あたしの、小説を書いていた友だち
春Q
『useless』
高校の時、クラスにめちゃくちゃ絵のうまい子がいた。
その子は授業中にもプリントの裏とかに絵を描いて、家に帰ったら綺麗なデータに起こして、それで夜には作品投稿サイトにアップロードして、翌日にはランキング十位以内に入っている、みたいな。そういう凄い子だった。
でも彼女は、あたしのユーズレスじゃない。
ユーズレスは、本名を
インターネットでペンネームを使って小説を書いていた。
だからユーズレスは、譲が自分で自分につけた名前だ。
「《
useless.
本当はその単語のsは濁らずに発音するのだけど、無知なのか、こだわりがあるのか、彼女はユースレスではなくユーズレスと名乗った。
額と鼻は脂っぽくて頬だけ霜焼けしたように赤いその顔に、乾ききって今にも剝がれそうな笑みを貼りつけて、ユーズレスはその由来を教えてくれる。
「いてもいなくても変わりないし、なんならいない方がいい。そういう意味」
カッコつけて言っているが、要は自虐だ。本人も恥ずかしいのだろう。
ぼそぼそと呟く顔を、わずかに教室の机へ伏せていた。今も覚えている。
ユーズレスはブスだった。満月みたいにまんまるな顔で、前髪は短すぎる。
日ごろから皮肉っぽい口ばかり叩くからだろう、そうやって笑っていても癖のように唇のはしが歪んでいた。おまけに大昔に流行ったようなおじさんぽい眼鏡に、脂っぽい髪をいかにも垢抜けない風にうなじで低くまとめている。
クラスで友達になりたいかと聞かれると、たぶん絶対に違うのだが、あたしはそうも言っていられなかった。
高校の入学式からの一週間、自己紹介とかグループ作りとか諸々が決まるその日々をまるまる欠席していたからだ。
朝に起きられなかったし、面倒くさかったので。
親には適当にごまかしていたのだが、それもとうとうバレてしまい、登校せざるを得なくなった。とはいえ寂しい高校生活を送るのは嫌だったので、あたしはクラスメイトに片っぱしから声をかけて、一緒にいてくれそうな人を探した。
自慢じゃないが、コミュ力は常人の二倍ある。
これはたぶん精神病を患っているお姉ちゃんが、生まれるときお母さんのお腹の中に置いて行った全部を、根こそぎ拾って生まれたからなのだろう。
だから賢さも二倍、強さも二倍、かわいさも二倍、ただ勤勉さと責任感は不思議とゼロ。我ながら人として最悪すぎるけれど、まあ持って生まれたものは仕方ない。
話しかけた時、ユーズレスは文庫本を読んでいた。それが車谷長吉の『赤目四十八瀧心中未遂』だったので、あたしはわかった。ほかの連中のことはもういい、何をおいても絶対にこの子と仲良くならなきゃいけないんだと。
実際、話してみるとユーズレスはかなり面白いやつだった。
会話自体に慣れていないようで喋りは下手くそだけど、それも慣れれば癖になってくる。口は悪いけど、真面目だった。あたしと違って遅刻はしないし校則も守る。
実際、ユーズレスの
その頃のあたしは、ユーズレスの中身を取り出して、siriみたいにスマホに入れられればいいのにと本気で思っていて、ウケるかと本人に伝えたら、ふつうに気持ち悪がられた。
でも、言って正解だった。ユーズレスは小説を投稿しているサイトと彼女のアカウントを教えてくれた。いや別にどうでもいいことなんだけど、という意味の長い長い前置き付きで。
まあ雰囲気からして十中八九なにかしら書いてはいるだろうと踏んでいたので、アカウントを持っていること自体は別に意外でもなんでもなかったのだが、それを打ち明けるくらいあたしに気を許しているというのは、なんともいい気分だった。
自分で言うのもなんだが、あたしはかなりの寂しがり屋だ。
なまじ優秀なばかりに、親はかわいそうなお姉ちゃんにばかり構うし、ほんの一瞬でもいいから誰かにとっての不動の一位の存在になりたいと望んでやまなかった。
誰かにとって一番になりたい。これもある種の承認欲求、なのだろうか?
