“なろう系”とはある意味小説の究極

ストレスフリーに読めることが“なろう系”の条件なのである事は前項で書いた。

“なろう系”の作品はこの流れに準じるため殆どの場合文章に変なアクセントはつけない。作風と捉えられる事よりストレスと感じる読者が多いためである。


読者の大半が“なろう系”などのウェブ小説を書籍で読んでいない。ほとんどがスマートフォンやタブレットであるだろう。

つまりページを開ける作業はほとんどなくタップすれば新しい情報がするすると入ってくる状態にある。

指を動かせば新しい情報が、それも過剰なほど入ってくるのだからそれが停滞するだけで読者はストレスを得る。

つまりスマートフォンやタブレットで文章をじっくり読ませる行為は性質上嫌われるのである。


ではどうなるかというと、漫画のように一つのブロックから情報を凝縮させたものを好むようになっていく。

しかもそれは視覚的にストレスフリーでなければならない。そのため


「後ろから強い爆風を感じた。それがなんの爆発なのか分からない。しかしその威力は僕を吹き飛ばすに十番だった。」


と書くよりも


「ドガアアアァァァァァァァーーーーーン!!!!!!!!

 爆発だ!俺は吹き飛ばされた!」


の方が指でノッキングしておろしていくスタイルの現代メディアでは効果的なのだ。

文章性こそ想像しにくい土台を作るものと言っても差し支えない。


そして前項に繋がっていくのだが、アニメーションに慣れた世代にとってキャラクターの資格性がある程度形になっていればどのようなキャラクターが吹き飛ばされたのか想像がしやすい。

だとしたら文章をこねくりまわすことよりそれこそ漫画的な効果音で書いた方がキャラクターの吹っ飛ぶ姿を想像しやすいのだ。


つまり頭のなかで勝手にアニメーションを作らせるために文章を構成するために一見すると稚拙なほどの文章になる。むしろその方がいいのだ。爆発を細かく説明するよりも爆発が起きた、ということを示唆できる効果音の方が“なろう系”の作品では優先されるのである。


だからこそこの手合いの作品に重要なのはキャラクタービジュアルである。

昨今は商業誌ならずともイラストレーターに依頼しキャラクタービジュアルを描いてもらうパターンが増えつつある。

これはイラストの方が広告宣伝的に見栄えがいいという要素もあるが、それ以上にイラストのキャラクターが動きますよ、と視覚的宣伝をしてしまえば“なろう系”として半分ほど小説が完成してしまうほど効率的だからだ。


これは作品において作者と読者がキャラクターを強く共有するIP性を求めていることに他ならない。

想像余地がストレスフリーであればあるほど、文章はこねず、むしろ稚拙と評されるほどの文章で構成され、そこから読者が決められたIPから脳内でアニメーションを作る段取りで“なろう系”小説は成り立つのである。


言い換えてしまえばそこに作家性は必要ない。

IPと想像しやすい媒介があれば成立してしまうのだから読ませるテクニックなどはむしろ邪魔で、軽くさらりと読めればそれに勝るものはない。

つまり究極的に言ってしまえばIPが確立さえしてしまえば文章はAIが作り続けても問題はない。

問題は読者の頭にあるIPが文章に沿わせることでどう脳内アニメーション化してくれるかの方が重要で、突き詰めてしまえば物語性も放棄していい。


ある意味小説の究極と言ったところであろう。

それこそが“なろう系”のもつ強みなのである。

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