終章

エピローグ

「クローディアさま! 小聖堂のお悩み相談室に、クローディアさまへご相談がしたいという方がいらっしゃってるんですけど」

「私に相談? ちょっと今、手が放せないのだけど……誰か他に対応できる方はいないかしら」

「でもね、すっごくむずかしい相談だから、筆頭聖女候補のクローディアさまがいいって言われたんです!」



 七歳の聖女候補生レティは、困り顔で私を見上げている。

 きっとレティも誰かに頼まれて、私に言付けに来ただけだろう。あまり彼女を困らせるわけにもいかず、私は仕方なく仕事の手を止めて部屋を出た。


 『お悩み相談室』なんて随分とポップな名前で呼んでいるが、そこはいわゆるだ。


 イングリスの神に罪の告白をしたい信者がこのお悩み相談室を訪れて、壁の向こうにいる聖女に赦しを乞う。

 元々この懺悔室では、壁に隔てられた部屋の中で格子付きの小窓を通じて話をするのが通例だった。


 しかしなどという仰々しくてネガティブな響きは、何となく気に入らない。だから私は勝手に部屋を作り替えることにした。

 テーブルを挟んで向かい合って椅子を置き、テーブルの中央をカーテンで隔てる。これならお互いの顔は見えないし、狭くて暗い場所で息苦しく話す必要もない。


 聖女なんて特別な存在でも何もない。私たちはただ、イングリスの民たちが神に祈る時の助けをする立場なのだ。

 もっと気軽に聖女に頼ってもらえるよう、門戸が広く開かれた神殿にしていきたいというのが私の考えだ。


 それに、神に会いに来るのが懺悔する時だけだなんて寂しすぎやしないだろうか。


 だから部屋の名前も「懺悔室」から「お悩み相談室」に変えた。

 私の十八番である恋占いも、希望者にはこっそりとサービスで行っていたりする。


 今日のお客様……もとい信者さんも、私をご指名ということならば、恋占いを希望してやって来た方なのかもしれない。

 私はお悩み相談室に入ると、椅子に腰かけた。



「お待たせしました。聖女クローディア・エアーズと申します。今日はどんなことでお困りですか?」

「聖女様に聞いて欲しい悩みがあるのです」



 カーテンの向こう側から、相談者が話し始めた。

 窓から差し込む陽の光で、相談者の影がカーテンにくっきりと映し出されているのだが……随分と大きな頭をした方のようだ。



「お悩みの相談ですね。どういったことでしょうか」

「実は……最近、運命の相手から避けられていて、心が深く傷ついています」

「いや、今日の相談者って殿下じゃん……」



 聞き慣れた低くて甘い声。

 そしてカーテンに映る大きな頭。

 これは恐らく、懲りもせず兜を新調して被ってきたに違いない。



「すみません。別に、アーノルト殿下を避けてるわけではなくてですね……」

「では、なぜ私に会ってくれないんだ」

「……なぜでしょう。何だかずっと忙しかったし、色々ありすぎて頭の整理がつかないんです」



 相談主は椅子から立ち上がると、「開けるな」という注意書きを無視して思い切りカーテンを開いた。

 久しぶりに見るアーノルト殿下は、相変わらず細マッチョで素敵だ。ただし、兜を除けばだけど。



「ディア。今日は空気が澄んでいて、イングリス山がきれいに見えるよ。少し外に出て歩かないか」

「そうですね。ここでお誘いをお断りしたら、また殿下がお悩み相談に訪れそうですから。参りましょう」



 ガシャンガシャンと音を立てる兜男のエスコートで、私たちは神殿の庭園に出た。


 ローズマリー様の呪いに苦しんだあの時から季節はガラッと変わり、外の空気はもう冷たい。イングリス山が見渡せる広い場所まで歩き、私たちは並んでベンチに座った。



「ディア。頭の整理がつかない……と言ったね。どういうこと?」



 殿下が兜を脱ぎながら言う。

 相変わらず美しいブロンドの髪が、冷たい風にサラサラと揺れた。



「だって……私が土砂に生き埋めになった時、殿下は私のことを助けて下さったでしょう? 私にキスをしたら殿下は死んでしまうかもしれないのに、王太子殿下が自らの命を張って平民を助けるなんて……どうかしてるなって思ったんです」