中学の時にはそれをかなりこじらせてしまった。色んな人間関係をめちゃくちゃにして、最終的には村八分みたいな扱いを受ける羽目になったのだが、未だに懲りない。そういう意味では、あたしも《
親と、いや誰と話していても、相手の中の自分という存在の無価値さにいつもいつも驚いてしまう。あたしと話している時にスマホをいじられると泣きたくなるし、長文のラインに適当なスタンプで返されると死にたくなるし、SNSでフォローした相手からリフォローが返ってこないと、顔も知らない相手のお高くとまった鼻っ柱をへし折りたくなる。
今、この世界にはあたしときみしかいないと思い込むのが好き。
それが全部あたしの勘違いで、きみにはあたしの代わりなんていくらでもいるのだと理解すると、まるで目に見えるもの全部が本当はうすいガラスでできていて、それが一斉に粉々に砕けて突き刺さってくる、そんな痛みを本気で覚える。
いてもいなくても変わりないし、なんならいない方がいい。その意味を痛感する。
そんなあたしがユーズレスのアカウントを知って何をしたかと言うと、まず彼女が投稿サイトに載せた小説をプリンターで二部印刷した。
ちょうど最新の投稿作品が二万字だった。オリジナルをメモ帳にコピペして、さらにかなり行間を広くとったワードにコピペする。この一部がだいたい五〇ページ。二部で百ページと少し。黙々と印刷する。
一部をひたすら精読してその物語への理解を完全に深めたところで、もう一部に蛍光マーカーで線を引く。
蛍光マーカーは黄色、ピンク、水色の三色だ。シンプルに文章表現がうまい箇所には黄色、個人的にツボに入った箇所にはピンク、深掘りして質問したいと思った箇所には水色を使うものとする。あとは同色のポストイットと細字のペンを用意して、具体的に良かった点を書き起こす。該当箇所の余白に貼る。
以上、おわり。
全部やるのに、あたしは五日を費やして、なんなら五日目は徹夜した。
それほどまでに出来の良い小説だったから、とはどうか思わないでほしい。あたしには彼女の小説を正当に評価することなんてできない。
ただユーズレスの心を得るためにあたしはそれをした。要は感想という甘い餌を与えて依存させたかったのだ。寂しかったので。
その寂しがり方が異常だから、持てる能力すべてを使って素人の独りよがりな小説にさえここまでやる。我ながらどうかと思う。
でもたった五日の努力でもう寂しい思いをせずにいられるとしたら、誰だってそれくらいのことはするでしょう?
正直あたしは、文章も展開も難解な閲覧数1桁台のコスパ最悪よわよわ字書き――つまりユーズレスのことは、これで確実に落とせると確信していた。
それで六日目の午後、自信満々にユーズレスに提出したら、ヤツは書類封筒を開けもせずにあたしの遅刻を詰った。あたしはイラついた。こっちはおまえのせいで徹夜までしたのに、なんで寝坊を責められなきゃならないんだ、と。
「いいから見て、早くッ」
あたしが急かすと、ユーズレスは顔をしかめて書類封筒の紐をほどいた。
中身が噛みつくとでも思っているみたいに、両手の親指と人差し指で袋の口を広げ、暗い中を覗き込む。意を決したように片手でごっそりと取り出すと、固まった。
その時のユーズレスの反応をここで事細かに描写する必要はないだろう。それはあたしだけの思い出で、今のあたしを慰めてくれる数少ない大切な記憶だからだ。
ただ大体のことはあたしが思い描いていた通りになって、ユーズレスは喜んだ。
世界にたった二人だけの、『あたし』と『きみ』の『きみ』になってくれた。
そう思う。単なるあたしだけの思い込みじゃなくて当時の彼女にとってもそうであったことを、浅ましいことに、あたしは願ってやまない。
あたしはこの話を、ここでおしまいにしたかった。
あるいはここで、適当な嘘をつきたい。
どうせあたしとユーズレスのことなんて誰も知らないし、その人達はここで読んだことなんて、あっという間に忘れて元の生活に戻っていくのだろうから。
むしろこのご時世では事実をありのままに書くほうが問題だろう。こうして言葉を吐き出しながら、あたしはずっとビクビクしている。
