ライバル
天野つばめ
挑み続けた12年
土壇場で命運を分けるのは結局運だ。俺は昔から運が悪い人間だった。
「巡って大学でもクイズ続けるの?」
高校生早押しクイズトーナメント全国大会決勝戦直前、控え室で対戦相手の柏木律が聞いてきた。
「続けない。律は?」
ここ数か月の重要ニュースをまとめた対策プリントから目を離すことなく即答した。
「そっか。俺も大学は別のことやろうかな。じゃあ、これが俺たちの最後の勝負だ」
昔からこういうところが嫌いだった。何でも器用にこなす神に愛された天才で、しかも努力家な律には誰も勝てない。今年のクイズ大会はほとんど律が優勝した。しかし、こいつには執着がない。六年間打ち込んだことだって、あっさりと辞めてしまえるのだ。
俺はクイズの才能がない。トッププレイヤーと呼ばれる人たちとの間の壁を痛感し、高校を卒業したらきっぱりとクイズをやめることにした。吹っ切れて失う物がなくなった俺は初めて準決勝に進出し、そして勝った。そんな俺がこれから、この伝統あるクイズ大会で高校生最強の座を懸けて律と勝負するなんて奇跡以外の何物でもない。
俺は律に練習試合ですら勝ったことがない。どうしても惜しいところで負けてしまう。クイズを始める遙か昔、小学校で同じサッカークラブに入っていた頃からずっとそうだった。
小一の時、クラスメイトだった律に誘われて、サッカーを始めた。律はチームメイトであると同時にライバルだった。紅白戦、レギュラー争奪戦、リフティング対決、その全てで律に負けたくないと思った。天才の律と張り合うなんて無謀だと周りは言ったが、律にお前はライバルだと宣戦布告した以上、勝負を降りるのは男としてのプライドが許さない。
ある日律に、文武両道の名門中高一貫校、風月学院を受験すると打ち明けられた。偏差値70の進学校でありながら、サッカーの強豪校でもあるらしい。律がサッカーの練習がない日に塾に通っていたのは知っていた。律はクラスで一番頭が良かった。
俺も同じ塾に通い、風月学院を目指した。中学生になっても律と同じチームでサッカーをするために。勉強は嫌いだったが、律とテストの点数を競うのは楽しかった。ボロ負けしてばかりだったが、理科だけは単元によっては律と良い勝負ができる点数がとれた。
受験本番、運の悪い俺はインフルエンザに罹って別室受験をした。そのため、当日は律とは会っていないので、手応えなどは知るよしもない。けれども、誰もが予想したとおり律だけが合格し、俺は落ちた。併願校も全滅だったので、地元の公立中学に進学することになった。
三月の終わり、送別会で行われた紅白戦を最後に俺たちはサッカークラブを卒業した。紅白戦は律のチームが勝った。帰り道、それが悔しくてリベンジとばかりに河原で競走を持ちかけた。桜の木まで先にたどり着いた方が勝ち。俺たちは河原を上流に向かって駆け抜けた。ゴールの桜の大木に先にタッチしたのはやはり律だった。その差は体感0.1秒くらいのものだったと思う。全力疾走に疲れ切った俺たちは同時にその場に寝転んだ。
「危なかった。今度こそ負けるかと思った。やっぱり、巡は最高のライバルだよ」
「律には結局一回も勝てなかったけどな、それでもライバルって言えるのかよ」
俺は悔しくて憎まれ口を叩いた。空を仰げば、三月の日差しが眩しくて涙が滲んだ。情けない顔を律に見られたくなくて、目を腕で覆った。
「ライバルの定義は分からないけど、お互いがライバルって思ってたらライバルだろ?巡はライバルの定義、知ってる?」
「知らない。そういえばライバルってなんでライバルっていうんだろうな」
この疑問の答えを知るのは、中学生になってからのことだった。
「分からなくて良いじゃん。巡と俺は一生ライバル、それでいい。なあ、中学行ってもサッカー、続けろよ」
律が俺の方に腕を伸ばし、律の小指が俺の小指に触れた。空を見上げたまま、指切りをする。
「ああ、次は絶対俺が勝つ。覚悟してろよ」
あの日の馬鹿みたいに青い空とアホみたいに冷たい風を今でも俺はよく覚えている。
この約束は果たされなかった。
俺は中一の夏休みの終わりに交通事故に遭い、選手生命を断たれた。退院してからもショックでしばらく学校に行かなかった。
どこから噂を聞き付けたのか、放課後の時間帯に毎日のように律が家に押しかけて来た。
「部活、どうしたんだよ。レギュラーになったんなら練習忙しいんじゃねえの」
「今試験前で部活禁止なんだよ」
「二学期始まったばっかりだろ」
「それがさあ、風月って学期に四回試験あるんだよ。やばくね?」
「はあ、さすが名門進学校様は公立とは違うな。帰って勉強しろよ」
「何だよ、冷たいなー。久々に会ったんだし、巡のクラスの可愛い女子の話でも聞かせてくれ。男子校のむさ苦しさ舐めんなよ。こっちは深刻なんだよ」
