第三章 4-3


「ちょっと、いくら何でもそれはやり過ぎよ」


 流石さすがに野盗紛いの行為には抵抗があるのか、今度は少女が止めに入った。しかし、少年は聞く耳を持たず、逆に少女を焚き付けようとする。


「これもシータがヘマしたせいッス。いいから、今のうちに獲物を仕留めてしまうッスよ」


 シータと呼ばれた少女はまだ不満そうであったが、言われたとおりに魔法の詠唱を開始した。先ほどはまさか魔法が消去されたとは考えもしないだろうから、単なる失敗と見做みなされても無理はない。


「獲物を持って帰らないと村を追い出されるんス。頼むから妙な真似はしないでくれッスよ」


 少年は視線を戻すと、懇願するように片目をつむる。それでも短剣の切っ先に迷いはなく、彼女の動きを封じるつもりでいるようだ。


 そんな二人の動作と機微を彼女は自分でも驚くほど冷徹に捉えていた。少女の詠唱は長篇に及んでおり、今度は牽制目的の涼風一陣ウィンド・アローとは異なり、一撃必殺の魔法を放ってくることだろう。


 斯様かような魔法を扱える時点で、少女の魔術師としての力量は決して侮れないと推測される。しかし、今は魔法の巧拙、強弱にしたる意味はない。理論上、彼女にとって消せない魔法はないからだ。


 問題は短剣を突き付けている少年の方だ。本心では危害を加えるつもりはないようだが、どうやら食い詰めて切羽詰まっているらしく、いつ心変わりをするとも限らない。


 流石さすがに目の前で魔法を消去すれば、今度こそ何をしたのか勘付かれてしまうだろう。その次は直接的な手段に訴えてくるかも知れない。彼女の力は未だ実体を伴う攻撃とは相性が悪く、先手を打って無力化するしかすべはない。


 つまり、これはなのだ。今度の標的は魔物ではなく人間、それも複数に対してマイナとプラナの同時並行処理ともなれば、そうそう巡り合える局面ではない。


 特に、何の躊躇ちゅうちょも要らないのは僥倖ぎょうこうだ。仮にも人に剣を向けたのであれば、それが何を意味するのか、分からないとは言わせない。


 例え自分にはその気が無くとも、恐怖に駆られた相手が抵抗して揉み合いとなり、弾みで刺してしまうこともある。そのような結果に対して、原因は抵抗した相手にあるとでも言うつもりか。


 剣を抜くからには、それなりの覚悟を負わねばならない。もしも返り討ちにあったとしても自業自得なのだ。故に、これほどおあつらえ向きの相手もいなかった。


 心のどこかで、発想が粗野そやになることをいさめる自分がいた。こんなにも自分は血気盛んであっただろうか。もっと平和的な解決策を講じることが、ホーリーデイ家の矜持ではなかったのか。


 しかし、現実とは無情なものだ。今ここで求められているのは智よりも力……少なくとも、魔物を助けようなどという無理を通すのであれば、代わりに道理を引っ込ませるより他にない。


 やがて、少女の詠唱が終わりを迎えると空中に巨大な氷塊が顕現された。それは陽光を浴びて燦爛さんらんと輝き、見る者の心を奪うほどに美麗であったが、同時に戦鎚せんついのように鈍重で、長槍のように尖鋭であった。


氷姿雪魄パーマ・フロスト


 魔力によって空気中の水分を限界まで凍らせ、巨大な氷塊として叩き付ける水属性の上位攻性魔法である。


 衝突後は氷片が花弁はなびらのように乱れ舞い、対象を覆い尽くして氷漬けの彫刻へと変えてしまう。その二段構えの攻勢は回避不可能であり、対魔法の障壁を展開するか、他の攻性魔法で相殺するしかないと言われている。


 まさかここまでの魔法があらわれるとは想定外であった。これは同年代でも稀少、それこそ五大諸侯の子女にも匹敵するほどの力量の持ち主なのかも知れない。


 それにしても、たかだか丸太兎ファッティラビットを仕留めるのに随分と大仰おおぎょうではないだろうか。鮮度を保つための冷凍保存も兼ねているのかも知れないが、これでは彼女たちごと凍り付いてしまう。


 現に少年も驚愕の表情を浮かべており、少女に向けて何やら叫んでいるようだが、時は既に遅く、氷塊は落下を始めていた。


 そして、それは彼女にとっての好機でもあった。瞬時に知覚の世界で氷塊を捕捉し、マイナに宿る魔力を対消滅させていく。このまま地表へと花開く前に、散らしてしまうことが出来るだろう。


 しかし、それだけではまだ足りない。彼女は強引に思考を分割して並列処理の体勢に入る。少年は魔法に気を取られており、こちらの様子には全く気付いていない。今なら身体に触れることも容易いだろう。


 だが、敢えてそうはしない。少年には一切触れず、その周辺にあるマイナから魔力を奪う。やがて、枯渇して剥き出しになった因子が、まるで自己防衛するかのように彼から生命力を奪い、魔力へと変換する。


 そして、また彼女がその魔力を奪い去る。それはあたかも時間が停止し、事象の地平線に切り取られてしまったかのように、永遠にも等しく繰り返された。


 いつしか空から氷塊は消えていた。ただ、野原を吹き抜ける好風こうふうに舞う粉雪だけが、かつてそこに魔法が存在していたことを偲ばせている。そして、立っていたのはただ一人、現代において唯一無二の空属性の御手みてであった。

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