誰かが怒ってあたしを捕まえにくるんじゃないか、と。あるいは、どれだけ叫んだところで、結局は誰もあたしを捕まえにきてはくれないのではないか、と。
たとえば、こんなのはどうかな。
あたしのアドバイスを受けてユーズレスは小説を書くのがうまくなった。賞を獲った。学生作家になった。二人はレズカップルになって身も心も結ばれた。
でもユーズレスはそういうつまらない嘘が一番嫌いだった。
自分にとっての真実を書かずに、人を喜ばせるための嘘をついたら意味がない。読まれなくても本当のことを書くべきだ。そんな強がりを平気で言う。
そんな訳があるか? そんな訳はないとあたしは思う。
だってそんなの負け犬の遠吠えじゃないか。
読まれていない。評価されていない。なにも結果を残していない。ただそれだけで人は人を簡単に見下す。みんなそれが嫌で必死に自分の価値を高めようとするんでしょうが。
ユーズレスとはよく、そんな話をした。
つまらないなりに本当のことを書こう。
あたしがそれをしなかったら、ユーズレスは本当に消えてしまうから。
ユーズレスの小説を読むために、あたしは作品投稿サイトにアカウントを作った。
今も昔も会員制のサイトで、ログインしなければ作品を閲覧することができない。
小説を読んで、感想を送り付けた後、あたしはユーズレスのアカウントをフォローした。当然のごとくフォローは返ってこなかったが、あたしは我慢した。
好きなユーザーをフォローすると、そのユーザーの作品投稿をいち早く知ることができる。なんの作品も生み出さないあたしを、創作する側のユーズレスがフォローしても仕方がない。
この事実を当時のあたしは理解していたが、同時に激しく憤ってもいた。
読み手がいなければ書き手は成立せず、本来その関係性は平等であるはずなのに、どうして書き手だけが特別視される構図が出来上がっているのかと。
とはいえこれは、寂しがり屋の高校生の戯言だと思って聞き流してほしい。
実際に創作活動に身をおいてみれば、読み手よりも書き手のほうが大変だということはすぐにわかる。何しろ無から有を作り出さなければならない。
ユーズレスが一か月かけて書き上げた小説を、あたしは三十分足らずで読み終えることができる。精読しても、たかだか五日しかかからなかった。
あたしは苦悩した。一度、成功体験を積んだことで貪欲になっていたのだ。
ユーズレスともっと仲良くなりたい。彼女の唯一無二の存在になりたい。リフォローがほしい。好かれたい。ユーズレスからの愛がほしい。
そのためには読む側から、書く側に回るべきだということはわかりきっていた。
だけどそれは諸刃の剣だ。
無視されたり微妙な反応を返されたらもう立ち直れない。
あたしは本当は今でも物語なんてちっとも書きたくはない。ただ、もういないユーズレスの気を惹きたい一心でこれを書いている。ひどい矛盾だ。
だって、小説って伝える手段としてコスパが悪すぎない? 絵や音楽と違って自然に受け止めてもらえないもの。というか、小説を書いている人って、そういう特殊な技術がないから小説を書いているんじゃないの。最低限、字が書ければできるんだから、手軽だよね。だから総じてレベルが低いし、みんな素人の小説なんて読み捨て以外の目的で読まないわけ。なんでもっと時間を有意義に使わないんだ。
「おまえも書けばわかるんじゃない」
ごちゃごちゃと小説をディスるあたしに、ユーズレスはそう言う。
あたしは当然のごとく「書かないよ」と返す。今もそう返したい。
「横で見ててもめちゃくちゃ辛そうだし、書きたいと思わない」
「はあ。私のせいなわけ」
「そうだよ。ライバルが減って嬉しいでしょ」
教室で、ユーズレスに話しかける時の、あたしの座り方を想像してほしい。
どんなに席替えをしても、寄っていくのはいつもあたしからだった。ユーズレスの前の席から椅子を借りて、体をねじるようにしてユーズレスの机に肘をつく。
ユーズレスはあたしを振り向いたことなんてない。
あたしがユーズレスを欲しがるほどにはユーズレスはあたしを欲しがらなかった!
