第二章 1


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『水の魔法に必要なのはね、アイなんだよ』


 目の前の少女が自分に向けて含羞はにかむ。その言葉の意味が分からず首を傾げると、少女もまた傾げ返す。お互いに首を左右に振り合って、何だか時計みたいだねと笑い合う。


『火の魔法はおぉー、風の魔法はぬぅー、土の魔法はしぃー、って感じかな』


 少女は気を良くしたのか、腕を持ち上げたり、眉間に皺を寄せたり、口元に指を当てたりする。ますます意味が分からないが、自分もそれを真似てみる。はたからは幼児が戯れる微笑ましい光景に観えたと思う。


 その日、自分は少女に魔法を教えてほしいと強請ねだった。少女が優れた魔術師であることは幼い自分にも分かっていた。母様から散々聞かされていたし、かつて少女が見せてくれた神秘的な光景がいつまでも目に焼き付いて離れなかったからだ。


 少女は逡巡した様子でじっと瞳を覗き込んでくると、やがて頬を緩めて首肯しゅこうする。そして、魔法の四属性の真髄……なるものを教えてくれたのだが、まるで理解できなかった。


 自分に魔法の才能がないことは少女と出会う前から自覚していた。レイの姓を冠するホーリーデイ家は、曲がりなりにも王国でも有数の名家であり、一通りの貴族教育は物心が付いた頃から施されていた。


 それは王国の各種行事における礼儀作法に始まり、文字の読み書きや算学の習得、国家体制や法制度の認識、周辺国を含む地理や経済の把握など多岐に渡るが、取り分け重要な地位を占めていたのが武芸や魔法といった戦闘技術である。


 王国はその成立過程から帝国との安全保障体制が敷かれており、同盟に敵対する勢力からの防衛、或いは派兵が繰り返され、貴族にはその陣頭に立って従軍する義務が課せられていた。


 また、今でこそ和平交渉により友好関係が築かれてはいるが、かつて南方を守護するハジ家に厄災とまで畏れられた脅威……土雲つちぐもと呼ばれる小国家群からの度重なる侵攻を受けており、軍備の増強は必要不可欠であった。


 これらの伝統は現代にも引き継がれており、五大諸侯の騎士団の指揮官は軒並み貴族がその役割を担っている。


 もっとも、諸侯には国王へ叙爵者じょしゃくしゃを推薦できる特権があるため、武功を挙げて爵位を得る配下も多く、それが領民からの志願兵の確保に繋がっていた。


 こうしたことから、貴族に連なる者は家柄や年齢、そして性別に関わらず、戦闘における鍛錬を怠らぬよう戒められてきた。ホーリーデイ家はその特殊な立ち位置から従軍の義務は免除されていたが、決して原則論から除外された訳ではなかった。


 そして、自分にも武芸や魔法の修練が課せられていたのだが、生憎とお世辞にもまともに身に付いたとは言えず、特に後者に関しては絶望的であった。


 なにせ、魔法が全く発動しないのである。魔法は才能や属性適正の個人差が激しいが、地道に修練を重ねていけば一定の段階までは会得できるものとされていた。


 オオトモ家のメイラ将軍のような例外を除き、貴族の子女は武芸よりも魔法を嗜む傾向にあり、幼い頃から魔術師に師事して英才教育を受けてきた。


 そこには王国軍の魔法の運用が後方支援を主としており、敵性体と直接対峙せずに済むという算段もあったのだろう。しかし、こと自分に関して言えば、そのような常道とは程遠い場所にいた。


 そして、母様の伝手つてる高名な魔術師が招かれたのだが、師と仰ぐ間もなく魔法の道を断念するように勧告されてしまった。


 その魔術師はマイナを五感で感知できるという触れ込みであったが、自分への評は『マイナに嫌われている』という実に辛辣なものであった。


 あまりにも情け容赦のない宣告に泣き出してしまい、また両親も憤慨していたのだが、皮肉なことに藁にもすがる想いで求めた少女から発せられた言葉は、先の魔術師と寸分違わぬものであった。


 もはや魔法とは無縁であると悟るより他なかったが、少女の手解てほどきによって知識の習得だけは行うことになった。たとえ行使できずとも、その存在に対して既知であることで、取り得る選択肢の幅が大きく変わると諭されたからだ。


 そして、いつしか一介の机上の空論者として、少女の魔法を喧伝けんでんすることが自身の役割となっていた。


 しかし、それだけでも十分だった。少女とこの世界を繋ぐこと……自分がその助力となれるのであれば、それ以上は求めることなどなかったのだ。


……


……


 彼女は絹布けんぷで縫われた寝具から半身を起こすと、俯きながら視線だけを隣へと向ける。そこには自分と同じ、絢爛豪華けんらんごうかな貴賓室の中でもひときわ壮麗さを誇る寝台が置かれていた。


 しかし、既にそれは仮初めの主を失った抜け殻であり、伸ばした手の先には何の温もりも残ってはいなかった。あの出来事があった日から……ミストリアが旅立ってから、既に三日が経っていた。


 自分たちの距離は日に日に開く一方だ。それなのに、今もこんなところで、何処にも行けず、無為に時間を過ごすことしか出来ないでいた。

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