第三章 6-2


 ブッタガヤは、開祖シャーキヤが菩提樹ぼだいじゅの下で天啓てんけいを授かった場所である。一説によれば天人の御言みことであったとされているが、その具体的な内容までは伝わっていない。


 四大聖地の中でも教都に次ぐ都市であり、キノ領都ヘグリにも劣らぬほどの盛況さであった。街の象徴的な建造物であるマハーボディ寺院を中心として、露店が放射線状に所狭しと立ち並んでいる。


 一行は街道沿いの旅宿に部屋を取ると、続いて食糧や生活必需品などを買い漁った。そして、次に向かった先はここが聖地たる由縁……仏跡ぶっせきとして名高いくだんの菩提樹であった。


 そこは寺院の敷地内にあり、既に多くの信徒が長蛇の列を作っている。彼女たちはその最後尾に付くと、ほがらかに歓談しながら列が先に進むのを待っていた。


 街中も大勢で溢れ返っていたものだが、この場所は輪を掛けるようにして人出ひとでが多く、如何に聖地の巡礼が信徒にとって重要なのかが伺い知れる。


 一行のように連れ合いと談笑している者から、黙祷して一心に祈りを捧げている者まで、信仰への姿勢には個人差があるようだが、いずれも崇敬の念を抱いて聖地に参っているのだろう。


 だからこそ、彼女には教都にいる偽者が許せなかった。形骸化しているとはいえ、天人地姫の庇護者たるホーリーデイ家の名に懸けて、その御名みなを汚す悪行を払拭せねばならない。


 やがて中心部へと近付くに連れ、正面からは巨大な菩提樹が観えてきた。どうやら途中で柵が設けられているらしく、直接手を伸ばして触れたり、開祖を真似て下に座ったりすることは禁じられているようである。


 信徒たちは列の先頭から順番に柵の前まで歩み出ると、黙々と祈りを捧げていく。あまり長居することはなく、しばらくそこに留まった後、左右に規則正しく避けて離れていった。


 信徒でない彼女にとっては、それほど関心のある場所ではなかったはずだが、間近で見ると圧倒されるほどに荘厳であり、まるで天に向かってそびえ立っているかのようであった。


 まさに仏跡ぶっせきと称されるに相応しい威容であり、隣に立つラーマたちも心を奪われているようである。しかし、彼女の目が捉えていたものはそれだけではなかった。


「……そう、あなたにも視えたようね」


 隣でミストリアが正面を向いたまま呟く。彼女はそれに応えることはせず、代わりに眼前の巨木を仰ぐようにして見上げた。


 空属性を会得したことにより、彼女は必然的にマイナの感知が出来るようになっている。もっとも、それはあくまで力の行使に付随するものであり、ミストリアの域には遠く及ばないのだが、菩提樹と対面して感じ取れたことがあった。


 この巨木の周辺には膨大な量のマイナが漂っているのだ。しかし、魔法が発動している様子はない。あくまでマイナの密度が他よりも際立って高いというだけである。


 マイナとは目に見えない微小な物質であり、通常は空気中に拡散して均一化する傾向にある。勿論もちろん、地域性や天候などの影響により偏ることはあるのだが、今回は菩提樹周辺の限られた範囲に集中しており、そのような理由では説明が付きそうになかった。


 そして、マイナの密度を認識したことにより、更にもう一つの事実をも知覚するに至った。それはここにあるマイナの殆どが火属性ということだ。


 またしても、火。皇国や帝国の徽章きしょうしかり、なぜヌーナ大陸にはこうも火が付いて回るのだろう。


 火ではなく、水こそがミストリアの……天人地姫の象徴ではないのか。それとも、大陸のマイナの傾向と天人地姫の特性とは一致しないものなのか。


「世界にはね、稀にこうして特定のマイナが湧き出す場所があるのよ」


 そう、淡々と述べられたミストリアの言葉には、どこか憂いが含まれているようにも感じられた。彼女は続きを促そうと振り向くが、既に歩き去ろうとする背中だけが映るのみである。


 とある魔法研究家の提唱した仮説にマイナ循環説がある。魔法により魔力を放出し、不活化したマイナは時間を掛けて自然界の魔力を吸い込むが、その過程で大気中や地下、海中などを循環するというものである。


 それによると、再活性したマイナは世界を大移動しながら不活化したマイナと置換していく。また、一部がマイナ溜まりと呼ばれる場所に蓄積後、何かの拍子に地表に吹き出すことが想定され、環境条件等により属性分布が著しく偏る現象が予測された。


 まさに、この聖地がそうだったのだ。まだ彼女の感知能力では判然としないが、菩提樹の周辺に火のマイナが集まっているのではなく、そこから放出される量が膨大であるが故に、大気中への拡散が追い付かずに局所的に濃くなっているのだろう。


 そして、斯様かような場所であったからこそ、開祖シャーキヤは天啓を受けたのだろう。それが天人の意思であるかは定かではないが、いずれにせよ、常人ならざる力の賜物であった。

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