それでも、あたしはユーズレスと、いろんな話をした。
学校の、つまんない授業のこと。
小説と映画の話。
ユーズレスの小説の感想。
たまに家族の愚痴も聞いた。
ユーズレスは家で雑種犬を飼っていて、親と揉めてむしゃくしゃするたびに散歩に連れ出すから、ベビーフェイスなのに体だけめちゃくちゃマッチョに育ってしまったらしい。つまり、それくらい親と折り合いが悪かったみたいだ。
それこそ、自分を
長女って損だとユーズレスはよく言った。弟妹を舐めくさった発言だと次女のあたしは思う。でも犬に罪はない。よくスマホで撮った写真を見せてもらったが、確かに顔だけはあたしと張るくらいかわいかった。
あたしは、Fちゃんの話題をよく振った。
冒頭に書いた死ぬほど絵のうまいクラスメイトだ。彼女もユーズレスと同じ投稿サイトに絵を載せていた。
絵と小説の格差はエグい。同い年で同じ学校に通っている身長も大して変わらないJK二人の間に、張り合うのもバカバカしくなる差が簡単につく。しかも閲覧数と評価という目に見える数字として比較できてしまうので、殺傷力が高い。
そんなFちゃんのことをユーズレスがどう思っているのか、あたしは恐ろしく興味があった。
帰国子女で、雪のように色が白く、クラスでも一目置かれているFちゃん。残酷な仮定をすると、Fちゃんかユーズレスのどちらが死ぬべきか、人類が多数決を採ったら、生き残るのはまず間違いなくFちゃんの方だろう。
あたしはユーズレスにそういう焦燥感を抱いてほしかった。
あたしが病気のお姉ちゃんに抱いていた感情は、まさにそういう類のものだからだ。生き残るために、親に、人類に、何よりもあたしに対して媚びてほしかった。
その時こそユーズレスは本当の意味であたしのものになるんだ。きっと、あたしを一番に優先して行動してくれるようになるんだから。
そんな後ろ暗い期待の高まるユーズレスの回答はいつも「絵がうまいよね」という大味なものだった。
あたしはその度にがっかりした。あたしに対しては毒舌を使うのに、なんでFちゃんについては空気を読んだようなことしか言わないんだ。悪口を言え!
あたしはFちゃんについてふざけんなと思うことがあった。
夏休みのポスター課題で、ちゃんと始業式の日に提出するその他大勢より、忘れてたとか言って〆切を一週間も破るFちゃんの描いたポスターのほうが、出来がいいし評価されるってこと。
いや、腹が立ったのはFちゃんに対してじゃなくて、そんなFちゃんを許容して凄いとかカッコいいとか持ち上げるその他大勢だ。
なんでよ。怒られろよ。同じ人間だろ。
そういう不平等が平気でまかりとおるのがバカバカしくて、あたしは二度とその手の課題を提出しなかった。教師からは形式的な注意を受けたが、あたしはFちゃんではないので催促されたり特別に待たれたりすることはない。
その現実が何より一番許せない。
話を戻そう。秋も深まった頃、ユーズレスが小説をコンテストに出すと言った。
多くの作品投稿サイトがそうであるように、ユーズレスとFちゃんが活動していたサイトも、定期的にコンテストを開催していた。
文芸誌主催の新人賞と違ってラフな雰囲気で、基本的には規定のテーマや文字数を満たした作品を、タグを付けて投稿すれば応募が完了する。
ユーズレスがなぜ急にそんな気を起こしたのかはわからなかった。
三月が〆切の賞に応募することで高校一年の活動に区切りをつけたかったのか、あるいは、あたしがFちゃんFちゃんとうるさいから、らしくもなく功名心を起こしたのかもしれない。
あたしはユーズレスの気まぐれを素直に喜んだ。
全世界に対して一人でジャンケンを挑むかのような意味不明な小説を書くユーズレスが、入賞するなんてことはまずありえないからだ。
おまけに一次選考は読者審査らしい。ユーズレスの読者は推定あたし一人。
ユーズレスからの媚びを期待していたあたしは、事態を甘く見すぎていた。
コンテストのタグを付けると、閲覧者数が増える。
一時的に閲覧者数が増えても、評価は伸びない。
それがどういうことかというと、つまり、ユーズレスの小説は伝える手段としてポンコツで面白くなくて価値なんてない、一人ひとりのその判断を、毎秒ごとに突きつけられ続けるということだった。
ユーズレスはあたしに媚びなかった。机に突っ伏してはいたが、泣いてはおらず、ただ、正面に体をねじって座るあたしの手に手を重ねている。
あたしはユーズレスの手のひらの柔らかさと温みにただただ驚くばかりだった。
「爆死しちゃった」
本当は爆死以外したことないくせに、ユーズレスは生まれてはじめて面白くない小説を書いたみたいにつぶやいた。かすかに洩れる空笑いが、まるで泣いているみたいに聞こえて、これは違うだろうとあたしは叫びたくなる。
だってこれじゃ、あたしがユーズレスを騙したみたいじゃないか。いや騙してないとは言わないけど。でも、小説ってもっと自由なものじゃないの? あたしが六日かけて読んで凄く良いって褒めたら、その小説は凄く良いに決まってるじゃないか。
それの何がダメだったの?