今考えると、学期に四回も試験があるなんて嘘だと分かるし、サッカーと無関係な話題で俺の気を紛らわしてくれていたのだと思う。
「暇してんなら、風月の文化祭来いよ」
日常生活には問題ない程度には歩けるようになっていたし、何より律があまりにもしつこかったのでしぶしぶ行った。やたらとにぎわっているクイズ研究会のブースで、早押しクイズ体験会に参加したのがクイズを始めたきっかけだ。中学受験の頻出問題と、サッカーに関する問題を正解した。クイズ番組に出ている芸能人になったような気分で、久しぶりに楽しいと感じた。
「俺、クイズ研究会入ろうかな。うちの学校にあるのか分からないけど」
「いいじゃん。無かったら作ればいいんじゃね? 巡なら何でもできるって!」
元気を取り戻した俺は、翌日から学校に行くようになった。クイズ研究会に入りたかったけれど、残念ながら俺の学校にクイズ研究会はない。新しく同好会を作るのには五人必要だったが、一人しか賛同してくれなかった。
唯一の賛同者は天文部に所属していた。文化部は基本的に兼部が許可されている。クイズ研究会を作れる人数が集まるまでの期間だけでも天文部に入ってみてはどうかと勧誘され、押し切られる形で天文部に入部した。
忘れられない出来事がある。学校の屋上での初めての天体観測だ。
「秋の夜空ってね、明るい星があんまりないの。でもね、だからこそあの星がすごく綺麗に見えるのよ」
顧問の先生が教えてくれた。確かに、秋の空は冬の空に比べて一等星が少ない。
「あの星、フォーマルハウトっていうんだよ。野村君、三月生まれのうお座だったよね? フォーマルハウトがあるみなみのうお座のモデルはうお座のお母さんなんだよ」
部長が続けた。入部時に書いたアンケートに書いた誕生日。それに絡めて星にまつわる神話を教えてくれた。
天文部は楽しい。先輩のしごきもないし、居心地がいい。サッカー部の元チームメイトも気まずくならず、廊下で会えば普通に挨拶する程度の良好な関係だ。天文部の同期が早押しクイズのアプリを教えてくれて一緒に楽しんでいる。
律が俺を外に連れ出してくれたお礼を言うつもりで電話をかけた。近況報告を終えると、律が信じられないことを口にする。
「そのアプリ俺もやってるよ。俺、クイズ研究会入ったんだけどさ、部員みんなやってる。高三の先輩とかレート化物みたいに高くてやべえ」
「お前、サッカーは?」
「ああ、やめた。サッカーはもういいかなって。なあ、今からアプリで対戦やんない? 俺、この一ヶ月で鍛えられたから結構強くなったぞ。入って初めて知ったんだけどさ、風月のクイズ研究会って日本で一位二位争うくらい強いんだってさ」
俺は楽しそうに話す律に苛立ち、電話を切って律の家まで押しかけた。
「ふざけるなよ! 俺はサッカー続けたくても続けられないのに、お前はそんなに簡単に辞めるのかよ! お前が中学でも続けろって言ったのに、俺の分まで頑張ってはくれないのかよ。マジで何なんだよ、死ねよ」
感情にまかせて律を罵倒した。律は言い返さなかった。
「約束破ったのは悪いと思ってる。好きなだけ俺のこと殴れよ」
指切りげんまんの語源は、ゲンコツ一万回。俺は拳を握りしめた。律は臆することなく俺の目をまっすぐ見つめている。
拳をほどいた。殴れるわけがない。俺を立ち直らせてくれたのは律だ。今日だって本当は「ありがとう」と言いたくて電話をかけたはずだった。
サッカーも勉強も律には敵わない。クイズだってきっと律には敵わない。目に見えるもので何も勝てないのに、こうして人間としての格の違いまで見せつけられたら、立場が無いじゃないか。
「俺、お前のこと嫌いだ」
「だったら、俺のこと倒しに来いよ。高校はクイズ研究会があるところに入れよ」
酷い言葉を浴びせた恩知らずの俺に律は発破をかけた。
「言われなくとも。絶対お前のことぶちのめすから覚悟しやがれ」
「約束だからな」
高校受験は絶対に受かってやる。学校の授業は真剣に聞いた。受験に関係ない雑談が煩わしかったが、一つ印象に残っている話がある。英語の授業で「river」すなわち川という単語を習った日のことだった。
「皆さんにライバルはいますか?ライバルという言葉はriverから来ているんですよ」
思い浮かんだのは律の顔だった。
その後、高校受験でクイズ研究会がある都立高校へ入学した。中高一貫のアドバンテージのある風月学院ほどではないが、それなりの強豪校だ。高校に入って最初のクイズ大会で律と顔を合わせた。
「あの時八つ当たりしてごめん」
「謝んなよ。俺こそ約束破って悪かった。それより、今日は負けねえからな」
震える声で謝る俺に対して律はキラキラした顔で宣戦布告をした。以来、律の背中を負い続ける日々が再開し、勝てないまま今日にいたる。
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