第一章 6-1


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「我が帝国に御身を奉迎ほうげいできたことは、光栄のいたりに存じます」


 ハナラカシア王国がキノ領にイシツイジ要塞を構えるように、シュウシンカン帝国にもシュンプ平野を挟んだ先に、その建造物はそびえていた。


 リンシ要塞、帝国の南部方面軍を統括する軍事拠点である。規模は王国のゆうに倍はあり、城壁には側防塔そくぼうとう狭間はざまひしめくように張り巡らされている。


 かつては、王国による夷狄いてき討伐……土雲つちぐも熊襲くまそ俘囚ふしゅうらとのいくさにおいて、三国同盟に基づいて支援することを目的としていた。


 しかし、辺境の異民族がことごとく王国に帰順し、領土の拡大と安定が図られた現在、皮肉にも同盟国に対して睨みを利かせる役割へと変じていた。


 帝国の威容が顕在化した荘厳な巨壁、そして一糸乱れず整列する大隊規模の親衛隊を背景として、薄手の絹装束に身を包んだ貴人が優雅に一礼する。


 今回は胸甲キュイラス臑当グリーブなどの防具は身に付けていないが、衣に刺繍された炎の紋章と鮮やかな銀朱ぎんしゅの髪が、それがサナリエル皇女であることを如実に物語っていた。


 途端に一年前の記憶が蘇り、彼女の背筋には冷や汗が伝う。また、先のうやうやしい言動とは裏腹に、皇女の視線は彼女に向けられているようにも感じられた。


「七日後、帝都で典礼てんれいを挙行する運びとなり、此度こたびは不肖ながらも私が案内役を仰せ付かりました。また、陛下も御身との御会見ごかいけんを切望しております」


 本来であれば皇族が案内役を務めるなど、天人てんじん地姫ちぎに対する深い尊崇そんすうの現れと解すべきである。しかし、既に皇女の暴走を身を持って経験済みの彼女は、これもまた何らかの思惑によるものだと考えていた。


 りとて、今は斯様かようなことよりも憂慮すべき問題がある。彼女はミストリアを一瞥したが、その澄ました表情からは心中を窺い知ることは出来ない。彼女は意を決すると、皇女に向けて毅然とした態度で返礼した。


はなはおそれ多きことなれど、天人地姫に代わりサナリエル様に申し上げます。貴国の歓迎の意に深謝いたしますが、これより帝都まではまだ時を要する故、典礼と御会見は着御ちゃくご次第とさせて頂きたく存じます」


 帝国の南端から帝都カンヨウまで、現在の進行状況では二ヶ月を要すると見込んでいた。それを七日後に挙行するということは、即ち馬車での移動を前提としていることになる。


 つまりは、いつぞやのように御料車ごりょうしゃへの同乗を求めるものであり、等しく御幸ごこうへの介入に他ならなかった。


 しかしながら、その返答は皇女には承諾できぬようで、露骨に美麗な尊顔を歪ませている。それも無理からぬことではあろう。皇帝の勅命を受けた以上、独断でひるがえすことなど出来るはずもないのだ。


 互いの使命と矜持の狭間で、しばし火花を散らすように視線を交わす二人であったが、やがて皇女がへそを曲げるようにして不満を漏らした。


「ニー様、次にお逢いしたときはサニーと呼ぶと約束したではありませんか。何故なにゆえ、そのような余所余所よそよそしい態度を取られるのです」


 ……どうやら、先ほどまでの睨み合いは思い違いであったようだ。心做こころなしかミストリアからの視線が痛いが、今はそれどころではない。


 まるで童女わらめのように拗ねる姿を見かねて、背後に控える隊長と思しき兵士が何やら耳打ちすると、皇女は再び優美な表情を取り繕って言葉を続けた。


「貴殿も異なことを申される。あれほど我が国への礼を失すると、恐縮していたのはそなたではないか」


 それは半ば想定済みの問答であった。ホーリーデイ家は天人地姫の庇護者であると同時に、その意思を本人に代わり伝える代弁者でもある。故に、弁が立つこともまた必須の素養であった。


「その折は王国の使者を仰せつかっておりました。此度は天人地姫の陪従者ばいじゅうしゃとして拝謁している故、恐れながら礼を失しているのは帝国の方かと存じます」


 全くの正論であった。ヌーナ大陸において天人地姫に干渉できる者などいない。してや御幸ともなれば、如何なる介入も許される道理はない。もっとも先のキノ領の一件のように、歓待と称して留めることは往々にしてあるようだが。


 しかし、必ずしも正論がまかり通るほど人の世は容易くない。如何に正鵠せいこくを射ようとも、力なき文は武の前に屈せざるを得ない。皇女の背後に控える兵士たちが血走った目で彼女を睨み付けていた。


者共ものども、静まれよ。ここはレイネリア殿の申すとおりである。どうやら浅慮なのは妾の方であったようじゃ」


 皇女は片手で部下たちを制すと、伏し目がちに反省の言を述べる。その殊勝な態度に少し言い過ぎてしまったかと気を揉むが、次の瞬間には、皇女は顔を上げて溌剌はつらつとした声を発していた。


「しかし、妾とて陛下より大任を仰せつかった身……すれば、これより帝都まで陪従ばいじゅうするより他あるまいな」


 それは同行の宣言であった。皇女のったりの笑みを受け、始めから狙いがそこにあったことに気付かされる。まんまと口実を与えてしまったのだ。


 皇女の突然の申し出に兵士たちも動揺を隠せずにいたが、当の本人は至って平然に、むしろ勝ち誇ったような表情で彼女たちのもとへと歩み寄ってきた。


「二人とも仲がよろしいことね。ここにいたらしまうから、早く御料車に案内して貰えないかしら」


 荒野から運ばれる熱風に反し、冷淡な言葉が二人を凍り付かせた。先ほどから沈黙を守っていたミストリアが、あっさりと乗車を受け入れたのである。


「どうせ施しはもう済ませたのでしょう?」


 ミストリアの射抜くような視線を皇女がさらりと受け流す。王国や教国と違い、帝国にとって天人地姫による救世済民きゅうせいさいみんは、必ずしも諸手もろてを挙げて歓迎すべきことではなかった。


 それは自国の難題、臣民の救済を他者に委ねることに他ならない。故に、御幸を前に民衆の不平不満を解消し、困窮者に救いの手を差し伸べることが慣習となっていた。


 そして、未だ要領を得ない彼女を押し込むようにして三人で御料車に乗り込むと、帝都への長い旅路に就いたのであった。

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