2:花のような糸・後

 わたしは父に怒られた。ノース・クーケルーデ氷の人形の隣の男に近付きすぎだと言われた。オール・アキィトを見たかっただけなのだと言ったけれど、距離が近過ぎると言われた。もうケレト結婚できる年なのだから気を付けなさい、と。

 ノース・クーケルーデ氷の人形と話すことは、父もとがめなかった。だからわたしは、ノース・クーケルーデ氷の人形だけに話しかけた。隣の男は心配そうにずっとこちらの様子を伺っている。

 この男はノース・クーケルーデ氷の人形のことを心配しすぎじゃないだろうか。それとも、クホス夫婦とはそういうものなのか。

 それでも、今度は隣の男も口を出してこなかったので、わたしはノース・クーケルーデ氷の人形に自分の持っているいろんな綺麗なものを見せた。ノース・クーケルーデ氷の人形も綺麗なものが好きみたいだ。

 髪はモーン・ウータ銀の糸、瞳はノダー。そうだ、今度は白い布でクーケルーデ人形を作ろうと思いながら、目の前のノース・クーケルーデ氷の人形を見る。

 そのうちに、ノース・クーケルーデ氷の人形はオール・アキィト以外にも、いろいろなものを見せてくれた。ノースのような青い線が入った黒い石の首飾り。それから、薄くて平ったい透き通るもの。

 その薄くて平ったい透き通るものは、魚の体をおおっているものなのだと父が教えてくれた。魚というのは、水の中を飛ぶのだと聞いたことがある。体がこんな透き通ってきらきらとしたものでおおわれているなんて、宝石のような生き物なんだろうか。

 ノース・クーケルーデ氷の人形は、その薄くて平ったい透き通るものを一つ、わたしにくれた。


 ノース・クーケルーデ氷の人形は、隣の男に大事にされている。あの隣の男は、ノース・クーケルーデ氷の人形にたくさんのものを与えている。わたしがクハトーザ刺繍した布鞄ぬのかばんも、買ってノース・クーケルーデ氷の人形に渡していた。

 本当にクーケルーデ人形のようにあまり笑わずにいたノース・クーケルーデ氷の人形だけど、隣の男がクハトーザ刺繍布鞄ぬのかばんを渡すと、嬉しそうに笑ってそれを抱きしめていた。

 それで、ノース・クーケルーデ氷の人形と隣の男は、行ってしまった。父は二人を送り届けて、いつもよりも遠い山に降りるので、戻りは遅いだろう。


 ショシュを採っていたら、鋭い笛の音が聞こえて顔を上げる。父の笛ではない。

 高いところで、ぐるりと回っているルーの姿が見える。一頭きり。あのルーは誰のものだろうか。一頭きりだなんて、はぐれて困っているのだろうか。

 そんなことを考えていたら、そのルーは真っ直ぐ、リクトー矢のように真っ直ぐ降りてきた。地面に降り立つ少し手前で一瞬止まって、そこからクッタンすとんと。声も出なかった。こんなにリクトーな着地は、祭りでしか見たことがない。

 ルーから飛び降りてきたのは、リクトー勇ましいラッフだった。顔を合わせるなんて聞いていない。しかも、親もいないのに二人きりだなんて。

 ショシュを入れた袋を握りしめたまま黙って立っているわたしの前まで、リクトー勇ましいラッフが駆けてくる。わたしの顔を見て、困ったような顔になった。

「誰にも言わずに来てしまった」と言って、不機嫌そうに唇を引き結ぶ。わたしはやっぱり何も言えない。

 リクトー勇ましいラッフは手袋を取ると、帯に結びつけていた小さな袋を外して、わたしの方に差し出してくる。恐る恐る、その小袋を受け取って、中を覗き見た。

 中に入っていたのは、ホブトだった。爪の先ほどの、小さな赤い花。それが袋にいっぱい。

ツェッツェを見て、あなたを思い出して、どうしてもすぐに見せたくなって」

 リクトー勇ましいラッフの言葉に、わたしは瞬きをして彼を見上げる。ルーを急がせてきたのだろう、上気した頬で、白い息を吐きながら、リクトー勇ましいラッフは真っ直ぐにわたしを見ていた。

ツェッツェシグ花のようなウータ、あなたにとても似合う、綺麗な名前だと思った」

 睨むような目付きも、不機嫌そうな唇も、前と変わらない。だというのに、どうしてだか前とは違って見えた。

「その……この前は、何も話せなくて、ごめん。それでも、また会って欲しい、ツェッツェシグ花のような……ツェッツェ

 それだけ言うとそのままわたしの言葉も返事も待たずに、リクトー勇ましいラッフはまたリクトー放たれた矢のように飛び立っていってしまった。


 白い布に羽を詰めて、モーン・ウータ銀の糸の髪を縫い付ける。瞳の色はなかなか気にいるものが見付からないので、結局糸を何色か使ってクハトーザ刺繍することにした。

 そうやって作ったノース・クーケルーデ氷の人形は、一番小さい妹がノースと言って持って行ってしまった。わたしはもうクーケルーデ人形で遊ぶような歳でもないし、そのまま遊ばせてやることにした。次はノース・クーケルーデ氷の人形の髪飾りを作れと言われている。

 オール・アキィトの髪飾りなら、小さい妹でも編めるかもしれない、教えてみようかなんて思ったりする。

 クホス夫婦ケレト結婚も、やっぱりまだよくわからない。けれど、リクトー勇ましいラッフのことを思い出すのは、嫌じゃなかった。

 リクトー勇ましいラッフにもらったホブトでべにを作った。次に会うときはこのべにを差そう。

 ツェッツェシグ花のようなウータがわたしに似合う名前だと言ってくれた。だから、綺麗なウータでたくさんのツェッツェクハトーザ刺繍して身にまとおう。

 名前の通りにリクトー矢のような人。きっといつか、わたしをさらいにくるときも、真っ直ぐに飛んでくるだろう。

 わたしはすっかり、リクトー勇ましいラッフと次に会えるのを、心待ちにするようになってしまった。自分の変わりように、自分が一番驚いている。

 落ち着かないわたしの気持ちは、サルーヒ翻弄ほんろうされるノース氷粒のようだ。

 その気持ちのままにザーを動かす。わたしのザーは布にたくさんのツェッツェを咲かせ、ラッフを舞わせた。



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