第一章 EXー2(終)


 そこに居たのは少女であった。その表情は今までに見せたことがないほど厳粛であり、有無を言わせぬ迫力があった。そして、その後ろには母様と妹の姿も見える。呆然と立ち尽くす父様に、少女と共にいた二人も賛意を示す言葉を添えた。


 私は困惑していた。少女は妹よりも私を選んだのだ。それは嬉しさよりも先に、何故なのかという気持ちの方が強かった。やっと決意したというのに、勇気を出して諦めたというのに、少女は私が良いと言うのだ……私で、良いと言うのだ。


 私は涙が止まらなかった。視界がにじんで何も見えなかった。少女のことも世界のことも視えなくなった。そんな私を不意に柔らかく暖かいものが抱き止めた。それは言うまでもなく少女であった。


 少女の胸の中で一頻ひとしきり泣いた私は決意した。強くなろう、どこまでも強くなろう。私を選んでくれた少女に、恥ずかしくない私になろう。それが少女に応えられる唯一のことであるのだから。


 その日から私にとっての戦いが始まった。昨日の自分に打ち克ち、今日の自分に諦めず、明日の自分に理想を抱く。それは苦難の連続でもあったが、それでも少女が共にいてくれることが何よりの励みとなった。


 歳月は流れ、成人を迎える頃には私の身体も人並みほどには成長し、貴人としての所作を身に付け、社交の場にも出られるようになっていた。


 そして、少女は旅立っていった。残念ながら共に旅に出ることは叶わなかったが、その頃にはもう、別れはそれほどの意味を持たないことに気付いていた。


 私と少女は心で繋がっている。共に過ごした輝かしき日々は決して色褪いろあせず、今も私の中で光り続けている。あの日、それに気付くことが出来たから、私はもう悲壮感に囚われて泣くことはしなかった。


 それから、私は良き縁に恵まれて伴侶を迎えた。それもまた人は宿命と呼ぶのかも知れないけれど、優しい夫の腕に抱かれて、私は女としての幸せを感じていた。


 しかし、ここに至っても私の体質が原因なのか、なかなか子宝には恵まれなかった。こればかりは授かりものであるからと、母様も妹も優しい言葉を掛けてくれていたのだが、私は心の中で焦りを感じていた。


 ホーリーデイ家の家督を継ぐためには、ある一つの条件があった。それは後継となる子を生むことであり、母親となることが当主の最初の使命でもあった。


 私が婚姻してから既に六年もの年月が過ぎていた。母様は結婚した翌年に私を産んだことから、時期としてはもう少女がやって来た頃である。しかし、私が子を宿すことも、少女の娘が訪ねてくることもなかった。


 旅立った少女のことはずっと気に掛かっていた。しかし、御幸ごこうの行程は不規則かつ神出鬼没であり、その足取りを正確に掴むことは出来なかった。


 ただ、その奇跡だけが遍在的へんざいてきに報告されており、少女の神秘性をより一層伝播でんぱさせていた。そして、教国に入り霊峰タカチホへ向かったという情報を最後に、消息は完全に途絶えていた。


 少女はいったい何処に行ってしまったのだろう。そして、少女の娘はいま何処にいるのだろう。その疑問に答えてくれる者はなく、さらに一年が過ぎた。


 その日、私は夢を見た。夢の中の私は地面にせており、その腕にはまだ生まれたばかりの赤子を抱いていた。そして、目の前には少女がいた。大粒の涙を溢しながら、私に向けて何かを叫んでいる、初めて見る少女がいた。


 私は少女の手に赤子を託すと、残る力を振り絞るようにして何かを呟いた。そして、世界からは色彩と音声が失われ、周囲には何もない真白ましろの空間だけが広がっていた。


 私は少女が叫んでいた言葉を思い返していた。それはよく聞き取れなかったが、妙に聞き慣れた言葉であったと思う。そして、ようやくそれが何であったのかを理解できたとき、私は寝台の上で朝を迎えていた。


 翌年、私たちに念願の子が生まれた。それはホーリーデイ家の伝統どおり、珠のように可愛らしい女児であった。一族の男児は夭折ようせつするという家伝を信じていた訳ではないが、憂慮なく生まれてきてくれたことに安堵した。


 そして、私は正式にホーリーデイ家の家督を継ぐことになった。それを見届けたかのように、今までずっと私を支えてくれていた妹も、また縁によって他の貴族へと嫁いでいった。


 私は当主としての責務に加え、一児の母として育児にも追われていたが、いま思い返して見ても充実した日々であったと思う。娘は夫に似たのか健康そのもので、外に飛び出しては泥だらけになるまで遊んでおり、女の子としては少し心配になるほどであった。


 優しい夫に元気な娘と過ごす日々……かつて、自室に閉じ籠もり、未来を諦めていた私には、勿体ないほどの幸福であった。そして、私にはある予感があった。それは娘の成長とともに強まり、五歳の誕生日を迎える頃には確信へと変わっていった。


 娘の成長を祝う催しの準備をしていた私に、使用人の一人が来客を告げた。それは困惑を含んだ声色であり、訪問者は幼い女の子であると言う。


 その時の私はどんな顔をしていたのだろう。きっと泣きながら笑っていたのだろう。きっと嬉しいのに悲しかったのだろう。それでも私は少女が来るのを待っていたのだろう。私は自然と玄関に向けて駆け出していた。


 あなたと離れたくなかった。あなたと一緒に旅がしたかった。あなたに生きていてほしかった。あなたにもう一度だけ会いたかった。


 でも、私頑張ったよ。あなたがいなくても頑張ったんだよ。大丈夫だから、もう私は大丈夫だから。だから、後のことは私に任せて……。


『ええ、ずっと頑張るあなたを見ていたわ。新しい私をよろしくね』


 扉に手を掛けた私の耳に、そんな声が響いたような気がした。

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