第2話 ビジネス?

「ちょっと、キミ、コーヒー入れてくれるかい? 社長室に4人分。にこにこキラキラ生命の支社長さんが来ているからね」

部長に言われ、私は

「はい」

と、ため息を押し殺して立ち上がり、給湯室へと向かう。

今時、平然と女性社員にお茶やコーヒーを淹れさせるのを当たり前だと思っているこの会社はなんなのだろうか。二つくらい前の元号で時代が止まっているのではないかと本気で疑っている。

そもそも入社して最初に「給湯室の使い方」を教えられたあたりでうんざりした。それも事細かにお茶とコーヒー、それぞれの淹れ方から、食器の置き場所やら掃除の仕方、ごみの分別方法、ストックの保管場所なんかを、まるで最重要事項であるかのごとく覚えさせられた。説明を聞いている最中で思わずうんざりした声を出してしまったら、説明をしてくれていた先輩社員からものすごく睨まれたことも頭の中にしっかりと刻み込まれている。

そもそも5名いる新入社員のうち、この「給湯室の使い方」を教えられたのは、私と女性の同期の2名のみで、男性の同期は受けていないのだ。その辺りがもう何ともいえないこの会社の体制を表していると思う。

また、茶葉やコーヒーはとても良いものが揃えられていることも納得がいかない。一緒に教えられた同期はピンときていなかったようだが、茶葉もコーヒー豆も名の通ったブランドのもので、それなりに値が張るものである。このお金はいったいどこから出ているのか。こんなところにお金をかけるくらいなら、1円でもいいから給料を上げてはくれないものか。

「こんなところに金かけて意味あるのかね」

思わずつぶやいた私の声は、しっかりと先輩社員の耳に届いて、苦々しいお説教を受けてしまった。


給湯室に入り、ポットのお湯を確認。残量が心もとなかったので、電気ケトルで急いでお湯を沸かす。食器棚から、カップを4客取り出す。棚からコーヒー豆を取り出し4人分量りミルで挽く。コーヒーの良い香りがふんわりと漂ってくる。ドリップペーパーをセットして、軽く湯通しする。まだお湯が熱すぎるが、時間がないので仕方ない。ドリップペーパーに挽いた豆を丁寧に移す。中心にゆっくりとお湯を注ぎ少し蒸らす。その後、ゆっくりとお湯を注いでいく。

コーヒーの良い香りとともに、サーバーにゆっくりとコーヒーが落ちていく。

「この会社のお茶はいつも美味しいと、評判なのよ」「美味しくないお茶より、美味しいお茶の方が気持ちが良いでしょ。そこから、会話が良い方に向かって、結果的に会社の利益になる可能性もあるじゃない」

と、「給湯室の使い方講座」をしてくれた先輩社員がドヤ顔をしていたのを、ふと思い出す。

確かにそれはそうだ。これだけ良い茶葉やらコーヒー豆を揃えていれば、誰が淹れたってそれなりに美味しいものになるだろうし、美味しいものを口にすれば、自然と良い話になることだってわからなくはない。

ただ、なぜお茶やコーヒーを入れる役目が女性社員だけなのかが解せないのだ。


ゆっくりとお湯を注ぎながら、ふと思う。いっそのこと、これをビジネスにしてはどうか。この給湯室でお茶とコーヒー販売を行うのだ。

そもそも私は、お茶やコーヒーを淹れること自体が嫌いなのではない。むしろ、それが好きなのだ。高校時代は茶道部に所属、大学時代にはチェーンのカフェと個人経営のレトロな喫茶店でのアルバイトを掛け持ちしていたくらいだ。お茶やコーヒーを淹れることについては多少なりとも自信がある。一杯数百円程度ではあるが、オフィス内の専用カフェとして開業し、来社するお客様だけでなく社員も対象にする。

『いつでも淹れたてのお茶とコーヒーをご用意いたします』

そんなポップが頭に浮かぶ。

ただ、来社するお客様は日によって差が大きい。社員だって、お金を取られるとなれば、自分で淹れるだろうし、当たり前だがビジネスとして成り立つ可能性はほぼゼロである。

それならば、最新型のコーヒーマシンでも導入してくれないだろうか。それなら、誰だって美味しいコーヒーが淹れられるのだから。


「わぁ、コーヒーの良い香り。僕にも一杯もらえませんか?」

給湯室の入り口に同期の男性社員がニコニコとした笑顔で立っている。

「お客様の分しか淹れていないので……ごめんなさい」

私はコーヒーカップを鮮やかな花柄のトレイにのせ、同期の横をすり抜けて社長室へと向かう。


私がビジネスを始めるのが先か、コーヒーマシンが導入されるのが先か。でも、おそらく何も変わらないまま日々は続いていくのだろう。



おわり

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