第4話 気分転換?

コーヒーでも飲もうかな。

僕は、そう思って立ち上がる。周りを軽く見渡すと、今日は営業に出ている社員が多いのか男性の姿は少ない。そっと総務課の方に目をやると、数名の女性社員が座って仕事をしている姿が目に入る。その様子に安心して、僕はデスクの引き出しから静かにマグカップを取り出して、不自然にならないよう気を付けながら給湯室に向かう。

ちょっとコーヒーを飲みたい、それだけなのにやたら気を遣うのである。

会社に入ったばかりの頃、毎朝、始業時間になると総務課の女性の社員さんがコーヒーを淹れて、各デスクに配っている姿を見て面食らった。先輩社員や上司たちが当たり前のように、それを受け取って飲んでいる姿を見てさらに面食らった。さらに、衝撃的だったのが、この会社では男性社員、特に年配の男性社員はほとんどお茶やコーヒーを自分で淹れることがない。お客様の分だけでなく、自分の分も、である。

「ちょっと、お茶淹れてくれるかい」

こんなセリフをリアルで聞くことがあるなんて思いもしなかった。あまりにも衝撃的過ぎて、友達との飲み会のネタにもできないレベルだ。

入る会社を間違えたかな。冗談じゃなく本気でそう思った。思っていたが、結局、ずるずるこの会社であっという間に数年が過ぎてしまった。古い体質ではありつつも、営業の仕事そのものにはやりがいもあり、頑張れている。と、思う。

おそるおそる覗いた給湯室には誰もいなかった。安堵して、コーヒーを淹れることにする。以前、自分でコーヒーを淹れようとしたら総務課のベテラン女性社員に見つかり、

「コーヒーなら私が淹れてあげるから、言ってくれればいいのよ」

と、半ば無理やりカップを奪われてしまった。申し訳ないが、それが何となく引っ掛かり、それ以来会社でコーヒーを淹れようとしたことはなかった。飲み物はマイボトルに入れて持ってくるか、営業周りのついでにコンビニや自販機で購入するようにしていた。

だからこの給湯室に入るのも久しぶりである。

この給湯室自体も、使い方を女性社員にしか教えない、という謎の伝統がある。そのため、収納や片付けなどのルールも女性社員しか知らない。

そうはいってもそこまで広い給湯室ではないので、どこに何が置いてあるのかは大体見当がつく。コーヒー豆を取り出し、ミルやドリッパーを並べる。コーヒーの趣味はないが、仕事中に全然違う作業をするとちょうど良い気分転換になる。

 おしゃれなハンドドリッパーから、ちょっと歪な形のマグカップにコーヒーが落ちていく。このマグカップは、大学時代に自分で作ったものだ。陶芸なんて全く興味がなかったけれど、当時付き合っていた彼女がアーティスティックな子で、とにかく「何か作りたい!」という子だった。彼女に誘われるがまま、連れて行かれるがままに、陶芸やトンボ玉、織物、染め物、こぎん刺し、レジン、うちわ等々……いろいろなワークショップに参加した。このマグカップも確か、どこか焼き物の産地の一つで作ったものである。数々のワークショップに参加したけれど、仕事にしたいと思うものはなかった。自分は作る仕事には向いていない、そう思った。けれども、自分で作ったマグカップには愛着がある。ちなみにその彼女とは卒業と同時に別れてしまったが、今もSNSでつながっている。確か、ガラス工房で働いているはずである。彼女は僕とは違い、作る仕事を選んだのだ。


「あら、コーヒー淹れてたの? 言ってくれればいいのに」

給湯室の入り口に総務課のベテランの女性社員と今年入社したばかりの女性社員が立っていた。

「あ、すぐに終わりますので」

僕はそう言って、洗い物をしてその場を片付けようとする。すると、

「いいの、いいの、片付けは私がするから、ね。そのままにしておいて」

 と、ベテランの女性社員は無理やり洗い物を奪ってしまう。

 「……すみません」

 「いいのよ。こういうことは言ってね。コーヒーも言ってくれればすぐに淹れるからね」

 当たり前のように彼女に言われてしまう。

 「あー……ありがとうございます」

 軽く頭を下げると、様子を見ていた新入社員の女性の苦々し気な視線とぶつかった。

 コーヒーくらい自分で淹れるのは当たり前じゃん。彼女の心の声が聞こえた気がしたが、僕にはどうしようもできない。淹れたてのコーヒーが入った歪な形のマグカップを手に持ち、そそくさと給湯室を後にする。

 

 気分転換で淹れたはずなのに、なぜだかどっと疲れて、コーヒーの味はわからなかった。


おわり


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給湯室ラプソディー 深波あお @minami_ao

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