「許せないんだよな」と、ユーズレスは深い絶望を込めて言う。
「いや、わかってはいたよ、自分がどれほどのモンかってことをさ。それでも、許せないんだよなあ、私をこんなに無価値で無用で無意味にする全部が」
ユーズレスは、あんまりスキンシップとかしない。
距離が近いとか言ってすぐ怒るし。そのユーズレスの手の平が、あんまりにもあっさりとあたしの手の甲に被さってくるので、あたしは、たぶんその時に一度死んでしまった。だから、今これを書いているのは幽霊です。
幽霊だから何をしても許されるとは思わないのだが、あたしは、だから、不正をした。昔は規制がかなり緩かったのでそれができた。
具体的な方法についてはここに書くことは避ける。ただ、高校の情報室に設置してあるパソコンを全て起動させたとだけ言っておく。
何をしたかはそれで大体伝わるだろう。
生きているあなたは、決して真似をしようなどとは思わないでほしい。どうせあたしと同じように失敗するから。本当に、死ぬほど時間がかかる。
結局、勝手に鍵を使って情報室に入ったことがバレて教師から大目玉を食らい、ユーズレスにはひっぱたかれ、あたしは逆上し、取っ組み合いのケンカになった。
ケンカ慣れしていない文学少女二人のキャットファイトは、本当にひどくて、あたしはユーズレスの眼鏡を折ったし、ユーズレスはあたしの耳を半分裂いてしまった。
でもあたしは、その時すごく興奮して、満たされていた。
暴力は最高。伝える方法としては下手な小説よりよっぽどコスパがいい。あたしとユーズレスには体があって、こんなに血が出るくらいぶつかりあえるのに、どうして言葉になんて頼ろうとするんだろう!
「ざっけんな、ふざけんじゃねえよ……マジで……てめえ……」
この世界には、本当はあたしときみしかいないって言うのに!
