第三章 1-1
-1-
「これ、馬車が来たらどうするのかな」
左右を直立する
僅かに開けた天上に恒星の姿は認められず、射光を遮られた谷底は未だ夕暮れには程遠いというのに薄暗い。いつもならば、淡く輝きを放つはずのそれも、今は幾分か黒ずんだものに感じられた。
「あらっ、少し髪が伸びてきたわね」
不意に隣を歩く人影に声を掛けられる。視線だけをそちらに向けると、漆黒の
普段から男装の気があるかと疑われるほど、彼女の髪は短く切り結ばれており、前髪が目に掛かることはない。しかし、王都を旅立ってから
実に一月半ぶりの邂逅を経て、旅を再開した二人であったが、少しぎこちなさが見受けられるようである。それは
彼女にはミストリアに対して言いたいことが山ほどあった。それは結果的に置いて行かれたことへの
しかし、それを敢えて口にはしない。今はただ、共に肩を並べて歩めることが嬉しかった。自分が真に望むべき場所への回帰、その
「変なレイニー、顔にちょっと締まりがないわよ」
仕舞いには、やんわりと
シュウシンカン帝国とバラトリプル教国に跨るターパ山脈、その唯一の山間道であり、国境でもあるケンモン関の通路を二人は歩いている。
それは左右に
また、双大山の谷間ということもあり、道筋は左右に蛇行しながら続いている。必然的に大軍による行軍は難儀であり、先の大戦においても皇国軍の侵攻を防ぐ天然の要害としての役割を果たしていた。
現在は帝国と教国の共同統治とされており、互いに出入口にあたる部分に関所を設けて国境防衛における要としている。
特に軍事力に乏しい教国側にとっての重要性は高く、切り立った崖の一部を削り取り、
大戦終結後は王国を含む三国同盟に基づき、原則的に通行の自由が保証されている。二人は何ら妨げられることもなく、教国側に向けて歩みを進めていた。
途中、前方からの旅人らしき一団の縦列に遭遇し、互いに道を譲り合って擦れ違う。どうやら馬車の往来は制限されているらしく、越境にあたっては乗り換えが必須なようだ。確かに、この道路事情ではそれもやむを得ないことであった。
通行人の多くは教国側からであり、後方を振り返っても二人に同道する人影は疎らである。この時期は
それは二人にとって、些か不都合な事態であった。
しかし、その捉え方には国によって差異があり、救世の守護者として英雄的に扱われる王国、逆に覇道の障害として敵対的に
本来の信仰対象は
それ故に、天人地姫の
王国のときと同様に、国境通過にあたっては原則として身分を明らかにすべきとされている。それは必ずしも面通しを強制するものではなく、
仮にミストリアの正体が明るみになったとして、何らかの咎めを受けるどころか、その威光に平伏すことになるだろう。しかし、先の帝国での一件を顧みれば、無用な混乱は避けるのが賢明であった。
そして、
それというのも、この地より先は教都クシナガラまで、要塞や陣地などの目立った防衛線は存在せず、ここを抜かれたら即座に国家存亡の危機に瀕してしまうのだ。
教国はその成立過程からして、皇国から自治権を認められた宗教都市が母体であり、帝国はおろか王国と比較しても戦力に大きな隔たりがある。むしろ、
その戦力差は兵士の身なりにも顕れており、帝国が辺境警備隊にも
彼女は胸壁に向けていた視線を落とすと、関門の両脇に立つ守備兵に会釈をした。
しかし、やはり連れ合いが
背中に
そして、何事もなく関門を
「其の方ら、天人地姫の御姿を拝しに参ったのであろう。既に御幸あそばされ、封禅の儀は間近であると聴く。
思いも寄らぬ言葉に転倒し掛ける彼女であったが、何とか両足に力を込めて踏み留まる。そして、
額面どおりに受け取れば、天人地姫はもう入国を果たしていることになる。一方、ここに居るのが当の本人だとは気付かれてないようだ。実に不可解な話であるが、動揺を見せて要らぬ詮議を受けるのは得策ではない。
彼女は平静を装いながら兵士に返礼すると、御幸の最後の地、霊峰タカチホを
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます