第三章 4-2


 突如、茂みより放たれた攻性魔法に対し、彼女は素早く丸太兎ファッティラビットの影から立ち上がると、直接視認するよりも先に知覚の世界を展開した。


 向かって来ているのは、風のマイナを伝導体として細長く矢形に引き伸ばされた魔力……それも複数ともなれば、風属性の『涼風一陣ウィンド・アロー』に相違ない。


 比較的初歩の部類の魔法ではあるが、主に牽制を目的として魔物を狩る場合にも重宝される。つまり、狙いはこの毛塊けだまたちなのだろう。


 思考と並行して、矢群に向けて右手をかざす。そして、高速演算でマイナに宿る魔力を対消滅させると、露出した因子を除去し、魔法を消去した。最初に修得したくう属性、一切皆空アッシュ・トゥ・アッシュは順調に機能しているようだ。


 しかし、これはあくまで初手、狩人たちの追撃が予想される。現状として死角に潜んだ相手への対抗手段はなく、また人間同士で無益な争いを起こすつもりもなかった。


「ちょっと待って、この子たちは違うのよ」


 彼女は射手に視えるように諸手を挙げると、茂みの奥へ向けて戦意のないことを宣言する。構わず狙い撃ちにされる危険もあるため、決して攻性魔法に対する警戒は怠らない。


 もっとも、実体の矢に対しては打つ手が無いため、そのときは覚悟を決めねばならない。本当は毛塊たちの影に隠れ、防御陣地とした方が無難なのだが、当然にその考えは除外していた。


 茂みに向けた視線を逸らすことなく、固唾を呑んで事の行く末を見守る。もしも相手が無頼ぶらいであれば、これは完全な悪手だ。果たして、ミストリアが戻るまで持ち堪えることが出来るだろうか。


 しかして僅かな時が過ぎた後、再び葉のこすれる音を立てながら二つの人影が姿を見せた。それはまだどこか相貌そうぼうにあどけなさを残す、彼女よりも年若き二人組の男女であった。


「わりぃッス、あれはあんたの獲物だったスか?」


 二人の片割れ、鶏冠石けいかんせきの髪をした少年が片手を上げて駆け寄りながら、やや軽薄そうな口調で訊ねてくる。


 観たところ、体格は中肉中背、胸には守備兵と同様の革鎧レザーアーマーを身に付けており、腰には短剣、背中には弓と矢筒を背負っていた。顔や腕などの露出部は日に焼けて浅黒く、如何にも狩人という印象を受ける。


 一方、少年の背後に控える赤支子あかくちなしの髪の少女は、彼女と似て旅装束の上から栗皮色くりかわいろ外衣ローブを羽織っていた。こちらは魔術師のようであり、先ほどの魔法も少女の手によるものだろう。


「なあ、片方譲っては貰えないッスかね。代わりと言っちゃなんだが、村まで運ぶのを手伝うッスよ」


 無言で相手を値踏みする彼女に対し、少年は意に介さずに話を進めていく。どうやら身ぐるみを剥ごうという訳ではなさそうだが、毛塊たちの分け前に預かろうという魂胆らしい。


 丸太兎は魔物の中でも、脅威というよりは狩猟の獲物、わば自然の恩恵に等しい存在だ。彼らがこの毛塊たちを狩って生計を立てることは、人の営みとして至極当然のことなのだろう。


 プラナの収奪の修練においても、既に毛塊たちを相手とする段階は終わっている。先ほど決心したとおり、このまま野に放しても問題はない。そして、その先で狩人の手に掛かり、その糧となることもまた仕方のないことなのだ。


「……悪いけど、この子たちに手出しはさせないわ」


 しかし、それは駄目だ。幾ら相手が魔物でも、恩を仇で返すような真似は出来ない。たとえ独善的と言われようとも、目の前で狩ることだけは許さない。


 彼女は毅然とした態度で少年の申し出を拒絶した。元より運搬と引き換えに半分を要求するなど言語道断なのだが、少年との間にはにわかに険悪な空気が漂い始める。


 一方、後方にいる少女は、睨み合う二人の様子を困惑した表情で見つめていた。それでも口を挟もうとはしないことから、少女もまた意図するところは同じなのだろう。


「あんた、ひょっとして魔物遣いなんスか?」


 しばしの沈黙の後、少年はいぶかしむ表情を浮かべながら呟いた。彼女の返答を咀嚼そしゃくし、それが単なる獲物の奪い合いではなく、魔物の助命を目的としたものであることに気が付いたのだろう。単純そうな見た目に反して、意外と機転が回るようである。


「いいえ、そんな大層なもんじゃないわよ」


 彼女もまた思案した後、それに否定の意を示す。正体を偽ることでこの場を収められるかも知れないが、一方で魔物遣いを忌み嫌う人々もまた多く、特に狩人にとっては水と油の存在であった。


「それなら尚のこと聞けないスね。そこに獲物がいる以上、狩りを邪魔されるいわれはねえッス」


 そう吐き捨てながら少年は腰の短剣に手を掛けると、威嚇するようにその剣先を向けてくる。途端にチョウセンとの出来事が脳裏に蘇り、自分の心奥が冷たく凍て付いていくのを感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る