「あんたが望んでいたのは、こういうことでしょう! 勝つために、自分の価値を証明するために力が欲しかった! それだけでしょうが!」
揚げられた魚みたいにもがくユーズレスを、あたしは全身で押さえ込んで喚いた。
「スカしてんじゃねーぞ!なんで必死にやったあたしを責めるんだよ!」
「私はそんな卑怯な真似をしろなんて頼んでない!」
「卑怯ォ……? 卑怯ってなんだよ! あんた勝ちたくないでも言うの。命がけでやってることに、卑怯とかクソとかねーだろ!」
「 なんで? なんでそんな戦争みたいにしちゃうの?」
「だって」
今さらすぎる言葉に、あたしは本気で途方に暮れる。
お姉ちゃんばっかり大事にする親も、何もかもランク付けしてくる学校も、あたしのことなんて別に全然好きじゃないユーズレスも、全部が全部、そうじゃないか。
「戦争なんだもの」
「本当に? そんなわけないじゃない。勝つことは別に負かすことじゃないよ。人から奪わなければ奪われちゃうって言うの? 違うでしょう? 少なくとも、あなたと私の間では、そうじゃないと思ってた……!」
そう言ってユーズレスは、子供みたいに泣き出してしまった。ユーズレスにつられて大人しくなったあたしは、教師に取り押さえられる。
ぷらぷらする耳をそのままに病院に担ぎ込まれてもなお呆然としていて、落ち着いたと思ったら急に自殺を図るし、親からはかなり心配された。結局はあたしもお姉ちゃんと同じように病んでしまったというわけだ。
何もかもが今さらすぎると、本当にそう思う。
外科的な手術とメンタルヘルスの治療がやっとひと段落した時には、もう春だった。学校にユーズレスはいなかった。なんと転校したらしい。
元からそう決まっていたのか、あるいは傷害事件を起こしたせいなのかは、とうとうわからずじまいだ。流血沙汰のせいで連絡先も教えてもらえなかった。
そうなるとっくの昔に、ユーズレスの作品投稿サイトのアカウントは削除されていて――自殺を図ったのもそのせいなわけだが――あたしは、ユーズレスの新しい小説を二度と読めなくなってしまった。
この悲劇的な話にはもう少しだけ続きがある。
それはつい先日のことなのだが、あたしはユーズレスとばったり再会した。
いや、もはやユーズレスじゃなかった。
小学生くらいの子供を連れていて、身なりもすっかり垢抜けて、痩せていた。
地元でもなんでもない町の道ばたで「奈子ちゃん?」と、あたしに話しかけた
喫茶店に誘われて断らなかったあたしは、馬鹿なのだろうか。
「相変わらず、綺麗で羨ましいなあ」とか言われて、「あの時はケンカ別れみたいになっちゃって」などと雑に話を切り出されて、その間、あたしは目鼻立ちが譲そっくりの子供を凝視していた。
自分でも正直気持ち悪いと思うのだが、あたしの与り知らぬところでこの女がセックスをしたという事実が、まず衝撃的だった。
目まいを覚えながら、あたしは尋ねた。やっとオアシスに辿り着いたと思い込んでいる哀れな砂漠の旅人みたいに。
「小説は?」
「え?」
「小説は書いてる?」
「ううん」
譲は小さく笑って首を振った。
「そうだね、あの頃は確かに書いてたよね。それが、あの……ピルってわかる?」
「は?」
「低用量ピルって……あの、避妊とか、PMSとかの治療で飲むやつ」
馬鹿にしてんのかと思ったら本気で丁寧に説明してくるので、あたしは焦った。いや、おまえがユーズレスなら馬鹿にしてくれ。あたしを。
「旦那と知り合ってから飲むようになって……私、すっごい生理重かったじゃない。重かったんだよ。飲むようになったら、なんか書かなくて良くなった」
「……ほう」
「だからさあ、イライラしたりとか変な小説を書いたりとか、なんか言い方悪いけど、性欲みたいな……いや、ホルモンか。そのせいだったのかなあって」
ピルならあたしも飲んでいる。
譲が経験したような魔法のような効き目はないのだが。
そうしてほしそうだったので「そうなんだ。よかったね」と笑ってみせると、譲はあからさまにホッとしたような顔になった。
それから、なんか健康だか美容だかの話になって、おすすめのサプリとか、子育ての愚痴なんかも、コミュ力二倍のあたしはうんうんと聞いてあげて、だけど、ずっと耳の古傷がびりびりと千切れそうに痛んでいた。
だから、ユーズレスはもういない。
信じられる? 本当にいないんだよ。ユーズレスの書いていた小説のことなんてこの世の誰も知らなくて、あたしが黙っていれば全部なかったことになる。
でも、誤解しないでほしい。
それはたぶん凄く当たり前の、素晴らしいことなんだ。
むしろ仕事から帰ってきてクタクタのあたしが書き連ねているこんな振り返りのほうこそ
ユーズレスはずっと正しかった。間違っていたのはあたしの方だった。
書けばわかるってこと。
どんなに雑に扱われたって、誰もあたしからこの気持ちを奪えないってこと。
ホルモンバランスの異常って言われたら、そうなのかもしれないけど。
だけど、これだけは言わせて。
ユーズレス。
きみは、あたしの、小説を書いていた友だち。
あたしの、小説を書いていた友だち 春Q @haruno_qka
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