私のアイドルの栄光と終焉

北原小五

私のアイドルの栄光と終焉


 幕が上がったステージに汚れがあってはならない。

 どんな些細なゴミでもきちんと取り除かなければ、あの眩いステージの上で演者以上に目立ってしまう。アイドルの仕事はそういうゴミ、いわば現実的な、目にしたくない要素をなるだけ排除し、聖域であるステージの上で踊り、歌い、笑うことだと私は思う。

 つまりそれができず、汚れが目立ってしまったアイドルは、もうアイドルたりえない。

 終わりなのだ。

 朝が来れば人が夢から目覚めるように、アイドルの終わりなんて、簡単にやってくる。


 ***

 真鍋清華(きよか)がアイドル事務所に入ったのは、ステージという魔法に魅入られたからだった。舞台芸術やステージ構成の道も憧れたが、やはり輝くスターをこの手で生み出したい、そして彼らの手伝いがしたいと思い、大小問わず、五〇社以上のアイドル事務所に履歴書を送った。新卒採用で入り込めた事務所は中堅といえる立派な事務所だったが、昨今、売れっ子アイドルは輩出しておらず、舞台やユーチューブが主戦場となっていた。

「お疲れ様ー!」

 楽屋に戻ってきた三人の若者を清華は大輪の笑顔を咲かせ、大きな声でねぎらう。キンキンに冷やしておいたお茶やスポーツドリンク、三人の好みに合わせて用意しておいた飲み物を彼らに手渡す。

「今日もガラガラだ~」

 哀れな自分自身をどこか笑い飛ばすように、神崎七(なな)が笑う。

「七、そういうこと口にするな。来てくれた人に失礼だろ」

 七を窘めるのはグループのリーダーの橘理央(りお)だ。理央の真面目な返答にかちんときたのか、七はにらみを利かせて理央を見る。そんな二人を間にいる伏見景(けい)が取り持った。

「まあまあ、今日のライブも無事に終わったんだから、そんな風に喧嘩しないの」

 理央、七、景は清華がマネージャーをしているアイドルたちだ。三人で『ビューネ』というグループ名で活動している。ユーチューブの登録者は最近、やっと三千人を超えた。まだまだ名も知れず、テレビやドラマなど夢のまた夢のグループだった。

 けれど三人はまだ若い。夢を諦めるには早すぎるし、実力は十分にあるはずだと、清華は思っている。

 それに――。

 橘理央。清華は彼のことをよく知っていた。清華が新卒で事務所に入る前、彼は子役として活躍していたからだ。CMにも起用され、芸能界では知名度もそれなりにあったと思う。けれど、ちょうど変声期に入った頃から徐々に彼を見なくなった。正確に言えば、世間が彼に興味を失っていった。それでも理央は役者から、もともとやりたかったというアイドルに舵を切り、第二の芸能人生を始めた。

 理央は努力家だった。いつも一番最後までボイトレもダンスレッスンもこなす。大学の勉強も大変だろうに、弱音一つ言わない。それでもロケ車の中で彼がうたた寝をしているのを見ると、無理をしないでと思うのと同時に、この姿をたくさんの人に見せたいとも思う。

 この子はこんなにも頑張っているんです。頑張りに見合う、素敵なパフォーマンスをする、最高のアイドルなんですと声を大にして伝えたい。

 そしていつか必ず『ビューネ』で日本中を席巻するのだ。

 清華も『ビューネ』も、羽ばたく日を夢見ていた。


 ***


 何事も、成功にはきっかけが不可欠だ。清華とてそのことはわかっている。だから彼女はこまめにツイッターもインスタグラムも更新するし、ティックトックもユーチューブの編集も、妥協はしない。けれど運と言うのはやはり必要で。

「なにこのアクセス数!?」

 ある朝、ルーチンとしてユーチューブのチャンネル登録者数を記録しようとしたら、その数が一万を超えていることに気がついた。一日で五千人以上の増加だ。いったい何が起きているんだとツイッターを『ビューネ』で検索をかける。

 トップに表示されたのは撮影、SNS投稿OKの集団ライブの一場面だった。

 『歌唱力、やべえぇぇ!』と題されたショート動画で、理央のボーカルが流れていた。

「うそっ。うそうそうそ!」

 そのツイートには五万いいねがついていた。次々と拡散されていく。今もまた、リツイートされた。

 信じられない。いったい誰?

