第一章 7-1


-7-



「うわぁ……これはまた、どれくらいの人がいるのかしら」


 水火すいかたる御料車ごりょうしゃに揺られること一週間、広大な帝国領を南北に貫く街道を北上し、道中の宿場町で最高級の持て成しを受けた一行は、ついに皇帝の待つ帝都カンヨウへと到着した。


 彼女にとっては二度目となる訪問であるが、帝都の南側にそびえ立つ堅牢堅固けんろうけんごな大門をくぐり、帝宮ていきゅうに向けて大通りを進むと車窓に映った光景に目を見張った。


 帝国は質実剛健を国是こくぜとしており、外交上の威信に関わる場合は別として、基本的には過度な装飾や儀礼的行為を排する国家である。


 しかし、いま彼女の目に映るのは、まるで救国の英雄の凱旋を想起させるかのような、煌びやかな修飾が施された外壁と街道の両端を埋め尽くす無数の群衆であった。


 それはミストリアの来訪を歓迎しているように観えた。帝国とはその拡大政策から対立する向きも強かったが、臣民の中には純粋に天人てんじん地姫ちぎを崇拝する者も数多くいるのだろう。


 もっとも、今回においては帝国の思惑によるところが大きいと思われる。敢えて仰々ぎょうぎょうしく歓待することで、帝国と天人地姫は友好的な関係にあり、決して脅威ではないと国内に向けて啓蒙けいもうする狙いがあるのだろう。


 純粋な戦力でかなわぬのであれば、逆に祀り上げてしまうことで有名無実化してしまえば良い。ミストリアとて、帝国が最低限の節度を保ちさえすれば敵対する必要はない……いや、出来なくなるのだ。


 やがて、御料車ごりょうしゃが宮殿へと近付くと、唐突に車両の壁が消え去り、中にいた三人の姿が衆目に晒される。その瞬間、周囲からは地響きのような歓声が沸き起こった。


 御料車に施されていた四鏡今鏡マジカル・ミラーによって、外部から隠すのではなく、敢えて見えるように可視化したのだろう。


 突然の事態に困惑する彼女を尻目に、サナリエル皇女はしとやかに手を振って群衆に応えてみせた。ミストリアもまた慣れた様子で、指向性のない清らかな笑みを浮かべており、それがより一層の神秘性を醸し出している。


 ミストリアいわく、こういう時に一番効果的なのは微笑みだという。特に何も考えずとも、相手は勝手にその表情に意味を見出みいだし、また作り出していく。


 それは相手の心を写す鏡となり、好意を寄せる者には祝福として、よこしまな感情を抱く者には警告として、相手が真に望み、また恐れるものとしてあらわれるのだ。


 しかし、それはミストリアや皇女だから出来る芸当であった。仮に彼女が表面上だけ真似たとて、そこまでの価値を示すことは出来ない。その領域に達するまで、果たしてどのくらいの時を要するのか、皆目検討も付かなかった。


 そして、御料車が宮殿の門を通過すると、車両の壁は元へと戻り、ゆっくりと速度を落として停車する。やがて、扉が外側から開かれると、三人は皇女を先頭にして降車していった。


「遠路遥々、御身の来臨らいりんを賜り、帝国を代表して心より歓迎の意を表する」


 そこには文武百官を従えた今上皇帝きんじょうこうてい、ソウモウ=トク=シュウシンカンの姿があった。先の軍事演習においては、彼女も陣幕で近侍きんじしていたはずなのだが、改めて対面する姿はあの時とはまるで別人であった。


 等しく後光が指すような重厚な存在感は、気を抜けば平伏してしまいそうになるほどに威厳に溢れており、宴席では斯様かような人物と対峙していたのかと思うと、自身の無謀さと不遜さがにわかには信じられなくなる。


 しかし、それにも増して過敏な反応を示したのは、ミストリアであった。皇帝へと向けられた表情は驚愕と狼狽に満ちており、あの美しい翡翠の瞳が濁りを帯びたかのように見開かれていた。


 明らかに様子がおかしかった。如何に皇帝の面前といえど、帝国の全軍を相手取ることすらいとわないミストリアが、まるで時が止まったかのように茫然自失としていた。


 やがて、臣下たちの間からは不快感を伴う咳払いが聴こえてくる。ミストリアが我に返ったように答礼を述べると、皇帝はただ満足そうに頷くのであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る