エピローグ

 サンペドロでのアキラの銃撃事件から2年と2カ月が経った、西暦2000年12月。

 この年の9月から無事にUCLAへ編入していた山元やまもと健児けんじだけがウエストLAのタウンハウスに残り、新たに2人の留学生をルームメイトとして加わえたその後もこれまで通りの平坦な毎日を過ごしていたが、そのうちのひとりがこの年いっぱいでの帰国が決定したために、幹事役の健児を含む3人がサンタモニカのイタリアンレストランで送別会を催した後、クリスマスシーズンを迎えた多くの観光客で賑わっているサードプロムナードをぶらぶらと散策しているその途中で、ベンチに座る老け込んだ青年とも生き疲れた初老ともとれるホームレスらしき東洋人の男性を目に留めた。

「ねぇケンジさん、ほら、あの人さ、そこの子供から『ソー・スティンキー!』とか言われて、鼻まで摘ままれていたけど、もしかしてあれ、日本人じゃない?」

 眉をひそめてヒソヒソとそう伝えてくるルームメイトのひとりに健児は言った。

「かもしれないね。けど、あんなんなっちゃったらもう終わりだよね。あ、もしかして彼、最初はボクらと同じ留学生だったのかもね。そしてコッチで知っちゃったドラッグに溺れた挙句に、社会復帰も帰国もできなくなっちゃったって感じかも」

「言えてるぅ~」

 話題の主を小馬鹿にしたように鼻で笑うルームメイトに健児は続ける。

「あぁいう人って、コッチじゃ何て呼ばれてるか、知ってる?」

「いいえ」

 ――――アメリカンアメリカのアンダードッグ負け犬って言うのさ。

 そうして健児を含めた3人は、なるべくそのホームレスを避けるかのように歩を早めながら、顔を背けてそそくさとその場を通り過ぎていった。


 あれからのアキラくんは、咄嗟に機転を利かせて素早く対処したボクのエマージェンシーコールが功を奏したのか、直ちにやって来た救急車でトーランスのカーソンストリート沿いにある救急病院に運ばれたらしく、敏速な応急処置を施されてなんとか一命は取り留めたものの、その為の緊急手術やそれからの入院費用などに掛かった莫大な請求金額は海外留学保険だけでは補え切れずに、結局アキラくんのお父さんの会社(やっぱりアキラくんは、あのマエゾノ自動車の御曹司だった!)のアメリカ支社のナントカ部長という人と、さっそく日本から飛んで来た彼のお母さんが、時期尚早とは分かっていながらも、アキラくんを無理やり退院させてそのまま一緒に帰国してしまった。

 残された部屋の私物は日系の運送業者がすべて運んで行ったけれど、見つかったらまずい物はなかったのだろうか。

 ゴウさんも同様に、薬物依存の疑いでメディカルセンターの精神科に入れられたとのことを大家さんから知ったご両親が日本から早々にやってきて、やっぱりゴウさんのお父さんの会社の駐在員とかいう人が、引っ越し業者の手配とすべての後処理とをしたようで、当時のボクには何が何だか分からないまま、あっという間に引き揚げてしまった。

 大家さんの話によると、後日にお兄さんという人が菓子折りを持って日本からわざわざひとりで挨拶だけのために訪れたらしい。それを聞いて、きっとそれは『口止め』を意味するのだろうとボクは訝しく思っている。

 最終的にリカさんだけは復学するまでに体調が回復し、無事に学校を卒業することができた後、ご多分に漏れず彼女のご両親が帰国の日程に合わせてわざわざハワイまで出向いて行き、そしてワイキキビーチで家族団らんの卒業祝いを催したとのことを聞いた。如何にもお嬢様らしいその時の写真を日本からわざわざご両親が大家さんに送って寄越したのは、きっとこれまでのお礼というよりも『自慢』の方が勝っていたのかもしれない。

 そんな一方で、それからというもの結局ひとり残されたこのボクはいきなり古株となってしまい、新たな留学生を募集して手探りながら渋々一緒に暮らし始めてみたところ、日本にいた頃はいくらなんでも恐れ多くてできなかった先輩風を吹かせられるようになって、このタウンハウスで暮らしていく上でのルールをボクの一存で勝手に決めていけたし、以前はゴウさんとリカさんが使っていたマスタールームもボクが独り占めできるようになって、まさに王様のような毎日を過ごせてはいたけれど、そんな矢先にボクの手下となっていた2人のうちの最初に入った方は、もう先月いっぱいで帰国してしまった。

 残っているもうひとりは、サンタモニカカレッジに通うボクよりみっつ年下の19歳。九州生まれだから九州男児と呼べるのかもしれないけれど、以前のアキラくんとボクとの関係だったように、彼はもうボクの愛するパートナーになっている。

 アキラくんがいたあの頃は欲しくても入手が困難だったMDMAだって、今ではカレッジに通う生徒の中で流行りだしたインターネットの闇サイトから簡単に手に入れられるし、夢心地な毎晩を愛するペットと過ごしていられるのが何よりも嬉しい。

 なんていう『その日暮らし』みたいなこんな生活って、日本の世間一般じゃフシダラに思われるかもしれないけれど……。

 けど所詮は……。

 留学生なんて、過去のルームメイトたちのように帰国さえしてしまえば、この国で起こしてしまった何もかもをリセットできるのだ。

 アキラくんだってゴウさんだってリカさんだって、そして3年前のケンさんという人だって、結局はアキラくんが言っていた通り、アメリカにして呼び名を変えて人格も変えてクスリにハマって羽目を外して、もうどうしようもないグズグズな毎日を送っていたとしても、最終的にああして帰国さえしてしまえば、あっさりと常識的な普段の生活にハイ元通り、初期化が完了。