 慌てて投稿者のプロフィールに飛んで、確認したが、投稿者は別のバンドを目当てでライブハウスに来ていたロック愛好家だったらしい。

 なんにせよ、波が来ていることは確かだ。芸能界を知るものとして、この波を掴まないわけにはいかない。そう考えたのはもちろん清華だけではなく、事務所の社長も当然、『ビューネ』を社をあげてバックアップし始めた。それから『ビューネ』はあれよあれよと急激に仕事を増やし、一か月後にはゴールデンタイムの歌番組への出演が決まってしまった。

 なんということだろう。

 清華は信じられない気持ちで生放送のスタジオに立つ彼らを見ていた。まだ駆け出しの新人アイドルとして『ビューネ』は有名司会者から質問を投げかけられている。

「皆さんはまだ、結成して一年ほどなんですよね。これからどんなアイドルになりたいだとかイメージしていることはあるんですか?」

 問われた理央は笑顔で、でもどこか照れくさそうに答えた。

「ステージの上で一番輝く、宝石みたいな存在でありたいです」

 宝石で例えるのなら、彼らはずっと原石だった。今、大衆から注目を浴び、ようやく研磨され姿を現す。彼らは他を焼き尽くさんばかりに輝きを放ち、星のように光をきらめかせる、とっておきの宝石になっていった。


 ***


 『ビューネ』の進撃は終わることを知らず、理央は夜二十二時のテレビドラマに主演の友人役として出演することになった。。景と七にもモデルやラジオの仕事が来て、各々、爆発的にメディアへの露出が増えていった。

音楽番組の出演から三か月後、ちょうど『ビューネ』メンバーの休日をイメージした写真集が発売になった日。写真集発売についての取材のために、三人は同じ会議室に集まることになっていた。けれど時間になってもなかなか理央が来ない。

「また遅刻か」と七。

 清華は焦りながら取材に来てくれたライターに平謝りし、何度も理央のスマホにコールする。

 七が『また』と言ったのは、既に理央が遅刻魔となっていたからだった。この頃、理央はおかしいのだ。具体的には、仕事前なのにお酒の匂いがしたり、彼が吸わないはずの煙草や、女物の香水の匂いがすることなど。以上のことから推理せずとも結論は明らかだ。

 理央に女ができた。それもおそらく業界人。

 まずい……。

 清華の頭は現場を回さなくてはという気持ちと、理央に恋人ができたこと、二つの悩みが混ざり合い、カオスと化していた。

 百歩譲って、理央が恋したことはいいとしよう。年頃なんだし、恋愛で演技の幅が広がれば一石二鳥だ。しかしそれが交際に発展しているとなれば話は別だ。ましてこんな売り出し中のさなか、スキャンダルはご法度である。

 結局、理央が現場に到着したのは約束の時刻を三十分もオーバーしてからだった。彼は悪びれもせず澄ました顔で「すみません」とだけ。七が怒るのはともかく、これには日頃から温厚な性格をしている景も不服そうだった。

 理央の遅刻を清華とたまたま現場を見に来ていた事務所のお偉方が注意する。その場では謝罪をするが、理央の心は清華にはあけすけにのぞき見えていた。

 『俺がいないと現場が回らないくせに』

 彼の顔にはそう書いてあった。事実、売れっ子である理央の存在は『ビューネ』には欠かせない。理央を欠くわけにはいかないのは認めざるを得ない。

 理央に本当に恋人ができたのか、確かめてみよう。

 清華は仕事終わり、理央の後をつけることにした。少し前に買ったというハイクラスの自家用車に理央が乗り込むのを見届けてから、清華は暗闇に溶け込める黒い社用車のエンジンをかけた。日頃から記者の尾行には注意しろとは言っているが、まだ運転し始めて日の浅い理央の運転技術などたかが知れている。清華は鮮やかなステアリングさばきで理央の車を噛みつくように、けれど慎重に追いかける。そうして理央の車と清華の車が行きついたのは、港区の高級マンションの前だった。理央の自宅よりもツーランクは上のハイランクマンションが威圧感をもってこちらを見下げる。

