第一章 EXー1


-番外-



 私は生まれつき身体が弱かった。幼少期には外に出ることも叶わず、日がな一日、自室の寝台にせっていることが多かった。


 王国随一の名医にも診てもらったが、原因はようとして知れず、もはや体質としか診断のしようがなかったそうだ。


 私の家系はホーリーデイという貴族であり、大陸でも有数の女系の一族であった。長女である私には二つ歳下の妹がおり、私がこのような状態であったことから、次期当主には妹が相応しいと目されていた。他ならぬ私自身もそう考えていた。


 私の一族にはある特殊な役目があった。それは天人てんじん地姫ちぎと呼ばれる少女を育て、神の御許みもとへと送り出すことであった。


 天人てんじんとはかつて地上に降臨し、魔法を始め数多の叡智えいちを人に授けた神々のことである。そして、その天人に仕え、嫁ぎ、或いは捧げられた巫女たちは地姫ちぎと呼ばれていた。


 現在では既に天人は御隠れになって久しく、地姫もまた次第に廃れていった。しかし、唯一少女だけがその血脈を保ち続けており、いつしか天人と地姫の習合として天人地姫と尊称されるようになった。


 少女は人でいう成人の頃になると、かつて天人が降臨したとされる霊峰タカチホに旅立ち、そして次代となる娘を産んだ後、神々の世界へ還るという。その娘の地上における仮寓かぐうが私たちホーリーデイ家だった。


 斯様かような慣行がいつから始まったのかは定かではないが、それは遥か遠い昔に、一族の祖と交わされた盟約によるものであるらしい。


 しかし、所詮は私には関わりのないことだと思っていた。当主を継ぐのは妹であり、次代の天人地姫と同世代となる娘を産むのも、仮寓かぐうの主として共に育てるのも、私ではないのだ。両親も使用人も皆そのつもりであった。唯一人、少女を除いては……。


 私が初めて少女と出会ったのは五歳の誕生日を迎えたときだった。その頃の私はまだろくに自室からも出られず、窓から見える景色だけが世界の全てであった。深窓の令嬢と聴けば響きは清廉だが、幼心にもそれはとても退屈で詰まらないものであった。


 自室で催されたささやかな祝宴に、両親や妹、使用人たちに混じって、見知らぬ少女がいた。私は少女をひと目見たときから、その可憐で謎めいた姿に……いや、その歳で既に完成された形容し難き美しさに、心を奪われてしまった。


 少女はこれから一緒に暮らすのだという。以前にもそのようなことを母様から聞かされていたが、いつになるかは正確には分からないため、今まですっかり忘れてしまっていた。


 それから毎日、少女と二人きりで時を過ごした。少女はとても物知りで、私が知らない外の世界のことをたくさん知っており、ずっと話していても一向に飽きることがなかった。少女には専用の部屋が設けられてはいたが、殆どは私と一緒の寝台で夜を明かしていたほどである。


 一見すると、病弱な貴族の娘のために、何処いずこから連れて来られた同性のお世話役にも思われるが、父様や使用人が少女に向ける態度は尊崇と畏怖に満ちており、一緒にいると私までもが緊張させられた。


 一方で、母様が少女に向ける眼差しはどこか懐かしそうな、優しさと慈しみに満ち溢れており、不思議と胸が締め付けられるような感覚を抱いていた。


 少女と共に過ごすことで、私の身体も少しずつ調子が上向いていき、行動範囲も自室から室外へと広がっていった。しかし、依然として外出することには抵抗があり、両親に付いて王宮や他の貴族の邸宅などに赴くことは出来なかった。


 そして、私が七歳になった頃、父様からあることを提案された。それはこれから少女と過ごす時間を、少しずつ妹にも分けてほしいというものであった。


 当時の私にも、それが何を意味するのかは分かっていた。次期当主である妹と天人地姫である少女が、よしみを結ぶ邪魔になってはいけないということだ。


 それはとても残酷な宣告であったが、いつかは訪れることも覚悟していた。当主として家督を継げないのであれば、次代の天人地姫を育てることも出来ない。むしろ、両親は辛抱強く私の成長を見守ってくれていたのだと思う。


 後に聞いたところでは、父方の実家であるソガ家に身を寄せるという話もあったそうだ。領都ソガリはヌーナ大陸で唯一、西方大陸ロディニアと交易を結ぶ港湾都市である。


 西方からもたらされる珍しい舶来品はくらいひんの中には、私の身体の滋養強壮に効くものもあるのではないか……というのが、表向きの理由でもあったらしい。


 少女と妹が親密になることは、少女とその娘のためにも、いてはホーリーデイ家のためにも必要なことだ。


 しかし、私がそれに耐えられるかどうかは疑問であった。そんな光景を見せ付けられるくらいなら、一層いっそのこと何処かへ消えてしまった方が良いとさえ思えた。


 もっとも、妹は決して私を蔑ろにするようなことはしないだろう。私が早々に当主になることを諦めたのは、何も体質だけの問題ではない。妹は贔屓目ひいきめに見なくとも、私よりもずっと聡明な人物であった。


 もしも妹の方が先に生まれていれば、或いは私が生まれてこなければ、少女と妹は良き関係を育み、天人地姫とホーリーデイ家に相応しき間柄となっていたことだろう。それを奪ってしまったのは、他ならぬ私自身なのだ。私は妹に、少女を返さなくてはならないのだ。


 それはとても淋しく、そして辛いことだ。少女と共に過ごした日々は私に輝きを与えてくれた。退屈で詰まらない窓外そうがいの景色に美しい色彩を描いてくれた。そんな少女と離れてしまう喪失感は、自分の半身を失うほどの苦しみでもあった。


 それでも承諾せねばならない。私は次期当主でなくともホーリーデイ家の女なのだ。祖先から綿々と受け継がれた宿命を背負っているのだ。


 そのとき、私の中にほんの僅かに、自身がホーリーデイ家の一員であるという自覚が芽生えた。そして、締め切った部屋に力強く開いた扉から、荒々しくも優しく吹き込んだ風がそっと私を包み込んでくれた。


「それはまかりなりません。私が友と望むのは最初から一人だけなのです」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る