「本当にそうだろうか。自らの命を賭けて国民を助けるのが、未来の国王のすべきことではないかな?」

「真面目かっ……! でも、殿下がいなくなったらこの国は困ってしまいます。次の国王には誰がなるんです? アーノルト殿下は、この国の希望なんですよ。それに……」

「それに?」



 不安そうに聞き返す殿下の顔を見ていると、どうも自分の気持ちがざわついてしまう。

 ファーストキスを奪った責任を取って私を一生大切にするとか、国民を助けるのが自分の義務だ、とか。

 まるで責任や義務感から私に優しくしているような、そんな感じがしてしまうのだ。


 私が求めているのはそんな言葉じゃない。もっとこう、何か……恋愛小説に出て来るような、ロマンチックな言葉なのだ。


(本当は、殿下にもっと甘い言葉を囁いて欲しい。でも、私は平民だし……)


 私の言葉の続きを待ちながら、殿下は私の横顔をじっと見ている。

 言葉の続きを伝えようと殿下の方に顔を向けると、殿下は私の腰に手を回してそっと引き寄せた。


 そして殿下は私の髪に顔を埋める。



「……ディアは花の香りがする。これが魔力の香りなのか?」

「ちょっと! 勝手に匂わないで下さいよ! 恥ずかしいから……」

「ディア、話の続きは?」

「私だって、殿下のお気持ちは分かっているつもりです。命をかけて私を守って下さったんだもの。でも、いくら運命の相手だからと言って、私たちはあまりにも身分が違いすぎます。それに私は孤児です」

「私はディアを心から愛しているよ。ディアも私のことを愛してくれているからこそ、私の呪いは解けたはずなんだが」

「あ、愛っ……!?」



 殿下が腰に回した手に力を入れたからか、殿下の顔はあまりにも近い。

 まるで、二人でキスの練習をしたあの日のようだ。


 狼狽える私を見て満足げに微笑むと、殿下は私の腰から手を放し、ベンチを降りて跪いた。私の片手をそっと握り、もう一方の手をご自分の胸に当てる。



「クローディア、私と結婚してくれないだろうか」



 私は呆気に取られて固まった。

 先ほどまで空気が冷たかったはずなのに、殿下の指先から少しずつ熱が伝わってきて体が火照る。


 

「アーノルト殿下! 結婚って……だから、私は平民なんです。ただの」

「君はイングリス王太子の命を救った平民で、将来はこのイングリス王国の筆頭聖女になる女性だ。たかが王太子ごときでは君に釣り合わないと言うのか? 他にどんな肩書きを持ってくれば、プロポーズを受け入れてくれる?」

「殿下! 何を言ってるんですか!」



 恋占いが得意でも、恋愛小説を読み漁っていても、どうやら自分の恋は理想どおりにはいかないらしい。

 突然のプロポーズに、私はただ慌てることしかできない。



「ディアが王太子妃の地位を不満だと言うなら、今すぐにでも国王陛下に頼んで王位を譲ってもらおう。そうすれば君は一足飛びに王妃になれるよ」



 殿下は意地悪そうな顔でそう言うと、私の指先に口付ける。

 ただの平民から筆頭聖女になる予定の私が、今度は王太子妃になって欲しいと頼まれている。その上、それを断ったら今度は王妃だなんて!


 私が王太子妃や王妃の地位を欲しがっているなんてつゆほども思っていないのを知っていて、こんな言い方をする殿下。

 真面目な顔をしているくせに、殿下は意外と押しが強くて意地悪だ。



「君は私の運命の相手だからね。逃げられないよ」

「確かに、もう逃げられそうにないですね……」



 イングリスの神が示した、私の運命の相手。

 真面目で純粋で、私のために命を危険に晒してまで助けようとしてくれる人。


(平民から王太子妃になったって、この人が側にいてくれるなら何とかなる気がする)

 