 間違いない。理央の車が地下駐車場に滑らかに吸い込まれていくのを見ながら、清華は確信した。

 理央の恋人はここにいる。この魔王の城のような場所に住み、理央や『ビューネ』のスキャンダルなど意にも介さず、血のようなワインを飲んで、いつか爆発するだろう未来を今か今かと楽しみにしているのだ。

 潰されてたまるか。

 清華は奥歯を噛みしめ、呪うようにマンションを睨みつけた。

 翌日、仕事終わりの楽屋。今日は、理央一人の仕事なので七も景もいない。話を切り出すなら、今しかなかった。

「ねえ、理央。昨日の夜、どこにいた?」

「なに? 清華さん。急にどうしたの?」

 丁寧にコットンでメンズメイクを落としながら、理央は鏡を見ている。

「……私、昨日、理央がマンションに行くのを見たんだけど」

「は? え? ちょっと待って。それ、どういうこと?」

「認めるわけ?」

「いや、認める、認めないとかじゃないでしょ。なんで清華さん――。尾行してたの?」

 空気が変わる。理央のまとう、どこか幼く、無邪気で、清廉な空気が、大人の男のむき出しの怒りに変質していくのがわかる。

「先にこっちの質問に答えて、理央」

「はあ!? なんで!?」

 そのとき、清華のスマホから事務所からの『緊急事態』を知らせる通知音が響いた。言い争いをしている場合ではないなどと考えるよりも早く、職業病的に清華は電話に出ていた。

「もしもし、真鍋です。どうしましたか?」

『すっぱ抜かれた!』

 電話に出たのは、先日理央の遅刻を注意したお偉方の一人だった。

「理央ですか?」

 考えるよりも早く、舌が回る。

「そうだ。今すぐ理央も連れて事務所に来い」

 電話が切れた。がらがらと足元が崩落していくような絶望感が津波のように押し寄せてくる。

 終わりなのか?

 ここで、理央は、『ビューネ』は、終わりなのか?

「なんて?」

 清華の緊迫感が伝わったのか、理央が恐々とした声で聞く。清華は声を振り絞った。

「大丈夫。……私が、守るから」

 なんのために?

 頭の中で疑問がわく。それはきっと突き詰めれば理央のためでも、まして七でも景のためでもなく、ステージのためだった。光輝く、ステージ。汚させない。絶対に。

「私が守り抜くから……」

 何を犠牲にしても。何に変えても、その光だけは、失わせない。

 理央に期待しているファン、七に、景に、『ビューネ』の活躍を楽しみにしてくれているファン。そして光輝くステージ。

 みんなの夢を薄汚い現実で、終わりにするわけにはいかない。


 ***


「つまりその、水城(みずしろ)陽菜乃(ひなの)と交際していると……」

 事務所の最上階、社長室に呼び出された清華と理央は青ざめた表情で座っていた。

 週刊誌に理央の交際をすっぱ抜かれはしたが、まだ正式に記事になると決まったわけではないらしい。事務所側がいくらか金銭を積めば、記事を取り消してもいいですよ、と週刊誌側は主張している。まだ売れっ子になり始めてまだ日が浅いアイドル。それを現時点で失うのは双方にとって痛い。週刊誌からすればもう少し肉をつけてからかぶり付きたいところなのだろう。まだ爆発的に売れていなくて助かった、とでも、思うべきなのだろうか。