 こっちで散々やりたいだけやりまくった吸いたいだけ吸いまくった愚行だって、日本に帰れば誰にも知らていないわけだから、いつだってまた簡単に出直しはきく。

 かく言うこのボクも実はその逆で、日本で経理として働いていた会社のコンピューターが新たにウインドウズ98を導入してから、誰もが不慣れなうちに得意な操作をちょっとだけ施して、会社の裏資金を自分の口座へ留学費用分として送金させてもらったあの件だって、この国に渡ってしまえば本人不在でもうそれまで。

 さすがに会社の方だって、まさか税金逃れで隠していたお金をアメリカへ渡ってしまったボクに横取りされました、なーんてことをわざわざ警察に届けるほどバカじゃないだろうし、仮にもしもボクのパパやママに訴えてみたところで、結局はそれを実証するために捜査してもらう羽目に陥るだろうし、その上ボクだって会社に疑われるようなヘマをした覚えは何もないから、こうしてお気楽な留学生活を悠々自適に送れてるってことなわけで。

 あぁ~、あとたったの4年で帰国だなんて、今のボクには考えられない。

 アルコール中毒のアキラくんがアルコホリックだったら、さしずめボクは『留学ホリック』。

 なーんちゃってね。

 あ、玄関のチャイムが鳴った。

 今日はこのタウンハウスを内見したいっていう新しい留学生が来る予定になっている。だからこれはきっとそうに違いない。

 今までは荒れ放題だったキッチンだって掃除をしたし、新しいルームメイトが今日すぐにでも決まってくれたらいいなとは思う反面、今の2人の愛の巣に見知らぬ他人が入り込んだ生活をまたゼロから開始するのは、精神的にちょっと微妙かも……。

 なんていう天秤を頭の中で揺らがせながら、ボクは最初にここを訪れた時のアキラくんみたいに「は~い!」との返事をまだ見ぬ相手に明るくかけて、ドアスコープの位置が高すぎて覗けない代わりに、まずは玄関のドアをゆっくりと半分だけ開けてみる。

 途端に差し込む西日に目を細めながら、先に「こんちは」と挨拶をしてきたその大きな壁に向かってドア越しから視線をあげてみると、筋肉隆々なその彼は、よく日焼けしている上に健康的な坊主頭をしている。

 見るからに硬派の『体育会系男子』って感じ。

 意外にボクの好みかも。

 なのに……。

 え?

 鼻に、ピアス?

 そんなギャップに軽く衝撃を受けながら、「あ、内見の約束をしていた人ですよね、さぁどうぞどうぞ」とドアを引いて招き入れ、その拍子に何気なく表の車道へ目をやってみると、いかついアメ車のクーペが横付けしてある。おそらくあれはシボレーカマロの新車だろう。LAに着いたばかりと大家さんから聞いたのに、もうすでにあれを買ったというのか。

 どんな金持ちのスネっかじりなボンボンなんだよまったく……。

 ボクはそう心の中で毒突きながら、嫉妬がらみの溜息を気づかれないように小さく吐いて振り返ってみると、背後で「じゃあ」とビーチサンダルを脱ぎ捨てていた彼はすでにもう、勝手知ったるかのようにズンズンとリビングルームや2階の部屋を確認し始めていた。

 断りもなく何も言わずに見て回る彼を追いかけて階段を駆け上がり、廊下で「あ、あの……」と声をかけようにも隙がない。

 その途端、暑くもないのにボクの脇の下にじっとりと汗が滲み出てくるのを感じた。

 この人はイッタイ……。

 なんなんだ……。

 そんな彼を追うようにして2階から下りてきたところで、ひとまず「は、はじめまして、ヤマモトケンジっていいます」とロンTに包まれた大きな背中に声をかけてみたら、振り返った瞬間にいきなり右手を差し出された。きっとそれは挨拶代わりに握手をしようという意味なのだろう。

 咄嗟にボクも右手を出して、ゴツイその手と握手をする。汗ばんでいるボクの手を握って、気持ち悪がられていたらどうしよう。

 だけど彼はそうしたまま、まるで昔を回想でもしているかのように辺りを見回しているだけで、心ここにあらずといった感じで何も反応してこない。

 しかもその上、その目が何だか懐かしそうに潤ってさえ見えるのはなぜだろう。

「あのぅ……失礼ですが、お、お名前を……」

 と、手を離した途端に思わずボクの口からたどたどしくしゃがれた声が出た。それまで気づかなかったが、自分の口の中が完全に乾ききっている。

「あ? なんだ、大家から聞いてなかった?」

「い、いえ何も……」

 さっきからなんなんだ! 上から目線のこの態度は! 

 しかも大家さんからなんてゼンゼン何も聞いてないし!

 まったく、あの大家さんときたら、肝心なことをいつだって伝え忘れるんだから……。

 この人のデカい態度といい、両方でムカついてくる。

 宙を見るともなく目を泳がせながらボクがそんな苛立たちを覚えていると、そこでやっと彼は言った。

「遅れだけど」

「はい」

「オレの本名はヒサシっていうんだけどな」

「はぁ、ヒサシさん……ですか」

「そう」

 でも。


 ――――ここでは、北斗の拳のケンシロウからとって、ケンって呼んでくれ。


 結果的に今週末から『ケン三世』となるこの新しいルームメイトも加わることになって、またこれからこのタウンハウスでいったいどんな物語が始まっていくのだろう。


                                           完 

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留学ホリッカーズ -アメリカン・アンダードッグス・スロッピー・マッシュドポテト - 蒔田龍人 @Macky-LA

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