第一章 8-1


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「一曲、妾と舞踏おどってはくださらんか」


 ミストリアと皇帝の御会見ごかいけんの後、宮殿の大広間では盛大な夜宴が催されていた。


 以前に荒野で開かれた野宴とは比べるべくもなく、先の貴賓室きひんしつにも劣らぬ豪奢な調度品が所狭しと並べられ、絵画や彫刻などの美術品が威風堂々と飾られている。


 参席者も前回のような武官だけでなく、帝国の中枢を担う錚々そうそうたる顔ぶれがこぞって姿を見せており、まさに国家の縮図そのものであった。


 帝国では要職の世襲制が廃止されて久しく、貴族の称号は名誉以上の意味を持ち得ない。代わりに発達したのが推挙すいきょの制度であり、これは優れた人物を推薦し、引き立てるものなのだが、単なる縁故とは趣が異なるものであった。


 勿論、有力者の子弟が優先的に推挙され、実質的に世襲と同じ結果になる懸念は否めない。それを防ぐための策として、推挙する者は六親等内の親族でないこと、そして推挙された人物が過ちを犯し、また能力が劣ると判断された場合、推挙した者も厳しく処罰されることとなった。


 一方、推挙された人物が功績を上げた場合、推挙した者は鑑識眼かんしきがんに優れているとして、中には当人の功績よりも推挙の実績の方が高名な者まで現れていた。


 斯様かような制度下においては、たとえ大恩ある人物の子弟でも推挙には慎重となる。また、今後推挙する可能性のある逸材を門下生として、自ら育成する仕組みも形成された。


 結果として、各地から優れた人材が数多く輩出、抜擢されるようになり、帝国の躍進の大きな原動力となっている。


 この祝宴には文武を問わず、徹底的な実力主義に裏打ちされた者たちが一堂に会していた。誰一人として自分より劣る者などなく尻込みしてしまう彼女であったが、傍らに佇むミストリアを一瞥して己を奮い立たせる。


 御会見から戻ったミストリアは、もう普段の様子を取り戻していた。皇帝との御会見の内容は教えてはくれなかったが、夜宴への参席には支障ないようだ。


 皇帝の祝辞により始まった夜宴は、また例によって皇女が同席する格好となった。既に案内役の任はまっとうしたはずであったが、帝国のお歴々が引っ切り無しに挨拶に訪れるため、その存在に助けられてもいた。


 そして、夜宴も中盤へと差し掛かり、徐々に舞踏会の様相を呈してきたとき、皇女から直々に誘いを受けた。彼女も貴族の教養として嗜んではいたが、ミストリアを独りにしてしまうことには不安があった。


 しかし、意外にもミストリアの反応は素っ気ないもので、むしろ帝国の要人とは積極的に友誼ゆうぎを結ぶようにと奨めてきた。思い返してみれば、ミストリアは成人の祝宴においても諸侯の子弟に対応しており、相手をするのは手慣れているのだ。


 当のミストリアからも奨められ、断る理由が無くなってしまった彼女は、一抹の不安を胸に抱きながらも、皇女の誘いに応じて舞踏の輪へと移動した。


「なに、全て妾に任せておれば良い。優しく手解てほどきしてくれようぞ」


 やがて曲が始まり、二人は互いの腰に手を当て、もう片方の手を握りながら、周囲に合わせて輪舞りんぶする。心做こころなしか皇女の手が腰よりも低く、臀部でんぶへと落ちがちだが、努めて気にしない振りをした。


「ああ、この時をどれほど待ち焦がれたことか。遠慮なくニー様の身体に触れられます」


 また耳元に口を寄せて、随分と際どいことを口にする。今回は耳朶みみたぶまれてはいないが、こんな台詞を参席者に聴かれたらあらぬ誤解を受けかねない。


 幸いにして、舞踏曲のおかけでその心配は杞憂のようだが、このまま好きに話させてはいつ襤褸ぼろが出るとも分からない。彼女は何とか話題を変えることにした。


「そういえば、シバイ皇太子の御姿をお見掛けしませんが……」


 咄嗟とっさに思い付いたのは、演習ではミストリアに肉薄し、そして野宴では彼女に助け舟を出してくれた皇太子のことだった。その真意は不明だが、皇女の兄であり、次期皇帝たる人物の動向は気になるところではある。


「兄上なら帝都にはおらぬ。全く、相も変わらず間の悪い御人よ。せっかくニー様がいらしているというのにな」


 だから、それはやめてほしいのにと彼女は思う。それにしても実の兄には兄上で、自分に対しては兄様……いや、ニー様ときた。聞いているだけで頭が混乱してくる。


「お会いして、是非とも御礼を申し上げたかったです」


 もしも皇太子の口添えがなければ、今頃は帝都に連れて行かれていたかも知れない。そして、皇女の御学友となり、こうして舞踏会に誘われていたのかも知れないのだ。


「なに、お気持ちは妾から伝えておく。いつもニー様のことばかり語り聴かせておったのでな、今ではすっかりニー様にご執心よ」


 ……何やら妙な発言があったが、彼女はまたしても気にしない振りをした。どこをどう解すれば、皇太子が自分のことなど気に入るのか。まあ、それは皇女にも言えたことではあるのだが。


 他の演者たちの合間を縫いながら、二人の舞踏は続いていく。皇女の先導は普段の態度に反して優しく丁寧であり、曲の律動に合わせて次第に高揚感が溢れ出してきた。


 いつしか、二人は無駄話をやめ、互いの動きのみを追っていた。言語を伴わぬ肉体表現、思考を忘れた原始の野性。時に委ねながら、時に攻め込みながら、曲調の変化に合わせて動きは激しさを増し、身体が熱を帯びてくる。


 やがて、帝国の皇女とホーリーデイ家の嫡子という華やかで政治的な取り合わせも相まって、衆目を集めていくのを感じていた。


 そして舞踏曲が終わり、会場には万雷の拍手が沸き起こる。その中心で二人は優雅に一礼すると、少しだけ名残惜しそうに互いの手を離した。

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