「はい」と震える声で理央は答えた。

「はっきり言って、彼女は業界でも評判が悪い。男なんてとっかえひっかえ。君も十中八九、遊ばれているだけだ。彼女はさ、こうやって君が苦しむさまを見て遊んでいるのさ」

 はっはっは、とこの雰囲気に似合わない声で社長が笑う。社長には選択肢が二つある。ここで『ビューネ』を切るか、『ビューネ』の未来を信じ、守るか。清華のこれまでの事務所側の態度を体感で表すなら、切るが七割、守るが三割といった感じだ。それをどうにか『守る』に変えてもらわなければならない。

説得しなきゃ……。どうにか社長の気を変えないと『ビューネ』は潰される。

「社長……。どうか『ビューネ』を守ってください」

「問題の多いグループはどのみち、この先もやらかすよ。問題児がいるなら、なおさらね」

「理央は反省しています。これからは私も今まで以上に彼らの行動を注視します」

「口先だけでは何とでも言える。僕が欲しいのは確証だけだよ」

 だめだ。風向きが悪い。このままでは『ビューネ』は泡沫の夢のように消えてしまう。

 次の瞬間、清華は倒れ伏すように、床に四つん這いになっていた。そのまま土下座の姿勢をとる。これには社長はもちろん理央も驚いた。

「ちょっと、真鍋さん」

「清華さん……!?」

 驚いた二人が起こそうとするが、それでも清華は梃子(てこ)でも動かず土下座のまま続けた。

「『ビューネ』を存続させてください。彼らはまだ夢の途中なんです。それに、神聖なステージをこんな形で汚すことなんて絶対にできません!」

 神聖なステージ、その言葉が、もしくは清華の強い語気から勢いが伝わったのか、社長はようやく首を縦に振った。

「まあね。私も意地の悪いことを言ってみたけれど、はじめから『ビューネ』をなくすことには反対なんだ。これからはしっかり頼むよ。もちろん水城さんとも縁を切りなさい。いいね?」

 問われた理央は神妙な顔でうなずいた。

「はい。もう終わりにします」

 それから理央はメンバーにも今日あったことを打ち明け、水城との交際をやめることを約束した。それからは遅刻もなくなり、メンバーとの仲もいつも通りの忙しくも穏やかな日々が続いた。

 よかった。

 三人を横目にしながら、清華は心の中で安堵のため息をつく。

 これで何もかも、元通りだ。


 ***


 それから半年、『ビューネ』は寝る間も惜しんで活動した。辛いときも、苦しいときも、清華と『ビューネ』はステージを見上げるファンの笑顔を想像して何度も何度も乗り越えた。身体的な辛さも、精神的な苦痛も、ステージに立ち、ファンたちと触れ合えば消し飛んでしまった。アイドルにとってファンは必ずしも肯定的意見ばかりをくれるわけではないけれど、心強い仲間であることには変わりなかった。

 しかし青天の霹靂(へきれき)のように、事件は起きた。

 ある日、三人でもう五度目になる生放送の音楽番組を終えて清華が運転する車で帰宅する中、清華のスマホが鳴った。緊急を告げる音だったので、三人に断り、コンビニに駐車する。電話を折り返すと、事務所のお偉方が出た。

「やっちゃったね」

「え?」

 要件をまず言わない電話に冷や水を浴びせられたような気持で清華はぽかんと口を開けた。

「理央くん、また水城と撮られたよ。しかも今度は未成年と一緒に酒の席にいたそうじゃない?」

「ま、待ってください。そんなわけ」

 否定の言葉が次々浮かぶ。それでも自然と視線は理央へと向いて。

 理央は深刻そうに顔を俯かせていた。

 嘘でしょ? まさか本当なの?

