第一章 8-2


「是非、今度は私と踊っていただきたい」


 次の曲が始まるまでの間、二人は大勢の年若き男性たちから誘いを受けることとなった。皇女は蠱惑的な笑みを浮かべると、その内の一人をお相手に指名し、困惑する彼女を置いて行ってしまう。


 焦った彼女はミストリアのもとに戻ろうとするも、自らを求める多くの男性たちに囲まれ、し崩し的に舞踏の相手をさせられる羽目になった。


 しかし、最初こそ見知らぬ人々の中で独りきりにされてしまった不安があったが、曲が始まってしまえば相手もまた一人であり、少しずつ気持ちに余裕が出始めていた。


 男性たちは帝国の武官、或いは政務を執り行う文官であった。まだ彼女と同じく若年であるため、決して国政を左右するほどの権限は有しないが、いずれはその地位に就くであろう者たちである。


 唯才是挙ゆいざいぜきょ唯才たださい有らばれを挙げよ……かつて、ソウモウ皇帝が発した勅語ちょくごである。


 出身や人格よりも才能を優先するこの言葉は、流石さすがに推挙が浸透した帝国にあっても動揺が大きかったようだが、今では自然なこととして臣民に受け入れられていた。


 大国でありながら変革に対して容易に順応してしまうこと、この柔軟性こそが帝国の強みであり、また真に恐ろしきところでもある。


 それにしても、これではまるで情人じょうじんを斡旋されているようだ。実際のところ、舞踏会とはそういう意味合いもあるのだが、こうも白地あからさまでは却って冷めてしまうものである。


 彼女は巧みに相手を誘導しながら、徐々に元の場所へと戻ろうとしていた。質実剛健な帝国の官僚たちでは、幼少の頃より躾けられた彼女の相手には不十分なのだ。


 不意に、先ほどの皇女との舞踏が頭をよぎる。あのときは自分でも不思議なくらい気分が高揚していた。あれは皇女の燃え盛るような熱気に当てられてしまったからだろうか。


 僅かに身体の中で燻る疼きを理性で抑え込む。今はミストリアのもとに戻るのが先決だ。そして、あともう少しというところで、唐突に目の前に現れた男に行く手を阻まれた。


「失礼、我はトウタクと申す者。先の宴席において、陛下に堂々と直答じきとうした麒麟児きりんじさかしき者どもが放っておけぬはむべなるかな」


 それはくだんの野宴で見かけた武官であった。戦場に馳せる者としていかつい顔付きをしているが、堅苦しい言葉に反してそれほど老け込んではいないようである。


 それにしても、改めてその話を持ち出されると、あの無謀な振る舞いを思い出して赤面してしまう。しかし、トウタクはそんな彼女の謙遜を豪快に笑い飛ばした。


 ミストリアはもうすぐそこだったが、何となく彼の無遠慮な態度に救われたような気がして、彼女は最後の相手にと舞踏の誘いに応じることにした。


 彼はお世辞にもあまり上手くはなかった。もっとも、武官として本当は舞踏などにうつつを抜かしている場合ではないのだろう。実際に彼のかいなは、今まで舞踏おどった誰よりも太くたくましかった。


 あの野宴に加わるくらいだから、見掛けによらずかなり高位の武官なのだろう。彼女は恥を掻かせぬように、それとなく自然を装って先導していたが、やがて曲が終盤へと差し掛かった頃、唐突に彼は身体を密着させてきた。


 驚いた彼女が押し返そうと力を込めるが、帝国の武官に勝てるはずもない。周囲からは好奇の視線が注がれており、彼女が羞恥と怒りから声を荒げようとしたとき、彼が耳元で微かに囁いてきた。


「このような無作法に及んだことを陳謝する。だが、どうしても耳に入れたきことがあった。陛下は貴殿を帝国に留める御心づもりのようだ」


 彼女は驚愕の表情を浮かべたが、彼から他の者に悟られぬよう注意を受けると、素直にその言葉に従った。参席者からは武骨な男に求愛され、困惑する姫君のように見えていたのかも知れない。


「このことは天人てんじん地姫ちぎも承知しておる。御会見の席で陛下との間に何か密約があったのだ」


 にわかには信じられなかった。いや、そもそも信じてはいなかった。このトウタクという男はいったい何をのたまっているのか。こんな得体の知れぬ者の戯言を真に受けることはない。


 なのに、それなのに……頭の片隅では冷静にその可能性を分析していた。それが現実にあり得ることだと唱える自分がいた。あの時、皇帝と対面したミストリアは、明らかに様子がおかしかった。


 そして、それは今だってそうなのだ。帝国の縮図たる夜宴、言うなれば敵地において、ミストリアが独りで放り出すような真似をするだろうか。あんなにも犬猿の仲であった皇女に、自分を預けたりなどするだろうか。


 分からない……昨日までのミストリアと、御料車ごりょうしゃで笑顔を振り撒いていたあのときと、決定的に何かが変わってしまったような気がするのだ。皇帝との間にいったい何があったのか。果たして、ミストリアの真意はどこにあるのだろうか。


「滞在先は皇女の私邸になると聞く。幸いにも我の身内が奉公しておる故、詳細はその者からお伝えする」


 そうして曲が終わると、彼は何事もなかったかのように去っていった。彼女もまたミストリアのもとに戻り、変わらぬ笑顔に迎え入れられる。


 しかし、彼女の心に刺さった疑念という名の小さな棘が、ほんのりと痛みを与え続けていた。

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