 諦めて腹をくくった私は、殿下の手を握り返して微笑んだ。




 イングリス神殿の大聖堂の方から、パイプオルガンの音色が聴こえて来る。

 緊張のあまり、周囲に聞かれてしまうのではないかという程に大きくなっていた心臓の音をかき消され、私は少しホッとした。



「聖女クローディア様。とてもお綺麗ですわ」



 ウェディングドレスに身を包んだ私の後ろから、鏡越しにリアナ様が言う。


 アーノルト殿下のプロポーズから、約一年。

 筆頭聖女となった私は正式に王太子アーノルト・イングリス殿下と、婚約を結ぶことになった。


 恋愛下手なアーノルト殿下と、恋愛小説大好きだけれど恋愛経験ゼロの私。

 この一年間、奥手な私たちは少しずつ恋愛マニュアルを読みながらお互いに歩み寄ってきた。


 ガイゼル様はそんな私たちを、目をひそめながら生暖かい目で見守ってくれていた。が、やはり奥手の私たちを見てイライラしたのだろう。自分の方はさっさとリアナ様に告白して、結婚してしまった。

 リアナ様の方は、ヘイズ侯爵家の過去を負い目に思っていて、結婚には躊躇したと聞いている。

 それでも最後にはガイゼル様の一途な気持ちが通じて、今では仲睦まじいおしどり夫婦。来年早々には二人の子どもも誕生するらしい。



(う、胃が痛くなってきたよ……)



 付き添いのリアナ様と共にアーノルト殿下が待つ大聖堂の扉の前に立ち、私は背中を丸める。



「クローディア様……せっかくの晴れ舞台なのですから、もう少し背中を伸ばして下さい」

「でもリアナ様! この扉を開けたら、国中から集まった招待客が並んでいるんでしょう? 想像しただけで胃が痛くて」

「大丈夫です。アーノルト殿下以外の方は、みんな野菜か何かだと思えばいいのです。クローディア様は殿下の目だけを見て、真っすぐ歩いていって下さいませ」



 招待客は野菜、招待客は野菜……。呪文のように唱えた後、私はリアナ様に御礼を言って、不安を払拭するようにピンと背筋を伸ばした。



「筆頭聖女、クローディア様です!」



 司祭様の声の後、大聖堂の扉が左右に大きく開かれる。

 一礼をし、心を決めて一歩踏み出した――のだが。



(あれ? 招待客は?)



 私の正面の目線の先には、正装したアーノルト殿下と司祭様が立っている。

 しかし左右を見渡してみても、招待客と思しき人は誰一人いなかった。



「ディア!」



 アーノルト殿下が、輝くような笑顔で私を呼ぶ。

 私は状況がよく分からないまま、殿下の元にゆっくりと進んだ。



「殿下! これは一体どういう……」

「ディアとても綺麗だよ」

「ありがとうございます、殿下もとても素敵で……じゃなくて! どうしてこんなに誰もいないんです?」



 戸惑う私の手を引き、アーノルト殿下は私と並んで司祭様の前に立った。

 司祭様と殿下は視線を合わせて頷きあい、そしてそのまま司祭様までもが聖堂から出て行ってしまう。



「ちょっ……! 司祭様まで出て行きますけど、いいんですか?!」

「私は運命の相手である君に、ファーストキスを捧げた。でも君は? キスをしたことを覚えている?」

「覚えてないですよ。あの時私は土砂に埋もれて意識を失っていたんですから。でもそれとこれとは関係が……」



 殿下は私の前で跪くと、ロングヴェールの裾に軽く口付けをした。

 ヴェールを上げてくれた殿下の顔を見上げると、殿下はどこか誇らし気に笑みを浮かべていた。



「つまり結婚の誓いのキスが、君にとってのファーストキスのようなもの。ファーストキスはロマンチックな場所で二人きり、誰にも邪魔されずにするのが良いというだろう」

「殿下……知らないうちに私の『一流のカップルの九割が実践する、ファーストキスの極意』を読みましたね?」



 事前に予習してくるなんて、どこまでも真面目なアーノルト殿下。聖堂に誰もいないのは、殿下の仕業だったんだ。

 私は笑いそうになるのを何とか抑え、殿下の顔を軽く睨みつけながら、美しいブロンドの髪を少しかき分ける。


 そして、私の記憶の中には存在しない自分のファーストキスを、大好きな人にそっと捧げた。

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