 電話を切り、清華は助手席の理央に詰め寄った。

「どういうこと!? まだ水城陽菜乃と続いてたの!?」

「ち、違うよ。別れたのは本当。ただの友達。飲み会に誘われただけで……」

「未成年の子がいた。飲み会に参加した人の身分証、ちゃんと全部確認した?」

「えっ。でも、そんな……」

 不安が抑えきれず、理央の唇がわなわなと震える。狭い車内。七と景にもその不安が伝染していくのがわかる。

「けど、前みたいに記事を差し止めてもらえば……」と景。

「あのときとは状況が違う!」清華は叫ぶように言い返した。「あなたたちはブレイクして、もう食べ応えがある高級な食材になったのよ! きっともう見逃してもらえない!」

 どうしてこんなことになった。

 ステアリングに両腕と頭をもたれさせ、清華は彼らに泣き顔を隠した。

 私がもっとしっかりするべきだった。理央だけではなく、水城の動きもなるだけチェックするべきだった。そうすればその飲み会に理央が参加するのを防げたはずだ。けれど、そんなことできた? この激務の中、他事務所の売れっ子女優に注視するなんて、不可能だったはずだ。

 でも、けど、だけど。

 そんな言い訳が胸の中を圧迫し、涙があふれる。『ビューネ』は終わりだ。今度こそ『ビューネ』の夢はここで終わりだ。

 悔しくて仕方がなかった。

 ファンに、ステージに、申し訳がなかった。ただただ惨めだった。

 夢を掴みかけていたのに。

 あと、一歩だったのに。


 ***


 記事が出るまであと五日。『ビューネ』は表面上、驚くほど普通に活動していた。もう破滅へのカウントダウンが始まっているとは思えないほど、三人ともカメラの前でうまく笑っていた。

 みんな成長したんだな……。

 スタジオの隅、ぼんやりと彼らを見ながら清華はそんなことを考えていた。

 打つ手は打ったが、結局、記事が出るのは止められなかった。既に週刊誌の公式SNSには『某人気沸騰アイドルに大スキャンダル!』と銘打った煽り文も出ている。今更、それが差し止められることは100%ありえない。

 七と景は、なんとか立ち直ってくれるだろう。

 二人も各々の仕事が増えてきている。『ビューネ』という枠組みがなくても、彼らは羽ばたける。ただ、理央はどうなる? スキャンダルの中心人物である理央の破滅は避けられない。

 爆弾を抱えたまま、カメラ越しに理央が映る。

 彼はこちらがうすら寒くなるほど綺麗に微笑を浮かべていた。


***


 いよいよ明日、記事が出る。その日も当然のように仕事は入っているわけで。けれど、撮影の始まる直前になっても理央はスタジオに現れなかった。遅刻はすっかりしなくなっていたのに。もちろん電話も通じない。スマホの電源を切っているようだ。嫌な予感がして、清華は現場にいる七と景の専属マネージャーたちに声をかける。

「私、理央の自宅まで行きます。進められるところまで撮影は進めていてください」

 嫌な予感がする。まさか馬鹿なこと、考えてないよね?

 急いで車を飛ばし、理央の暮らすマンションへ。清華はチャイムを連打し、どんどんと二回ドアを叩いたが反応はない。仕方がないので理央の合意のもとに作った合鍵でドアを開錠する。

「理央!」

 清華は悲鳴を上げそうになりながら、どたばたとリビングに駆け込んだ。ドアノブのあたりに紐をまいて死のうとしている理央がいた。

「やめなさい!」

「離してよ!」

 理央が抵抗するので、清華は床に尻もちをつく。それでも膝立ちのまま、理央にタックルをかまし、彼を倒れさせた。お互いにもみあい、ぐちゃぐちゃになり、呼吸が荒くなる。第三者から見えれば、それは死闘というより、力の弱く、運動神経があまりよくない者同士の無様な戦いに見えただろう。それでも五分ほど格闘は続き、ようやく理央はこの場に清華が来てしまったことを認め、死ねなかった自分を嘲笑した。

「もう嫌だ。死ぬの怖いし、死ねないし、でも生きるのも嫌だし、嫌っていうか、もう無理っていうか……」

 完璧にコントロールされた笑顔の下で、理央はこんな本音を五日間隠していたのだろう。自業自得の破滅とはいえ、それに気づかなかったのは清華にも責任がある。

「私だって、嫌だよ。ステージにいない理央なんて知らないし」

 理央の綺麗な顔から涙がぽろぽろと落ちた。それを見て、清華は同情するでも、わが身を憐れむでもなく、なんだかイライラしてきた。

 なんで泣くの? 自分が可哀想だから? 馬鹿なことしたって、後悔してるから? だから死んで終わらせようとしたの?

