第3話 役割?
「悪いんだけど、お茶頼める? 応接ブースに3人分。急ぎで!」
同期の男性社員に言われ、私は
「日本茶と紅茶、どっちにする? 今日、ちょっと良い紅茶が入ったのよ」
と、尋ねると
「そうなの? そしたら紅茶でお願い」
「了解」
同期は軽く手をあげて、お客様のもとへと戻っていった。
今時、女性社員にお茶やコーヒーを淹れさせるのを当たり前だと思っている会社は古い体質らしい。最近では、お茶やコーヒーはセルフで淹れたり、自販機やコーヒーメーカーのような機械を使うところが珍しくないそうだ。時代は変わったものだと思う。
この会社に入社したのはもう数十年前だけれど、最初に「給湯室の使い方」を教えられたことはしっかりと覚えている。お茶や紅茶、コーヒーの美味しい淹れ方、食器の置き場所やら掃除の仕方、ごみの分別方法、ストックの保管場所などをとても丁寧に指導してもらった。説明をしてくれた先輩社員はその2年後に寿退社し、その役目は私に回ってきた。そしてそのままずっと私が担っている。
給湯室の使い方については、例年、新入社員の女性にしか教えていない。これについても、何年か前から、男性にも教えるべきではないか、そもそも時間をとって指導する内容ではないのではないか、といった指摘がされるようになった。その指摘もわからなくはないが、今までの慣例をわざわざ覆す必要があるのか、私にはわからなかったし、何より、そういった指摘があっても、いざ新入社員が入ってくると、人事の担当者に「今年もお願いね」と、言われるのでずっと続けているのだ。
給湯室のお茶やコーヒーはかなり良いものを揃えているし、食器も古いながらセンスの良いものが揃えられている。お茶やコーヒー豆の注文は、この給湯室の使い方を新入社員に教える役目と一緒に先輩から私が引き継いだ。最初の頃は、まったく知識がなかったが、いろいろ勉強もしたし、お茶屋さんにも直接出向きいろいろ教えてもらいながら「良いものを」と、心がけている。食器については、何代か前の社長のご趣味だったのだ。季節に合わせるようになったのも、その社長のご進言だったと聞いている。
給湯室に入り、電気ポットのお湯を確認すると、十分な量があったので安心した。ティーポットとティーカップを取り出し、お湯を注いで温める。残りのポットのお湯は再沸騰させる。今日届いたばかりの紅茶の茶葉が入った筒をあけると、ふわりと良い香りが漂った。ティーポットとカップが温まったので、お湯を捨て、ポットに茶葉を入れる。電気ポットで再沸騰させたお湯をティーポットに注ぎ、ふたを閉め、ティーコゼーを被せる。腕時計で時間を確かめながら、少し蒸らす。
「この会社のお茶はいつも美味しいってさっきのお客さんから言われたよ」「美味しいお茶を出しもらえると、話が弾むし、お客さんと良い話ができるよ」
と、以前、上司や同僚などから言われたことを思い出す。最近はそう言われることはほとんどなくなってしまったけど、美味しいお茶は会社の業績に少なからず貢献していると知ってとても嬉しかったのだ。
ただ、最近の女性社員たちはあまり良く思っていないということには薄々気が付いている。どうしてなのだろう。
ティーポットの紅茶をカップに注ぎながら、考える。お茶を淹れることだって立派な仕事なのだ。簡単なことだけれど、だからこそ手を抜かずに丁寧にやる必要がある。給湯室の使い方やお茶の淹れ方を新人の女性たちに教えることも、頼まれたらお客様のお茶を淹れることも、使い終わって応接ブースに残されたままの茶器を洗うことも、毎朝、重役達にコーヒーを淹れることも、給湯室の茶器を定期的に漂泊することも……
どれもこれも業務日報に書かないけれど、必要な仕事であり、女性社員達がやるべき仕事のはずである。なぜなら私は入社したときに先輩から、そう教えられたのだから。
「あの、紅茶って……」
給湯室の入り口に別部署の若い女性社員が立っている。確か、紅茶を頼んできた同期の男性社員と同じチームにいる子だ。
「今ちょうど入ったわよ。遅くなってごめんなさい。今持っていくわね」
私はティーカップやスティックシュガー等をトレイにのせ、持っていこうとすると
「あ、持っていくのは私がやるようにって言われているので」
と、彼女はトレイを受け取ろうと両手を出す。
「え……?」
「お茶を持ってきて、挨拶するようにって言われたんです」
こともなげに彼女は言うと、トレイを手にして給湯室を出て行った。
私は、呆気に取られて、彼女の背中を見送った。そういえば、最近、こういうパターンが増えた気がするのは気のせいだろうか。それでも、これからも私はこの給湯室でお茶を淹れる。その姿を見せていく。きっとそれが私の役割だから。
おわり
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