第三章 8-2

 翌朝、結集けつじゅう封禅ほうぜんの儀を間近に控え、喧騒に包まれる教都を移動する四つの人影があった。それは信徒による人混みを縫うように避け、寺院や名家の邸宅が集中する中央部へと向かっている。


 今回はミストリアだけでなく彼女もまた、純白の外衣ローブ頭巾フードを深く被り、艶消えんしょうの魔法により自身の存在を隠していた。ダイバ老師が偽の天人地姫と繋がっている以上、彼女の面も割れている可能性があるからだ。


 次第に人通りが減るに連れ、時代がかった建造物が目立つようになってきた。どうやら教国では、建築年数が古い建物ほど格式が高くなる傾向にあるようだ。


 やがて、一行は目的地であるイクシュヴァーク家へと辿り着いた。遠方からでも年季が感じられたが、造りそのものは質実で頑強そうである。


 邸宅に続く門の前では衛士えいしがこちらを窺っていた。ラーマが警戒した様子の門番に対し、普段どおりの陽気さで声を掛ける。


 駆け落ち同然で出奔しゅっぽんしたとは思えない、そのあまりにも堂々とした態度には感心させられてしまうが、隣にはべるシータの背中からは緊張感がみなぎっているように感じられた。


 事の成り行きを固唾を呑んで見守る彼女であったが、兵士が深々と頭を垂れると門は開き、拍子抜けするほどあっさりと中へ入ることが出来た。


 そして、質素ながらも良く手入れがされた庭園を抜けると、邸宅の前にはラーマと同じ鶏冠石けいかんせきの髪に、顎髭あごひげたくわえた壮年の男性が仁王立ちしていた。


 あれがきっとラーマの父親なのだろう。名門クシャトリヤの当主というだけのことはあり、豊かな色彩で染められた洒脱しゃだつな装束は見る者を圧倒し、また隙間から覗く引き締まった身体からも精強さが感じられた。


 しかしながら、相変わらずラーマは物怖じせずに歩み寄る。そして、何かを言おうとした瞬間、父親は一歩前に足を踏み出すと、おもむろに腰にいた剣を抜いて斬り付けた。


「おわぁっ! 何をしやがる、このクソ親父っ!」


 ラーマがすんでの所で斬撃をかわす。彼女にはそれが威嚇ではなく、本当に斬り捨てるつもりであったように思われた。彼のような武芸の達人でもなければ、今頃庭園は血の海と化していたことだろう。


「黙れぇ、このバカ息子が! 次に姿を見せた時は斬ると言ったのを忘れたかっ! しかも、ミティラーの娘なんぞを連れてきおって!」


 父親が憤怒の形相で一喝した。ミティラーとはシータの実家のことである。やはり、二人の仲をまだ許してはいないようだ。


「お待ち下さい、ダシャラタ様。天人地姫の御前ごぜんにおかれましては、斯様かような争いは畏れ多きことにございます」


 その言葉に父親、ダシャラタの動きが止まった。彼女たちが頭巾フードを外して素顔を晒すと、かさずシータが足下へとひざまずく。しかし、尚も怒りは収まらぬようで、不快感をあらわにするようにして吐き捨てた。


「ミティラーの娘よ、貴様まで私をたばかろうというのか。その女人からは天人地姫の威容は感じられぬ。むしろ……そうだな、傍らの少女の方が相応しいくらいだ」


 彼女は内心、ダシャラタに対して尊敬の念を抱いた。さすがは唯一、ダイバ老師に異を唱える気骨の持ち主だけのことはある。恐らくは早々に、くだんの天人地姫が偽物であることにも気付いていたのだろう。


 一方、ラーマたちは承諾できぬようで、ダシャラタに対して反発する態度を示していた。このままでは自分のせいで親子喧嘩が始まってしまうと、堪らず彼女が正体を明かそうとしたとき、門番が慌てた様子で駆け込んできた。


「えぇい、後にしろ! 今はこのバカ息子どもを成敗するのが先だ!」


 ダシャラタが衛士を怒鳴りつけるが、次の瞬間、緋色ひいろの法衣を纏った見知らぬ老人が、りとて相貌そうぼうに刻まれたしわに苦難と徳を忍ばせる高僧が、唐突に彼女たちに向けて五体投地ごたいとうちした。


「あ、アナン老師! なぜ、貴方様がそのような真似を!?」


 老師は立ち上がると、再度、彼女たちに深々と礼をして奉迎ほうげいの言を述べた。その光景を信じられずにダシャラタがひどく狼狽する一方、ラーマたちは手を取り合って歓喜していた。


 しかし、それが自身ではなく、ミストリアへと向けられたものであることを、彼女は老師の身のこなしから悟っていた。

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