 そっちの方が馬鹿だ。

 そっちの方が、よっぽど無礼だ。

「戦いたくない言い訳、しないでよ」

 潤んだ眼を隠すように清華は理央を睨みつけた。

「死んで逃げて、ステージの汚れにならないでよ。どうせ消えるなら、歌い終わって満足した顔で舞台上から消えなさいよ」

 つくづく、自分はひどい人間だ。

 けれどそれが本音なのだから仕方がない。

 真鍋清華は理央や『ビューネ』のために戦い抜いたわけではない。全ては輝けるステージ。神聖なるあの場所を守り抜くための戦いだった。

「清華さん、きついなあ……」

 そんな清華の本音をきっと理央は気づいていたのだろう。もしくは理央も心の奥底では同じ価値観だったのかもしれない。

「ステージ、立ちたいな。すごい怖いけど、立ちたいよ」

「立たせてあげる。これで終わりになんてさせない」

 再起は不可能だ。わかっている。子役の橘理央は死に、清廉なアイドル・橘理央も死んだ。芸能の神は三度もチャンスを与えてはくれない。

「満足した顔で死んでよ」

 それでも神さまは見ていてくれるだろう。

 私たちの最期を。

 これだけ頑張ったのだから。終わるときまで、きっと見ていてくれるだろう。


 ***


 記事が出てから一月後、前々から決定していた『ビューネ』の東京公演は、解散コンサートとなることが決まった。突然の報道だったが、ファンは驚かなかった。むしろ、七や景のファンたちは、理央から推しに悪い影響がいくかもしれないから、早々に解散してほしかったようだ。

 理央は解散を機に、芸能界を引退することになった。七と景はそれぞれ悩んだが、理央の意志を尊重した。彼ら二人は今後ソロで活動することになっている。

 東京公演のチケットは、今までの売り上げの三分の一にも満たなかった。入った客も、ほとんどが七と景のファンだ。理央のファンはいまや、二ホンオオサンショウオより少ない、天然記念物並みの数だろう。

ライブ会場の楽屋は思いのほか、すっきりとした雰囲気だった。三人とも、何事もなかったかのようにケータリングの食事の品評会をしている。それでも出番が近づくと緊張してくるのか、理央が清華を見て言った。

「清華さん、俺、うまく笑えるかな。チケット、全然売れなかったんでしょう? お客さん、一人とかかも」

「それでもいいじゃない。一人のために歌えばいい」

「綺麗事だなあ」

「そもそも悪女に引っかかった誰かさんの自業自得だしな」とおどけた顔で笑う七。

「それ、笑えない」と申し訳なさそうにしつつも景が笑う。

「実家継ぐんだろう? 山梨の銭湯だっけ。いいじゃん。遊びに行くわ」

 七の言葉に、理央は肩をすくめる。

「銭湯は遊ぶところじゃない」

 楽屋の扉がノックされ、スタッフが入ってくる。スタンバイしてくださいとのことだ。三人はぞろぞろと部屋を出ていく。

「じゃあ、行ってきます」

 理央がこちらを見て微笑んだ。不純物の一切含まれていないアイドルの笑顔だった。

「うん。あの、理央……」

「なに?」

「輝いてるよ、理央!」

 予想外の言葉だったのか、一瞬きょとんとしてから、えへへっと理央は子供っぽく笑い、こちらに背を向けて歩いて行った。

 輝いている。その言葉に嘘はない。

 たとえその輝きがダイヤモンドから、道端に落ちている砕け散ったガラスに変わっても、清華にとってその輝きは唯一無二の宝物だったのだ。

 清華は舞台袖から彼らを見つめる。

 三人が息を整える。

 もうまもなく、幕が上がる。


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私のアイドルの栄光と終焉 北原小五 @AONeKO_09

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