泣いても笑ってもこれが最後だ。


 一瞬驚いたような顔をした後、律は笑った。笑みを浮かべた口元が、「負けねえ」と呟いたように見えた。その後、小学校最後のサッカーの公式試合で見せたのと同じ真剣な表情になる。


 深呼吸をする。絶対に押す。必ず、律より早くボタンを押す。百万分の一秒でもいいから、次の問題だけは律のスピードを超える。


 問題が、やたらとゆっくり聞こえた。一つ一つの音がくっきりとクリアになった。


「問題。元々は同じ川の水を」


 押した。脳が音を意味として認識する前に、指が動いていた。脳裏に浮かぶのは中学の教室。疎ましいと思っていたはずの英語教師の雑談。


「ライバルというのは、昔同じ川の水をめぐって争っていた人々を指していたのです。転じて、たった一つのものを求めて競う人々という意味になったのです」


 たった一人の勝者になるために俺たちは戦ってきた。その軌跡に無駄なものなど一つも無かった。結局出来なくなってしまったサッカーに打ち込んだ時間も、サッカーを奪われてなりゆきで入部した天文部での思い出も、受験に失敗して進学した学校の授業の雑談も、その全てが今日この瞬間に繋がっていた。俺は声の限りにただ一つの答えを叫んだ。


「ライバル!」


 一瞬の間を置いた後、正解を告げる鐘が鳴り響いた。俺の隣から、律の拍手の音が聞こえた。会場の音響が、優勝者決定の音楽に切り替わる。その刹那、たった一人の拍手の音は大観衆の拍手と歓声に変わった。本当に、俺は勝った。生まれてからただの一度も勝てなかった律に、人生で初めて勝った。


 余韻もそこそこにインタビューが始まったが、十二年分の様々な感情があふれて涙が止まらない。生放送されているというのに、ろくな受け答えも出来ないまま、インタビューが終わった。一方、場慣れしている律は飄々として取材を受けていた。


「あの早さで押されてしまったらどうしようもありませんね。巡、おめでとう」


 敗れてもなお気高い律の顔を俺は直視できなかった。感情の昂ぶりを抑えられないまま閉会式が終わり、そのまま舞台裏へと移動した。


「お前が勝ったのに、なんて顔してるんだよ」


 呆れたように律が笑った。


「だって、俺ずっと律に勝ちたくて、これが律との最後の勝負で、夢じゃないかって、今も思ってる。律はずっと俺の憧れだった」


「俺もずっと巡みたいになりたかった。巡の土壇場での勝負強さが俺にとって一番の脅威だったんだよ。本番で実力が出せるって努力した証拠じゃん。すごく尊敬してた。サッカーやってたときからずっと。お前がいないと張り合いがないって思って、サッカー辞めたけど、またクイズで勝負できるようになって嬉しかった。巡との勝負が一番楽しくて、ドキドキして、ワクワクして、ずっと続けてたいって思った。でも、いざ負けるとやっぱり悔しいな」

 

 律の頬を一筋の涙が伝った。俺は俺で、律からサッカーを奪ってしまった罪悪感と、憧れと羨望の対象だった男に認められた高揚感で、感情がキャパオーバー状態だ。泣きながら律に感情をぶつけた。


「馬鹿じゃねえの。俺なんかにそこまでの価値見出すなんて、頭いいくせに馬鹿すぎるんだよ」


「馬鹿じゃない。巡だけが、俺にまっすぐぶつかってきてくれた。誰よりも努力家の巡だけが、俺のことを努力家だって言ってくれた。だから、巡とずっとライバルでいたかった」


 律が泣いているところは初めて見た。天才と呼ばれた律にも律なりの苦悩があったのだ。律の本音にいっそう涙が止まらなくなった。


「泣くなよ、巡。お前は勝者なんだから」


「お前こそ、一回負けたくらいで泣くなよ。俺はお前に何十回も負けてるけど泣かなかったぞ」


「嘘つけ、泣いてただろ。六年前に桜の木まで競走したとき」


 無駄に記憶力の良いやつはこれだから困る。この記憶力はクイズに生かさないともったいない。もし、俺がクイズを続けるのならば、律も続けてくれるかもしれないと考えてしまうのは俺の自惚れだろうか。


「俺、やっぱりクイズ続けることにした。だから律も大学行っても続けろよ、クイズ」


「ああ」


 これからのことを話しながら、あの河原まで歩こうか。あの日と同じように、桜の木まで走ろうか。


 俺はこれからも自分の足で走り続ける。土壇場で命運を分けるのは、たとえ回り道でも全力で走った軌跡の全てなのだから。



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ライバル 天野つばめ @tsubameamano

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